May 29, 2006

細木数子「土星人の運命」土星人+・・・大殺界”停止”

細木数子 六星占術による土星人の運命〈平成18年版〉 (文庫) 僕は普段占いや宗教は信じない方なのだが、ネットで細木和子のサイトを見たら、僕は土星人の+、現在大殺界の真っ直中「停止」であるらしい。

 なんでそんなサイトをのぞいたかというと、今年に入ってから、自分でも感心するぐらい運が悪く、何をやってもうまくいかないからである。
 悪いことばかりが重なるし、ムキになったり努力したりすることがすべて裏目に出て、徒労に終わってしまう。
 あまりにもひどい。

 最初はそれで、腹を立てたり、落ち込んだり、悲しんだりしつづけていた。
 しかしあまりのひどさに、今では首を傾げるしかなくなった。自分でも呆れてしまう。

 振り返ってみても、自分にとってこんなに最悪な年はこれまで他にないと思う。
 具体的にここで語りたくはないが、精神的にもひどいし、状況的にもひどすぎる。動けば動くほど、苦しい立場に追い込まれていく。

 それで、ふと思い立って、細木数子のサイトをなんとなくのぞいてみたわけである。

 それによると僕は、
 土星人+
 大殺界の”停止”
 平成18年は、人生最悪の運気。

 ・・・当たっている。

 昨日は本屋で、細木数子の本「土星人の運命」を買ってきた。
 単純といえば単純な性格だが、ここまで状況がひどいと、なんでもいいから誰かに説明を求めたくなるのも人情である。
 理屈では説明しきれない、大きな悪い流れの中に、自分が呑み込まれているように感じられる。
 そういう時は、科学的根拠があろうがなかろうが、何かより大きな存在、神や、宇宙を支配する見えない法則、運命や宿命に、今の状況を抜け出すヒントを求めたくなるものだ。

 「土星人の運命」を読んでみて、これまでの何年かのことを含め、びっくりするぐらい僕の状況に当てはまっているのに驚いた。
 土星人の性格、と書かれた内容も、かなり僕自身にあてはまっていると思う。
 すごくあたっている。

 もちろん全て真に受けるというわけではないし、占いには強力な暗示の力があるのも確かである。これはあんまり当たっていないなと思う部分もある。
 それでも自分の内省を促し、冷静に現実に対処していく、なんとか辛い状況を乗り越えていく、という意味では、彼女の本は僕にはとても参考になった。占いは、いい意味で活用していけばいい。占いとは、もともとそういうものなのだから。

 少なくとも僕の今の状況が、ひどいことは間違いない。
 それをどう受け入れるかという問題だが、人生いい時もあれば悪い時もあり、今はその最低の状況なのだ、と本に書かれていると、なるほど、そうなのか、ならまあ仕方ないか、と少しは慰められる。
 悪い時には悪いときなりの、心の持ち方、耐え方、やり過ごし方があるんだな、と思う。

 朝の来ない夜はない。
 春の来ない冬はない。
 降り止まない雨はない。

 どれも言い古された言葉だが、真実ではある。
 無理に流れに逆らおうとせず、状況に耐え、好機が来るのをじっと待つしかない。
 片隅でひっそりと、今すぐには報われない地味な努力を続けながら。

 信じる信じないは別としても、この「土星人の運命」を読んで、少し楽な気持ちになったみたいだ。


● 自分は何星人?知りたい方はこちらからどうぞ

http://book.matrix.jp/book/index.shtml

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

■ 細木数子の本

細木 数子 略歴

1938年東京生まれ。長年にわたり、中国古来の万象学、算命学、易学などを研究。六星占術を独自に編み出し、日本全国に六星占術の大ブームを巻き起こす。その後、陽明学の大家、故・安岡正篤氏と出会い、六星占術は単なる占いの域をこえた“人間学”にまで高められた。自然界の法則・リズムにのっとった人間の生き方を絶えず追究し、荒波にもまれている人々に、つねに適切な指針を与えている。これまでの著作の発行部数が5300万部を超え、“占い本世界一”として『ギネスブック』に連続掲載される。

細木数子 六星占術による土星人の運命〈平成18年版〉 (文庫)

六星占術による土星人の運命〈平成18年版〉 (文庫)




細木数子 六星占術 宿命大殺界―あなたの人生を翻弄する恐るべきパワー (単行本)

六星占術 宿命大殺界―あなたの人生を翻弄する恐るべきパワー (単行本)



六星占術による金星人の運命〈平成18年版〉 (文庫)

六星占術による天王星人の運命〈平成18年版〉 (文庫)

六星占術による木星人の運命〈平成18年版〉 (文庫)

六星占術による水星人の運命〈平成18年版〉 (文庫)

六星占術による霊合星人の運命〈平成18年版〉 (文庫)



May 23, 2006

アンデルセン童話「人魚姫」あらすじ連載(6)

「人魚姫」のあらすじ紹介、第6回目。
 最終回です。
 
※過去の記事 ↓

         「人魚姫」あらすじ連載(1)
         「人魚姫」あらすじ連載(2)
         「人魚姫」あらすじ連載(3)
         「人魚姫」あらすじ連載(4)
         「人魚姫」あらすじ連載(5)


「人魚姫」あらすじ(最終回)−−−−−−−−−−−−−−−


 人魚姫はお姉さんたちから渡されたナイフを手に取り、花嫁と花婿が眠る部屋へとそっと入っていった。
 自分か王子か、どちらかが死ななければならない。
 王子を殺せば、自分はもとの人魚に戻れる。
 夢は叶わなかったが、死なずにはすむ。

 部屋へ入ると、美しい花嫁が、王子の胸に頭をもたせかけて眠っているのが見えた。
 人魚姫は身をかがめ、王子のその美しい額にキスをした。
 空を見上げた。
 夜明け前の赤い光は、しだいに明るくなってくる。
 ナイフを見つめ、王子を見つめた。

 と、王子は夢を見ながら、花嫁の名を呼んだ。
 人魚姫の手の中で、ナイフがぴくっと震えた。

 次の瞬間、人魚姫はナイフを波の彼方へ投げ捨てた。
 波は赤く輝いて、血のしずくが水の中から泡立つように見えた。

 夜明けが近づき、人魚姫の身体はすでに死へと向かいつつあった。
 その目は半ばかすんでいた。
 彼女は王子を一度だけ見つめ、海の中へ飛び込んだ。
 自分の身体が溶けて、泡になっていくのがわかった。

 日が昇った。
 その光は冷たい海の泡を、おだやかに暖かく照らしていった。
 人魚姫は少しも死んだような気がしなかった。
 上のほうに、透き通った美しいものの粒たちが、何百となく漂っているのが見えた。
 あれはなんだろう?
 その向こうには、船の白い帆や、赤い雲が見える。
 彼女は美しい音楽に包まれていた。それは清らかな精神の調べのようなもので、誰の耳にも聞こえない音楽だった。
 透明で、美しく、ふわりと空気を漂うものたちが見える。
 いつしか人魚姫もその一部となり、泡から抜け出し、しだいに上へと昇っていった。
「わたしはどこへ行くの?」と人魚姫はいった。
「空気の娘たちのところよ」
と、漂うものたちの一人が答えた。
「人魚の娘も、私たち空気の娘も、死ぬことのない魂を持っていないわ。いつまでも続く魂をもつためには、何かほかのものの力に頼らなければならないの。でも、よい行いをしつづけると、魂を自分のものにできるの。私たちは、蒸し暑くて毒のある空気で人が死んでしまったような、暑い国に飛んでいって、そこで、涼しい風を吹かせて上げる。それに、花々の香りを空気の中に広がらせて、みんなの気分をさわやかにし、元気をつけてあげる。そうして良いことをし続けて、三百年たつと、わたしたちは、死ぬことのない魂をさずかって、人間の永遠の幸せを分けてもらえるの。

かわいそうな人魚姫。あなたは、わたしたちの目ざしていることと同じことをめざして、心をこめて努めてきたわね。あなたは苦しんだり、我慢したりし続けて、こうして、空気の精の世界まであがってきたのよ。そしてこれから、あなたが良い行いをしていけば、三百年たつと、あなたも、死ぬことのない魂をもらうことができるのよ」

 人魚姫は透き通った両腕を、神様のお日様のほうに高くさしあげた。
 その時、生まれてはじめて、涙があふれてくるのを感じた。

 船の上がまたさわがしくなった。
 王子が、花嫁と一緒に自分を探しているのが、人魚姫には見えた。
 二人は海に漂う泡を悲しげに見つめていた。人魚姫が波の中に身を投げたのを知っているようだった。

 空気になった人魚姫は、花嫁のひたいにキスし、王子に微笑みかけた。
 そして彼女は、ほかの空気の子たちと一緒に、バラ色の雲のほうへと昇っていった。

「三百年たったら、わたしたちこんな風に、神様の国へと昇っていけるのね!」
「もっと早くそこに行けるかもしれませんよ」空気の精の一人が言った。
「わたしたちは、人の目には見られずに、子供のいる人間の家の中にすっと入っていくんです。そして親たちを喜ばせ、親たちにかわいがられるだけの値打ちがある、良い子をひとり見つけると、その一日ごとに、必ず神様は私たちが魂を得るまでの日を短くしてくださるのです。わたしたちが嬉しさのあまり、思わずその子に微笑みかけると、そのたびに、三百年から一年、減らしてもらえます。けれど、行儀の良くない、悪い子をみると、思わず悲しくなって、涙を流さずにはいられません。そうすると、涙が一滴こぼれるごとに、魂をもらえるときが、一日ずつ、増えていくのですよ」

                        おわり。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(「人魚姫」の紹介を終えて)
 いかがでしたか?
 あらすじ紹介ということで初めてみたものの、ずいぶん長い紹介になってしまいました。
 楽しんでいただけたとしたら、紹介させていただいた僕としても幸いです。

 底本には、何冊かの古い翻訳本を参考にしています。現代版のものもいくつか参考にしました。
 どれも原作は一つですから書かれていることの内容は変わりありませんが、僕なりに骨子を抜き出して細かな部分は割愛した点や、僕なりの文体で、多少の脚色も交えながら紹介させてもらいましたので、皆さんがよく知っている「人魚姫」とは若干雰囲気が違っていたのではないかと思います。しかし原作の良さや本質そのものは損なっていないつもりです。

 子供向けの、簡略化された絵本とは別に、実際のアンデルセンの原作の翻訳を読んでみると、とても子供のためのお話とは思えない、むしろ大人向けのお話の方が多いんじゃないかと、感じられました。
 この「人魚姫」もそうでした。
 ここには彼女の憧れや恋の切なさ、喜びや悲しみ、生と死、信仰、そういった生きることの本質的な、重要な要素が、一つの物語として描かれています。
 そしてそれは、子供よりはむしろ、すでにさまざまな人生の過程を経験してきた大人、かなわなかった辛い恋愛体験を知っている大人にこそ、強く訴えかけてくるものであり、共感と深い味わいを残すものだろうと思います。

 ぼくは今回の「人魚姫」をきっかけに、他にもいくつかのアンデルセンの物語を読んでみましたが、どれも、心に直接響いてくるいいお話でした。
 今この歳になって、アンデルセンの原作を読み返してみるというのは、新たな素晴らしい経験だったし、とても貴重な体験でした。たまたま図書館で手に取った本がこんなに大きな感動をもたらしてくれるなんて、なんだかとても得した気分です。

 アンデルセン ハンス・クリスチャンは、1805年4月2日に生まれ、1875年8月4日に亡くなりました。デンマークの文学者です。
 後日談によれば、この「人魚姫」は、アンデルセン自身の失恋が織り込まれていると言われ、人魚姫はアンデルセン自身の自画像だとも言われています。
 彼が好きだった女性との恋は報われず、彼は一生を独身ですごした、ということです。

 ほかにも良いものがたくさんありますので、これからもこのブログ上で、いくつかは紹介していきたいな、と思っています。
 著作権の問題については、アンデルセンが亡くなってすでに約130年がたっていますし、古い版では、翻訳された方もすでに死後50年を経ていますので、問題はないでしょう。
 それらを参考にしながら、次回の作品ついては、より僕なりの解釈と文体に置き換えて、ご紹介していきたいと思います。
 「青空文庫」とはまた一つ違った試みとして、僕自身も楽しんで紹介していきたいと思います。

 よろしかったら、またおつきあい下さい。


人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。



ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

■ アンデルセン童話

あなたの知らないアンデルセン「人魚姫」


少女が恋に目覚め、情熱の赴くままに生き、命を賭けて本当の「愛」に気づいていく…。アンデルセン童話に秘められた愛とエロス。美しい童話ではなく、一女性の魂の成長の物語として捉えた「人魚姫」。デンマーク語からの新訳。

雪の女王 


雪の女王にさらわれた仲よしのカイを追って、ゲルダは山ぞくにとらわれ、雪あらしとたたかい、ついに北の果てにある女王の氷の城へたどりつく。アンデルセン童話の集大成といわれる名作の完訳版。

アンデルセン童話集 (単行本)


荒俣宏の新訳に、アイルランドの幻想派挿絵画家ハリー・クラークのカラー挿絵が悲哀と残酷を感動に変える。アンデルセン生誕200年に贈る極めつけの一冊。

アンデルセン童話集 1 改版―完訳 (1) (文庫)
アンデルセン童話集 2 改版―完訳 (2) (文庫)
アンデルセン童話集 3 改版―完訳 (3) (文庫)


 



May 18, 2006

アンデルセン童話「人魚姫」あらすじ連載(5)

 「人魚姫」のあらすじ紹介、第5回目です。
 さあ、いよいよ物語は佳境に入ってきます。
 全6回の、第5回目。


 「人魚姫」あらすじ(5)−−−−−−−−−−−−−−−

「王子様は、となりの国の王様の、美しいお姫様と結婚することになったそうだよ!」
 その噂が、王国中に知れ渡った。

「ぼくは旅に出なきゃならない」と王子は人魚姫に話した。
「となりの国の、美しいお姫さまに会わなくちゃならない。ぼくの両親が、そう望んでるからね。でも、ぼくがそのお姫さまを愛することなんて、ありっこないよ!だってその人は、あの修道院の娘さんじゃない。・・・もしぼくが、いつか花嫁を選ばなければならなくなったら、そのときは、いっそ、きみを選ぶよ」
 そう言うと、王子は人魚姫の唇にキスし、彼女の長い髪をなで、彼女の胸に自分の頭をもたせかけた。
 王子にそうされながら、彼女の胸は熱く高鳴った。彼への思いでいっぱいだった。
 人魚姫は王子との幸せを思い、死ぬことのない魂を思った。

 人魚姫も、王子の旅の船に同行することになった。
 航海の途中、ある月の明るい夜、みんなが寝静まった後、人魚姫が船べりに坐って、澄みきった海の水の奥をじっと見つめていると、人魚姫のお姉さんたちが海の上へ浮かび上がってきた。そしてとても悲しそうな目で妹を見つめた。
 人魚姫は、お姉さんたちに手を振った。微笑みかけ、自分のほうは何もかもうまくいっていて幸せです、と話そうとした。でもそう伝えることは出来なかった。
 やがて船のボーイが人魚姫のほうに近づいてきて、お姉さんたちは海の底へと帰っていった。

 翌朝、船は着いた。
 パーティが開かれ、お姫様が現れた。
 「ああ、あなたです!」と王子は彼女を見て言った。
 「ぼくが海岸に倒れていたとき、ぼくを救ってくれたのは、あなたです!」
 彼女は修道院に一生を捧げた娘だったわけではなく、王女にふさわしい教育を受けるため、一時的に修道院に入っていただけだったということがわかった。
 王子は、顔を赤くしている王女を、腕に抱きしめた。そして人魚姫に言った。
「ぼくは、このうえもなく幸せだよ!夢にも望めないぐらいだった願いが叶ったんだもの。きみは、ぼくの幸せを喜んでくれるよね。きみは、誰よりも深く、ぼくを好きでいてくれるんだから!」

 人魚姫は王子の手にキスをした。彼女の胸ははりさけそうだった。
 王子が結婚する。そして私は、その次の朝には、死んで海の泡になる・・・。

 ありとあらゆる教会の鐘が鳴り響いた。
 花嫁と花婿は、たがいに手を取り合い、僧正の祝福を受けた。
 人魚姫は絹と金で着飾り、花嫁の衣装の長いすそを持っていた。
 けれど彼女の耳には、祝いの音楽も言葉も聞こえなかった。厳かな儀式も見えなかった。
 彼女はじっと考え続けていた。
 自分の死の闇夜のことを。
 自分がなくし、捨ててきてしまった、あらゆるもののことを。

 その日の夕方、花嫁と花婿は船に乗り込んだ。
 大砲がとどろき、たくさんの旗がひるがえった。
 帆は風をうけていっぱいにふくらみ、澄みきった海の上を、すべるように進んでいった。

 あたりが暗くなると、色とりどりのランプの火が灯された。
 水夫たちは甲板で、ゆかいなダンスを踊った。
 人魚姫は、自分がはじめて海の上に浮かびでて、船を見たときのことを思い出した。
 あのときも、今と同じように華やかで、にぎやかで、楽しそうだった。
 
 人魚姫は自分もダンスの中に入って一緒に踊った。
 くるくると、軽やかに、ひらひらと、軽く身をひるがえして飛ぶように。
 みんなは驚きと感嘆の声をあげた。
 人魚姫にとっても、こんなに素晴らしく踊ったことはないほどだった。
 人魚姫の足はまるで鋭いナイフに切られるようだったが、いまや彼女はその痛みを感じなかった。
 それよりも、胸が痛んだ。
 彼女にとって、これが最後の晩だった。
 王子のために、自分はなにもかもを捨ててしまった。
 家も、家族も、自分の美しい声も。
 そしてそれからの、毎日の苦しみと幸福。
 
 しかし王子と共に過ごすのも、王子と同じ空気を吸うのも、深い海や、星の瞬く美しい夜空を眺めるのも、この夜が最後だった。このあとには、夢さえも見ない、暗い永遠の夜がやってくる。
 魂のない人魚にとって、それはまったくの無でしかない。

 皆は楽しく歌い、さわぎ、人魚姫も楽しげに微笑んでいた。そして踊り続けた。
 しかし彼女は、〈死〉を思い続けていた。
 王子は美しい花嫁にキスをし、花嫁は王子の髪をなでた。
 そして二人は、手を取り合い、部屋へと引き取っていった。

 やがて宴は終わり、甲板はひっそりと静かになった。
 人魚姫は船べりに座り、東の空をじっと見つめていた。
 日が昇り、最初の光が自分を死なせることになると、彼女にはわかっていた。
 すると、人魚姫のお姉さんたちが海の上に浮かび上がってくるのが見えた。
 彼女たちも青ざめていた。
 彼女たちの美しく長かった髪は、短くぷっつりと切れ、なくなっていた。

「魔女に、髪をあげてきたのよ。あなたを今夜死なせないために。魔女の助けを借りるために。魔女は、ナイフをくれたわ。これよ、ごらん!日が昇る前に、これを王子の心臓に突き刺すのよ。そして王子の温かい血があなたの足にかかると、足はくっついて一本の魚の尻尾になり、あなたはまた人魚に戻れる。
さあ、急いで!あなたか、王子か、どちらかが死ななきゃならないのよ!さあ、王子を殺して帰ってらっしゃい!ほら、空に赤いすじがさしてきたのが見える?さあ、急ぐのよ!」

 人魚姫はナイフを手に取り、花嫁と花婿が眠る部屋へとそっと入った。
 美しい花嫁が、王子の胸に頭をもたせかけて眠っているのが見えた。
 人魚姫は身をかがめ、王子のその美しい額にキスをした。

 ・・・・・・

                         つづく。
                          次回、最終回。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。



ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

■ アンデルセン童話

あなたの知らないアンデルセン「人魚姫」


少女が恋に目覚め、情熱の赴くままに生き、命を賭けて本当の「愛」に気づいていく…。アンデルセン童話に秘められた愛とエロス。美しい童話ではなく、一女性の魂の成長の物語として捉えた「人魚姫」。デンマーク語からの新訳。

雪の女王 


雪の女王にさらわれた仲よしのカイを追って、ゲルダは山ぞくにとらわれ、雪あらしとたたかい、ついに北の果てにある女王の氷の城へたどりつく。アンデルセン童話の集大成といわれる名作の完訳版。

アンデルセン童話集 (単行本)


荒俣宏の新訳に、アイルランドの幻想派挿絵画家ハリー・クラークのカラー挿絵が悲哀と残酷を感動に変える。アンデルセン生誕200年に贈る極めつけの一冊。

アンデルセン童話集 1 改版―完訳 (1) (文庫)
アンデルセン童話集 2 改版―完訳 (2) (文庫)
アンデルセン童話集 3 改版―完訳 (3) (文庫)



May 17, 2006

アンデルセン童話「人魚姫」あらすじ連載(4)

人魚姫」のあらすじ紹介、第4回目です。

「人魚姫」あらすじ(4)−−−−−−−−−−−−−−−

 王子様のお城に着いた人魚姫は、魔女にもらった薬を飲んで、そのまま気を失った。
 日が昇り、やがて人魚姫が目を覚ますと、そこには王子が立っていた。

 王子はじっとこちらを見ている。
 人魚姫がふっと目を下へそらすと、自分の魚の尻尾がなくなっていることに気づいた。
 そこには人間の女の子の素敵な足があった。
 「君は誰だい?なぜここにいるんだい?」と王子は彼女に聞いたが、人魚姫には言葉を話すことが出来かった。
 それは人間の足をもらうかわりに、魔女に渡してしまった。
 人魚姫は答えるかわりに、優しく、しかしとても悲しげに王子を見つめた。

 王子は人魚姫を宮殿の中へ連れて行った。
 魔女に言われたとおり、人魚姫は一足歩くごとに、まるで鋭いナイフを踏んで歩くような、激しい痛みを感じた。
 でも人魚姫は、それを喜んで我慢した。
 彼女の歩みはその痛みに反して、軽く、すべるようで、愛らしかった。その様子に、王子もほかの人々もすっかり驚いてしまった。

 人魚姫は絹やモスリンで作った美しい服を着せてもらった。
 彼女は誰よりもきれいだった。
 しかし美しい着飾った女奴隷たちが王子の前に進み出て、王子や王子の両親の前で歌を歌い、王子がそれを手をたたいて喜んだ時、人魚姫は悲しい気持ちになった。
 誰よりも美しい歌声を持っていたはずの彼女。それを、王子に会いたいばかりに捨ててきてしまったのだ。
 
 彼女は音楽に合わせて軽やかに踊った。
 それは美しく、軽やかに舞う、見事な踊りだった。
 歌を歌うことは出来なかったが、彼女の踊りや彼女の目は、それ以上に深く、王子の心に語りかけた。
 足は血が吹き出るように痛かった。しかし彼女は王子のために踊り続けた。
 皆はうっとりとそれを眺め、とりわけ王子は感嘆し、喜んだ。
 「ぼくのかわいい拾いっ子さん」と王子は人魚姫を呼んだ。
 そして言った。「いつでも、ぼくのそばにいておくれ」

 二人はいつも一緒に過ごすようになった。
 馬に乗り、森や丘へ散策に出かけたりもするようになった。
 高い山の峰まで登った。
 眼下に見下ろす雲の波を、二人で眺めた。
 人魚姫は幸せだった。

 ある夜遅く、人魚姫が熱く痛む足をつめたい水で冷やしていると、人魚姫のお姉さんたちが浮かびあがってきた。
 彼女たちは人魚姫のために、とても悲しげに歌を歌った。彼女たちも人魚姫も、お互いに気がついた。
「あなたのために、私たちがどんなに心配し、悲しんだことか!」
 それから彼女たちは毎晩、人魚姫をたずねてくるようになった。
 
 日ごとに、王子は人魚姫のことがどんどん好きになっていった。
 王子は人魚姫を本当にかわいがった。
 しかし、彼は人魚姫を自分の妃にしようなどとは夢にも考えていなかった。
 「ぼくは、きみが一番好きだよ」と王子は人魚姫に言った。「きみは、誰よりも優しい心を持っている。君は、僕がまえに会った娘さんに似ているよ。ぼくの船が難破して、浜辺に打ち上げられたとき、ぼくを見つけて、ぼくの命を救ってくれた人だ。あの人こそ、ぼくがこの世で唯一愛することのできる人さ。きみは、その人によく似ている。でもその娘さんは、修道院に入っているんだ。だから、ぼくはその人と結婚することは出来ない。そのかわりに神様が、ぼくのところへ君をよこしてくれたんだと思う。だから、ねえ、ぼくたち、決して離れないでいよう」

(この方は、わたしが命を救ってあげたことを知らないんだわ!)人魚姫は悟った。
(わたしが王子様を助けて海を泳ぎ、あの修道院のあるところまで連れて行ったの。やがてあのきれいな娘さんがやってきて、わたしは海の泡のかげに隠れた。王子様は、あの娘が助けてくれたと思ってる)

(しかし修道院に入っているなら、娘は決して外の世界に出ることも、二度と王子様に会うこともないはずだわ。でもわたしは、毎日王子様に会える。わたしはこの方のお世話をしよう。この方を愛し、この方にわたしの命をささげよう!)

 ところがしばらくたったある日、噂が流れてきた。
 「王子様は、となりの国の王様の、美しいお姫様と結婚することになったそうだよ!」

                         つづく。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

■ アンデルセン童話

あなたの知らないアンデルセン「人魚姫」


少女が恋に目覚め、情熱の赴くままに生き、命を賭けて本当の「愛」に気づいていく…。アンデルセン童話に秘められた愛とエロス。美しい童話ではなく、一女性の魂の成長の物語として捉えた「人魚姫」。デンマーク語からの新訳。

雪の女王 


雪の女王にさらわれた仲よしのカイを追って、ゲルダは山ぞくにとらわれ、雪あらしとたたかい、ついに北の果てにある女王の氷の城へたどりつく。アンデルセン童話の集大成といわれる名作の完訳版。

アンデルセン童話集 (単行本)


荒俣宏の新訳に、アイルランドの幻想派挿絵画家ハリー・クラークのカラー挿絵が悲哀と残酷を感動に変える。アンデルセン生誕200年に贈る極めつけの一冊。

アンデルセン童話集 1 改版―完訳 (1) (文庫)
アンデルセン童話集 2 改版―完訳 (2) (文庫)
アンデルセン童話集 3 改版―完訳 (3) (文庫)



May 10, 2006

アンデルセン童話「人魚姫」あらすじ連載(3)

 「人魚姫」のあらすじ紹介、3回目です。

 このお話をよく知っている方には今さらという感じですが、このお話の面白さのポイントの第一は、「永遠の憧れ」です。
 ぼくは読んでいてそれを強く感じました。海の底しか知らない人魚姫の、自分が知らない地上の世界への憧れ。美しい王子への憧れ。恋。
 これはひっくるめて激しい恋愛のような物語ということも出来るし、未知の美と愛に対する渇望、憧憬の物語だともいえます。彼女の情熱と、純粋さ、一途さに、心を打たれます。

 そしてこの物語を面白く、のっぴきならないものにさせているのは、常に彼女が人生究極の選択を迫られ、そこに立ち向かい、決意していくところです。
 彼女の決意が、ドラマを展開させます。次の決意が、また次のドラマを。
 そして、何かを得る時には、何かを失わなければならない、という人生の一つの真理が、このドラマの中ではとくに重要な意味を持っています。
 

「人魚姫」あらすじ(3)−−−−−−−−−−−−−−−

 人魚姫は勇気を出して魔女の家に出かけていくことにした。
 ごうごうと音を立てる大渦巻きのむこうに、魔女の家はある。
 なにもかも深い海の底へと引きずり込み、なにもかもをつぶし、粉々に壊してしまう、渦の真ん中を、通っていかなければならないのだ。
 そのむこうの不思議な森の中に、魔女の家はあった。

 それは難破して死んだ人間の骨でできた、白い家だった。
 ついに人魚姫はそこへ辿り着いた。

 海の魔女は人魚姫にいった。
「バカだね、あんた。いいよ、願いを叶えてあげるよ。でもそれであんたは不幸せになるんだよ、きれいなお姫さん!」
そういって魔女は大声で笑った。
「じゃああんたに飲み薬を作ってあげよう。お日様がのぼらないうちに陸まで泳いでいって、その薬をお飲み。そうすればあんたの尻尾が割れて、人間のきれいな足になるよ。あんたを見た人間はみんな『こんなにきれいな娘は見たことがない!』というだろう。でもあんたは、一足歩くごとに、、まるで鋭いナイフを踏む様な、血の吹き出すような痛みを感じるんだよ。それを我慢する気があるかい?」
「ええ、我慢します!」と人魚姫は震える声でいった。彼女は王子のことを思い、死ぬことのない魂のことを思った。

「だけど覚えておきな。あんたはもう二度と人魚には戻れなくなるんだよ。それにもしあんたが、王子に愛されるようになって、王子があんたに永遠の愛を誓い、夫婦になることができなかったら、もし王子がほかの女と結婚することになったら、あんたはその次の朝、心臓が破裂し、海の泡になってしまうんだよ」
「それでもいいわ!」と人魚姫は言ったが、その顔は死人のように青ざめていた。
「だけどね、ただってわけにはいかないね。あんたは他の誰よりも美しい声を持ってる。きっとあんたはその声であの王子の心を惹きつけられると思ってるんだろう。でもその声を、あたしにくれなきゃいけないのさ」
「でも、あなたにわたしの声をあげてしまったら、私には何が残るでしょう?」
「あんたには、きれいな姿や、すべるように軽い歩き方や、物を言う目があるじゃないか。それだけあれば、人間の心をとろかすぐらい楽に出来るよ。おや、勇気がなくなったかい?さあ、その小さな舌をお出し!薬の代に、その舌を切り取ってやる。そのかわり、ききめの強い薬をあげるよ!」
「ええ、そうして!」と人魚姫は言った。

 魔女は薬を作るために大鍋を火にかけた。
 さまざまな怪しい材料の混合物。やがて薬は出来上がった。
 魔女は人魚姫の舌を切り取った。
 人魚姫は飲み薬をもらい、魔女の家をあとにした。

 やがて父の城が見えた。舞踏室の明かりはもう消えていた。きっともうみんな寝てしまったんだろう。
 どちらにしても、人魚姫はみんなに会う気にはなれなかった。
 自分はもう口がきけなくなってしまったし、このまま誰とも会わず、永久にみんなとは別れるつもりだった。
 人魚姫の胸は、悲しみで張り裂けそうだった。
 そして人魚姫は、王子の住む城へと泳いでいった。

 日が昇る前に、薬を飲まなければならない。
 やがて宮殿についた人魚姫は、大理石の階段にのぼった。
 人魚姫は、燃えるように熱いその薬を飲んだ。
 まるで鋭い剣が身体を突き通すような激しい痛みが、人魚姫を貫いた。
 人魚姫は気が遠くなり、そのままそこで気を失った。

 太陽が海を明るく輝かせ始めた頃、人魚姫は目を覚ました。
 身体に鋭い痛みを感じた。
 ふと顔を上げると、そこにはあの美しい王子が立っていた。


                         つづく。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

■ アンデルセン童話

あなたの知らないアンデルセン「人魚姫」


少女が恋に目覚め、情熱の赴くままに生き、命を賭けて本当の「愛」に気づいていく…。アンデルセン童話に秘められた愛とエロス。美しい童話ではなく、一女性の魂の成長の物語として捉えた「人魚姫」。デンマーク語からの新訳。

雪の女王 


雪の女王にさらわれた仲よしのカイを追って、ゲルダは山ぞくにとらわれ、雪あらしとたたかい、ついに北の果てにある女王の氷の城へたどりつく。アンデルセン童話の集大成といわれる名作の完訳版。

アンデルセン童話集 (単行本)


荒俣宏の新訳に、アイルランドの幻想派挿絵画家ハリー・クラークのカラー挿絵が悲哀と残酷を感動に変える。アンデルセン生誕200年に贈る極めつけの一冊。

アンデルセン童話集 1 改版―完訳 (1) (文庫)
アンデルセン童話集 2 改版―完訳 (2) (文庫)
アンデルセン童話集 3 改版―完訳 (3) (文庫)



May 08, 2006

アンデルセン童話「人魚姫」あらすじ連載(2)

 昨日に引き続いてあらすじの紹介です。
 さくさく行きましょう。

「人魚姫」あらすじ(2)−−−−−−−−−−−−−−−

 
 王子と似ている美しい大理石の少年の像を抱きしめ、叶わぬ辛い恋心を自らなぐさめる人魚姫。

 そのうちとうとう人魚姫は我慢できなくなって、お姉さんのうちの一人に自分の気持ちを打ち明けた。
 するとそれは、他のみんなにも知れ渡ってしまった。
 お姉さんたちだけではなく、その女友達にまで知れ渡ってしまった。
 人魚姫は愕然とするが、その友達のうちの一人が、あの王子のことを知っていた。
 王子がどこの国の人で、どこに住んでいるか。

 人魚姫はさっそくその宮殿へ出かけていった。それは円柱の柱や大理石の像ががいくつも立ち、噴水があり、透き通ったガラス越しに見える広間には大きい絵が何枚も飾ってある美しい建物だった。
 人魚姫は夕方や夜になると、何度もそこへ出かけていくようになった。そして月の光を浴びてバルコニーに一人立つ王子をそっと眺めた。
 彼女は思い出していた。
 あの嵐の夜に、自分がどんなに心を込めて王子にキスをしたか。王子の頭がどんなにしっかりと自分の胸の上にもたれていたか。
 
 やがて、人魚姫の人間の世界に対する憧れはますます強くなっていった。
 人間の世界のほうが自分の住む世界よりもずっと広く、大きく見える。
 森や野原は、人魚姫には信じられないぐらい遠くまで広がっている。
 
 ある日人魚姫はおばあさんにたずねた。
 「人間というのは、いつまで生きていられるのかしら?」
 おばあさんは答えた。
 「人間の一生は、わたしたちの一生より、もっと短いのよ。私たちはね、三百年は生きていられるの。でも人魚はここでの一生が終われば、ただの水の泡になってしまうしかない。私たちは死ぬことのない魂というのを持っていないんだよ。
 ところが人間は、魂というのを持っている。その魂は、人間が死んでもいつまでも生き続けるんだよ。それは澄んだ空気の中をのぼり、きらきらと光る星のところまで上るのです。でも私たち人魚には魂がないから、そういうところは決して見ることが出来ないんだよ」

 人魚姫は自分たちが死ぬことのない魂をもらうことが出来なかったこと対して、悲しく首を振った。
 そして言った。
 「わたしは、自分の生きていられる三百年をすっかりあげてしまってもいいから、そのかわり、ほんの一日でも人間になりたいわ」
 「そんなこと考えるものじゃありません!」とおばあさんは怒った。「わたしたちは、人間たちより、ずっと幸せに、具合良く暮らしているんですよ!」

 しかしその後でおばあさんは言った。
 「ただ一つだけ。もしも人間の誰かが、あなたを本当に愛するようになったら、そしていつまでもあなたへの真心は変わらないと誓ってくれたら、そのときは、その人の魂があなたの身体に流れ込み、そうしてあなたのほうも、人間の幸せを分けてもらうことができるのです。その人はあなたに魂をくれるわけだけど、それでも、自分の魂はちゃんと持ち続けるんだよ。でもね、そんなことは決して起こりはしないよ!あなたのその魚の尻尾だって、人間たちはみっともないと思っているんだよ」

 その晩は、人魚の城で華やかな舞踏会が開かれた。
 多くの人魚たちが、歌を歌い、踊った。
 人魚姫は、陸と海のもののうちで、もっとも美しい声を持っていた。そのことを人魚姫は嬉しく思った。
 しかし人魚姫はあの美しい王子のことを思い出していた。
 そして今日聞いたおばあさんの話を思い出していた。人魚には死ぬことのない魂がない、という話を。
 それは人魚姫を辛く、悲しい気持ちにさせた。

 人魚姫はそっと舞踏会から抜け出し、自分の小さな花壇へ行って坐り、そして思った。
 (私はいつもあの人のことを思い続けている。あの人と幸せになるためなら、そしてあの人と一緒に、死ぬことのない魂を手にするためなら、どんなことだってするわ!
 ・・・そうだ、魔女のところへ行ってみよう。
 今までおそろしくて行ったことはなかったけれど。
 魔女ならなにか知恵を貸してくれるかも知れない。何か手助けをしてもらえるかも知れないわ!)

 人魚姫は魔女の住む家へと出かけていった。


                         つづく。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

■ アンデルセン童話

あなたの知らないアンデルセン「人魚姫」


少女が恋に目覚め、情熱の赴くままに生き、命を賭けて本当の「愛」に気づいていく…。アンデルセン童話に秘められた愛とエロス。美しい童話ではなく、一女性の魂の成長の物語として捉えた「人魚姫」。デンマーク語からの新訳。

雪の女王 


雪の女王にさらわれた仲よしのカイを追って、ゲルダは山ぞくにとらわれ、雪あらしとたたかい、ついに北の果てにある女王の氷の城へたどりつく。アンデルセン童話の集大成といわれる名作の完訳版。

アンデルセン童話集 (単行本)


荒俣宏の新訳に、アイルランドの幻想派挿絵画家ハリー・クラークのカラー挿絵が悲哀と残酷を感動に変える。アンデルセン生誕200年に贈る極めつけの一冊。

アンデルセン童話集 1 改版―完訳 (1) (文庫)
アンデルセン童話集 2 改版―完訳 (2) (文庫)
アンデルセン童話集 3 改版―完訳 (3) (文庫)



May 07, 2006

アンデルセン童話「人魚姫」あらすじ連載(1)

 昨日のブログにちらっと書いた「人魚姫」のことが妙に気になってきて、今日は図書館で「人魚姫」をじっくりと読んでみることにした。
 人魚姫の報われない恋、海の泡になってしまう結末・・・というあたりだけはなんとなく覚えていたものの、小学生以来おそらく二十年以上読んでいないと思うし、ディズニーのアニメも見ていないし、いまいち内容がよく思い出せない。
 そういうわけで、アンデルセン童話をじっくり腰をおちつけて読んでみるのもたまにはいいんじゃないか、と思った。

 実際読んでみて、「人魚姫」のあまりの面白さに僕はびっくりしてしまった。
 そこに描かれていることの奥深さや哀しみ、人魚姫の”女”としての恋の情熱の激しさや魂の震え。淡々とした童話的語りの中に、読む者の心の急所をさりげなく、しかし確実に突いてくるポイントがいくつもある。
 そういうのが幾重にも折り重なってストーリーが運ばれて行く。次にどうなるのか、人魚姫の一途で切ない思いの行方はどうなるのか、まったく目が離せない。 そして結末はあまりにも悲しく、感動的である。

 あんまり素敵な話だったので、僕なりにその骨子をまとめて、あらすじを紹介してみたいと思います。
 ところどころでハッとさせられたり、ドキッとさせられる描写やエピソードは、出来るだけそのまま残したいと思います。
 ぼくと同じように、もう人魚姫のお話なんて忘れちゃったよ、という方、あるいは興味はあるけど、わざわざ図書館へ行って読むほどじゃないよ、という方、良かったら読んでみて下さい。
 実際に本を読んでみるのが一番いいとは思いますが、この物語の本質的な面白さ、またその強力な魅力のポイントは、伝わるんじゃないかなと思います。

 骨子を、とはいうものの、ちょっと長くなりそうなので、連載という形で紹介します。


「人魚姫」あらすじ(1)−−−−−−−−−−−−

 人魚姫は六人姉妹の末っ子。
 六人の中では一番美しく、その目は深い深い海のように青く、物静かで、考え深い子だった。
 彼女にとって何よりの楽しみは、海の上の人間の世界の話を聞くことだった。 年寄りのおばあさんに頼んで、彼女はおばあさんの知っていることを、よく話して聞かせてもらった。
 船や町のこと、人間や動物のこと、地上では花が良い香りで匂っているということ、きれいな歌を歌うことが出来る小鳥たちのこと・・・。

 おばあさんは言った。
「あなたがたは、十五になったら、海の上にうかびあがっていくのを許してもらえますよ。そうしたら、あなたがたは、月の光をあびながら、岩の上にすわって、そばを通っていく大きな船を見たり、森や町を眺めることができますよ!」

 しかし人魚姫は一番年下だったから、上の世界を見ることができたのは一番最後だった。
 先に海の上の世界を見てきたお姉さんたちは、人魚姫に自分たちが見てきたもののことを話して聞かせてくれた。
 月の光を浴びた海辺の大きな町、まるで星のように光るたくさんの明かり、音楽や、車のひびき、人間のざわめき、たくさんの教会や塔、鳴り渡る鐘、お城や農園、初めて見た犬のこと・・・。
 やがていよいよ人魚姫の番になった。

 人魚姫がある夜海上に顔を出すと、大きな船が1艘浮かんでいた。そこではある若い王子の誕生日パーティーが行われていた。
 人魚姫は王子を目にし、なんて美しい人だろう、と思った。彼女は王子から目が離せなかった

 そこへ暗く激しい嵐がやってきた。
 船はばらばらに壊れ、沈没してしまった。
 人魚姫は、海に投げ出されて気を失った王子のところまで泳ぎ、彼の頭が水に沈まないように支え、長い間波間をただよった。

 明け方になり、ようやく嵐はおさまった。
 彼の目はまだ閉じられたままだ。
 人魚姫は王子の高く美しいひたいにキスをして、髪の毛をうしろになでつけた。
 なんて美しいんだろう。
 人魚姫はもう一度王子にキスをした。どうかこの人が助かりますように。

 やがて陸地が見え、人魚姫は王子を抱いてそこまで泳いでいき、王子を砂の上に寝かせてやった。
 近くの白い建物から、一人の娘が出てくるのが見えた。その娘は王子を見てびっくりするが、すぐにほかの人たちを呼びに行った。
 少しすると王子は目を覚まし、その娘と、まわりの人たちに微笑みかけた。
 でももちろん、人魚姫のほうには微笑みかけてくれない
 王子は人魚姫が自分の命を助けてくれたなんて、まるで知らなかったからだ。人魚姫は、なんだかとても悲しい気持ちになった。


 この事件があって以来、人魚姫は以前にも増して、物静かで、考え深い様子になった。
 お姉さんたちが何かあったの、何を見たの、と尋ねても、彼女はなにも話そうとしなかった。
 彼女は何日も何日も、夕方も、朝も、王子と別れたあの海辺にあがっていった。
 しかし王子の姿を見ることはできなかった。

 彼女の海底の小さな花壇には、あの王子と似ている美しい大理石の少年の像があった。
 彼女はその像を両腕で抱きしめることで、自分の辛い気持ちをなぐさめた。


                                 ・・・つづく。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。



ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

■ アンデルセン童話

あなたの知らないアンデルセン「人魚姫」


少女が恋に目覚め、情熱の赴くままに生き、命を賭けて本当の「愛」に気づいていく…。アンデルセン童話に秘められた愛とエロス。美しい童話ではなく、一女性の魂の成長の物語として捉えた「人魚姫」。デンマーク語からの新訳。

雪の女王 


雪の女王にさらわれた仲よしのカイを追って、ゲルダは山ぞくにとらわれ、雪あらしとたたかい、ついに北の果てにある女王の氷の城へたどりつく。アンデルセン童話の集大成といわれる名作の完訳版。

アンデルセン童話集 (単行本)


荒俣宏の新訳に、アイルランドの幻想派挿絵画家ハリー・クラークのカラー挿絵が悲哀と残酷を感動に変える。アンデルセン生誕200年に贈る極めつけの一冊。

アンデルセン童話集 1 改版―完訳 (1) (文庫)
アンデルセン童話集 2 改版―完訳 (2) (文庫)
アンデルセン童話集 3 改版―完訳 (3) (文庫)



May 06, 2006

図書館

 朝のうちは家の片づけやあれやこれやをすませ、午後は図書館へ。
 ここ何年も図書館へなんか行ったことはなかったのだが、この連休の始まりから、図書館へ通うようになった。「プロデューサーズ」を観に行った日だけは行かなかったが、それ以外は毎日図書館へ行っている。今日で三度目である。

  図書館へ行くと、自分でわざわざ買ってまでは絶対読まないなという本でも、興味の向くままにどんどん読めて面白い。当たり前だけど、世の中には実にたくさんの本がある。ちょっと視野が広がったような感じになる。

 昨日は借りたのは、
・「動物飼育係・イルカの調教師になるには」
・「サリンジャー”伝説の半生、謎の隠遁生活”
と、小説を何冊か。

 今日借りたのは、
・「森の生活(ウォールデン)」ヘンリー・D・ソロー
・「吉本隆明が語る戦後55年」
・「アメリカ短編小説傑作選2000」

 それから今日は、図書館に着いてまず絵本コーナーへ行き、絵本を三冊読んだ。
・「夜の音楽美術館」
・「メリーゴーランドがやってきた」
・「氷の海とアザラシのランプ」
である。

 大人になってから読む絵本というのは、不思議な感慨や、いろいろと考えさせられるものや妙に味わい深いものがあったりして、これはこれで結構面白い。
 しかし本当にたわいもない単純な筋のものでも、その背後に、やけに人生の悲哀が漂っていたりするものもある。挫折感や無力感が、語られざる行間行間にぎっしりと込められていたりすると、「おいおい」と思ってびっくりしてしまう。
 こういう話を、幼児たちはいったいどんな気持ちで読むんだろう?

 でももともと、そういう種類の絵本というのも昔からのれっきとしたジャンルというか、しっかり存在しつづけてきたものなのかも知れない。
 そういえば人魚姫の報われない恋、海の泡になってしまう結末なんて、大人になってから読むと、ちょっとドキッとするし、「むむむ」としばらく考え込まされてしまう。

 絵本は、短いものは一冊五分もかからずに読めてしまうし、いろいろと再発見があったり、考えさせられたり、普段の生活では考えてもみないようなことに気づかせてくれたりして、なかなか面白い。
 図書館に行くたびに何冊かずつ読むのを習慣にしてみようと思う。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。



April 24, 2006

体調回復 トーマス・マン「魔の山」

 ここのところずっと体調を壊していたのと、精神的にもいろいろときつかったこともあり、ブログを怠けていた。
 先週一週間は、痛む身体をだましだまし、なんとか無理矢理会社へ行っていたような状態だった。夜は早くベッドに入り、ぼんやりとした頭で僕はトーマス・マンの「魔の山」の続きを読んだ。熱に浮かされながらベッドで「魔の山」を読むなんて、なんだか出来すぎていてイヤだなと頭のすみのほうで思った。
 しかし、ほかに特に何もする元気がないので、まぶたが熱と眠気の重さに耐えられなくなるまで、本を読んだ。
 頭がぼんやりしていることもあるが、書かれていることや文章が僕にはいまいちなじみにくいこともあって、結局ほとんど頭には入らなかった。

 昨日はようやく回復して、普通に一日休日を過ごせた。
 もう若くないんだし、体調管理には出来るだけ気をつけよう。
 僕の性格的大きな欠点は、何をやるにせよ過剰に過ぎることなのだ。
 自分をうまく調節すること、自分を抑えること。
 何事もほどほどに。
 
 ところで、しばらく自分のブログを見ないでいたら、スパム・コメントが大量に来ていてびっくりした。
 まったく、世の中にはどうしてそういう、感じの悪い人間が多いんだろう?

 人の迷惑になることは、しないで欲しい。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。 



March 25, 2006

アンナ・カレーニナ(下)

 しばらく前から再読し始めた「アンナ・カレーニナ」が、やっと下巻まで進んだ。
 今は、ドリーが、アンナとヴロンスキーの豪奢な邸宅へ遊びに来ているところである。
 いろいろ読みたいものはあるのだが、ここ最近は寝る前にベッドで読む程度しか時間がとれないので、なかなか進まない。読んでいてもいまいち身に入らない。読みながらふと自分がぜんぜん理解していないことに気がついて、ページを戻し、何度も同じ行を読み返したりしている。

 昨日今日は、忙しくてPS2に電源も入れていない。ファイナルファンター12は進捗なしである。


人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

February 21, 2006

飲み会、サリンジャー

 今日も仕事の飲み会。ちょうど一週間ぶりである。
 今日もまた、焼肉屋へ。

 かなりしっぽりと酔った。いくらでも食べ、飲めてしまう。
 このブログをいま書きながら、頭がくらくらとしている。
 視点がうまく定まらない。
 かなり飲んだのに、今また帰ってきて、缶ビールを開けて飲んでいる。

 最近は仕事の休み時間に、サリンジャーの短編をよく読んでいる。
 サリンジャーに限らず短編小説のいいところは、せいぜい20分から30分あれば、一本の作品を十分ゆっくりと堪能できるところだ。

 今日読んだのは、サリンジャー選集「2」の中の、「最後の休暇の最後の日」である。この作品には、「ライ麦畑のキャッチャー」の主人公であるホールデン・コールフィールドの兄が登場する。まだ「ライ麦畑」が書かれる前の習作的作品であり、「兄」と言っても、実際にはホールデンその人と同じように奇矯で、屈折した人物である。どちらがホールデンなんだか、よくわからない。
 
 しかしそれにしても、サリンジャーの短編は、たとえ習作的なものであろうと、その一つ一つが、不思議に深く胸を打つものがある。たいしたことなんて何一つ書かれていなくても、まるで尻切れトンボのような内容の不明確なものでも、商業誌に売り込むだけのとるにたらないオチしかないものであっても、それでもそこには何かしらサリンジャーらしさが宿命的に漂っている。

 僕が思うに、それは一種独特の(サリンジャーという一個人独特の)、宿命的な痛々しさである。
 細かく言っていけばキリがないが、僕らがサリンジャーに惹かれる理由というのは、つまりはそういうことなのだと思う。
 僕らはその痛々しさに惹かれるのである。
 純粋で、まっすぐな感情と、傷つきやすさ、そこに当然のごとくに生じる苦悩、すれ違いや摩擦。どこまでいっても分かり合えないもの、歩み寄れない隔たり。

 サリンジャーの「ライ麦畑」でホールデン君に言わせているセリフそのままに、サリンジャー自身も、山の奥深く、世間と隔絶された場所へとこもってしまった。
 それっきり、二度と出てこなかった。

 彼は結局最後まで、世間一般的なものと妥協することが出来なかった。
 人生そのものとうまく折り合いをつけることが出来なかった。
 純粋さや、無垢さというものを信じ、守ろうとし続けたが、それは本来的に不可能な試みだった。

 僕らがサリンジャーの小説に憧れるのは、そのような不可能な試みの”痛々しさ”のせいのせいであり、その不可能なものを可能にしようとする純粋さへの熱望や信奉が、彼らしい、もっとも美しい形で提出されているからである。
 
 それが果たして正しいことなのか、可能なことなのかどうかなんて、問題ではないのだ。
 サリンジャーの小説は、人が何を守っていくべきかについて、いつも僕に考えさせる。

 ライ麦畑で、小さな子供たちをつかまえてあげること以上に素晴らしいことが、この人生にあるのだろうか?

 そう、深く考え込まされてしまうのである。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。



 
 



February 17, 2006

サマセット・モーム「月と六ペンス」を読み終える

 サマセット・モームの「月と六ペンス」を読み終えて、一週間ほどたった。
 モームの「月と六ペンス」は今回初めて読んだのだが、一言で言って、すごくスリリングで、衝撃的な小説だった。
 この小説は1919年に出版されたものだが、僕が今まで出会ったどんな小説とも異なる思想がそこには含まれており、そういう意味で、僕にとって新しい小説だった。

 小説の中ではこの「月と六ペンス」というタイトルと直接結びつくような内容は、一度も出てこない。
 文庫の解説によれば、これは象徴的意味を持つもので、「月」は、人間をある意味での狂気に導く芸術的創造熱を指すものであり、「六ペンス」は、それに対するくだらな世俗的因習、絆等を指したもの、ということである。

 ゴーギャンの伝記に暗示を得て書かれたというこの小説は、まさしくその2点の対立について描かれている。
 これはモーム自身が感じた社会や他者との対立でもあり、また自己の内部に抱えた対立でもあったのだろう。

 「平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出、芸術的創造欲のために友人の愛妻を奪ったあげく、女を自殺させ、タヒチに逃れる。ここで彼は土地の女と同棲し、宿病と戦いながら人間の魂を根底からゆすぶる壮麗な
大壁画を完成したのち、火を放つ。ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作」(「月と六ペンス」新潮文庫版より)

 主人公の天才画家ストリックランドは株式仲買人として社会的には十分成功し、裕福な暮らしと妻と子を得ているが、四十をいい加減すぎて突然、まるで悪霊にとりつかれたかのごとく絵を描くことへの情熱に憑かれ、そのためにすべてを捨ててしまう。彼にとって、もはや絵を描くこと以外はすべて価値のないことである。

 小説はそんなストリックランドと、物語の案内役である青年とのやりとりを主軸に、ストリックランドの妻をはじめてとして、愛妻を奪われる才能のない画家、世俗の周囲の人々との対比を通して、天才と俗な凡人との違いが描かれていく。

 そしてそこに描かれるのは結局、この世に生を受けた人間各々全員が、何を本当に、真実求めているか、求めて生きていくか、という魂の問題、問いでもあり、それがこの小説が多くの人々に衝撃を与え、ベストセラーになった所以でもあるのだろう。
 モーム自身がそれを多分に計算し、承知して書いている、とう面もあり、そういう意味では、この「月と六ペンス」は、逆説的ではあるが十分通俗小説であるわけである。

 愛妻を奪われる才能のない画家ダーク・ストルーヴは、世間的にはまだまったく相手にされない無名の絵描きストリックランドについて、そして芸術についてこう語る。

 「いいかい、美というおよそ世にも貴いものがだよ、まるで砂浜に石塊みたいに、ほんの通りすがりの誰彼にでも無造作に拾えるように、ころころ転がっているとでも思うのかい?美というのは、すばらしい、不思議なものなんだ。芸術家が、己の魂の苦しみを通して、世界の混沌の中から作り出すものなんだ。だが、それで美が創り出されたからといって、それを知るということは、人間、誰にでもできるもんじゃない。美を認識するためには、芸術家の経験を、めいめい自分で繰り返さなければならない。いわば芸術家が、一つのメロディーを歌って聞かせてくれる。それをもう一度僕らの心で聞こうというには、僕らに知識と感受性と想像力とが必要なんだ」

 ストルーブはもっとも初期にストリックランドの才能を認めた人物であり、確かな審美眼と芸術的判断力、繊細な感性と偏りのない批評眼を持っているが、こと自分の作品となると、どれもこれも本当の芸術とはかけ離れた、くだらない作品しか描くことが出来ない。
 小説の中でモームは、彼を駄目にしている原因を、結局のところそのロマンティックな幻影のせいだ、と言っている。
 それが、現実の世界において彼の目を覆ってしまっている。

 ストリックランドには、そのような通常の人間のような理想や幻想といったものはかけらも残っていない。
 ”すべて健康で、自然なもの、人間同士の幸福な関係や、素朴な人間の単純な喜びにつながるようなもの”は、いっさい彼の外へと放り出されてしまっている。
 彼は壮大な傑作の大壁画を描き上げ、自分の望みと人生の目的が達せられたと見ると、誇りと侮蔑を込めて、ただちにその壁画を燃やしてしまう。
 

 小説には登場しないが、ポール・ゴーギャンの作品に「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」という油彩画がある。

 (右のHP参照 http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtGauguinWhere.htm

 この絵をじっと見つめていると、とても奇妙な感覚に襲われる。
 そこにはある意味強烈な悪意すら感じられるように思われるが、何か真実の、人を惹きつける力がある。

 ストリックランドが、あるいはサマセット・モームが求めた芸術というのは、まさしくこの絵に象徴されているようなものなのだろう。
 芸術至上主義的な生き方、それ以外のものをまったくの無価値とする反社会的な態度がいいか悪いかということではなく(もちろん世界はめちゃくちゃになる)、ただ一人の芸術家(人間)の中に、そのような魂が求めてやまないもの、自分自身にも不可解な、抑えがたい情熱がたしかに存在する、ということがここでは問題なのである。
 それは、不可解な物を追求せずにはいられない人間の欲望、美の究極を追求せずにはいられない狂気、といってもいいかも知れない。
 そしてそれは、誰の胸の奥にも、息を潜めて存在するものである。
 その見開かれた目を、のぞき込もうとのぞき込むまいと。
 時々それは目を覚まし、僕らに美について感じさせ、考えさせ、苦しみを与えるのである。

 この本を読みながら、僕らもまた否応なく問われることになる。
 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」と。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。



月と六ペンス 

月と六ペンス

世界の十大小説 (上)

世界の十大小説 (上)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヒデのサイト「快適書斎スタイル」更新情報

オーディオ、9点追加しました。



February 06, 2006

久々の雪、モーム「月と六ペンス」その2、入浴剤のこと

 久しぶりの雪。午後ぐらいから降り始めて今も振り続けている。
 現在22:30分。
 雪は衰える気配を見せないし、降水確率もかなり高いから、どうやら久々に本格的に積もりそうである。
 帰ってきて車から降りると、すでに積雪はくるぶしの上まであった。靴に雪が入った。

 モームの「月と六ペンス」をだいぶ読み進んだ。
 読み始めて数ページは、あまりにもその文章がとっつきにくくて「これはちょっと失敗したかな」と嫌な予感がしたのだが、最初の十ページぐらいを過ぎると、ぐいぐいと物語へ引き込まれていった。368ページ中、現在247ページ目である。

 文庫本の裏表紙のあらすじを前にちょっと紹介したが、この小説に書かれている内容は、ちょっと尋常ではない。
 尋常ではない一人の芸術家(天才)と、主人公であるこの小説の狂言回し的存在であるごく一般的な良識の持ち主との対比を通して、この世界のあり方そのものが問われていく。何が真実で、物事の価値とはなんなのか、そして結局のところ人とはどのような存在なのか、どのページをめくってみても、そういう本質的な問いに溢れている。

 こういう種類の本をあまり好まない人もたぶんいると思う。
 読み進めていくと、自分自身をも疑わずにはいられなってくる。重く、ある意味極端に根源的に過ぎる。
 僕も正直言って、この小説が好きかと聞かれると、なんとも言いようがないような気がする。
 まじめに読むととても疲れる本だし、だんだん重く深刻な気持ちになってくる。
 あまりにもその見解が極端過ぎるようにも思う。

 でももちろん、作者であるモームは、あえてそのような「極端」さを描くことによって、自らの思想を追求し、表現するとともに、読者である僕らに対して挑戦してもいるのである。
 そしてモームの思惑通り、僕は読みながら、僕自身についてさまざまな見直しを迫られることになる。
 
 この小説を好もうと好まざると、確かにこの本には読むものをぐいぐいと引っ張って、次のページへと向かわせる力がある。いったいこの小説がどこに向かいどこに落ち着くのか、気になって仕方がない。
 でも一日仕事で疲れて帰ってきて、どうしてこんな重い気持ちで僕自身とわざわざ向き合わなくちゃいけないんだよ、と思ったりする。
 困ったものだが、しかしすごい作家であり、本である。
 
 ところでぜんぜん話は変わるが、帰ってきて風呂を洗い、入浴剤を入れたら、ツムラの「ソフレ」が必要な量の半分ぐらいしか残っていなかった。しかたないので、もう半分を、メンソレータムの薬用入浴剤をまぜてみた。

 なかなか気持ちが良かったのでクセになりそうだが、明日はちゃんと「ソフレ」の詰め替え用を買って来よう。
 僕は「ソフレ」がお気に入りなのだ。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


・ヒデのサイト「快適書斎スタイル」更新情報

リビングボード NEWページです。
キッチン家具 NEWページです。
一言日記はほぼ毎日更新中です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●400円の文庫でも、どんな本でも送料無料キャンペーン中です。



February 02, 2006

かなり疲労、モーム「月と六ペンス」

 一週間も後半に近づいて、だいぶ疲労がたまってきた。
 体の奇妙な浮遊感。だが体のところどころは何かが貼りついたように確実に重い。パソコンを見る目がしょぼしょぼする。
 もうしばらくの間はとにかく目一杯働いて、春になったらどこか骨休めに温泉にでも行きたいなと思う。
 海沿いの静かで小さな、料理の美味い旅館へ。

 大好きな本を一冊だけ持って、食べることと温泉に入ること以外は特になにもしない。
 日がな海を眺め、波の音を聞き、本の文章や一語一句を、じっくりとていねいに、時間をかけて読む。
 どこも観光しない。ただ滞在する。
 そういう旅がしたい。

 ところでこの間本屋に立ち寄り、ふと目についたモームの「月と六ペンス」を買った。
 作者もタイトルも有名だが、僕はモームの本は今まで一冊も読んだことがない。
 しかし裏表紙のあらすじをチラッと読んだだけでも、これはかなり過激で面白そうだと思った。

 「平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出、芸術的創造欲のために友人の愛妻を奪ったあげく、女を自殺させ、タヒチに逃れる。ここで彼は土地の女と同棲し、宿病と戦いながら人間の魂を根底からゆすぶる壮麗な大壁画を完成したのち、火を放つ。ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作」

 面白そうじゃないですか?
 あらすじを読んだだけでもワクワクする。
 今読んでいる「ガープの世界」を読み終えて、この本を読み始めるのがとても楽しみだ。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●400円の文庫でも、どんな本でも送料無料キャンペーン中です。



February 01, 2006

2006年本屋大賞ノミネート、恩田陸「夜のピクニック」のこと。

 少し前に、2006年の本屋大賞のノミネートが発表になった。

 あらすじだけ読むと、結構面白そうだなと思うものもある。
 僕がなんとなく読んでみたいと思ったのは、「サウス・バウンド」と「さくら」だった。

 しかし去年の本屋大賞、恩田陸の「夜のピクニック」を前に人から借りて読んだのだが、僕としては「大賞をもらうほどそんなにたいした本じゃないんじゃないか」というのが率直な感想だった。
 なんだか昔のコバルト文庫みたいな感じで、リアルな現実社会の厳しさや汚れから一歩ひいた、甘美な苦痛と夢と誤解に満ちた青春の一コマ、というのはまあそれはそれでいいのだが、いまいち語られること一つ一つに真実味が感じられず、全体的になじめなかった。
 主人公やヒロインやその友人たちが、ちょっと大人じみたことを言ってみたり、何かを悟ったような口ぶりで語り出すたびに、「なに言ってんだい」、と思ってしまう。

 描かれる彼ら自身が若くて青臭く未熟だということが問題なのではなく(青春時代とはそもそもそういうものだから)、それを後ろから見つめる作者の側の裏付けが、浅いように感じられた。
 そして少なくとも、そこに深みといったようなものは感じられなかったし、人物の描き方も、少女漫画並にめりはりが薄く、確固とした個性は感じられなかった。

 まあいろんな本があるわけだし、いちいち小説に「深み」なんて求める方が悪いのかも知れない。
 ようするに小説は、面白ければそれでいい。
 だからたまたま初めて読んだ「大賞」の本が、自分の生理に合わなかっただけなのかも知れない。
 でもそういうわけで僕にとっての本屋大賞は、ちょっと眉唾というか、半信半疑なところはある。

 今上映されている「博士の愛した数式」は、第一回本屋大賞の作品である。
 原作はまったく読んだことはないが、これはなんとなく面白そうだし、来月あたりに時間があれば見に行きたいなと思っている。
 それに僕は、深津絵里の芝居が好きなのだ。

 とりあえず、今年の本屋大賞に期待します。

 ●2006年・本屋大賞ノミネート作品

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


 

本屋大賞 (2005) 本の雑誌増刊

「本屋大賞」は、2003年9月、現役書店員を中心にした有志実行委員によって創設された、全国の書店員が「いちばん!売りたい本」を決めるという、出版史上類を見ないユニークな「新」文学賞。第一回大賞作品は『博士の愛した数式』(小川洋子著/新潮社)で、受賞後の反響はすさまじく、約30万部の増刷がかかったそうです。


January 31, 2006

ジョン・アーヴィング「ガープの世界」

 ジェーン・オースティンの「自負と偏見」を読み終えたあと、続けて僕はジョン・アーヴィングの「ガープの世界」をここ何日かずっと読み返していた。これも僕の昔からの愛読書で、通して読むのはこれで四度目ぐらいになる。

「ガープ」は新潮文庫で、上下巻。
 現在下巻の290ページ目で、残すところあと約200ページ。
 繰り返し読む本にもかかわらず、読み終えてしまうのがなんだかもったいないぐらい面白い。

 十年ぐらい前に「ガープ」でアーヴィングと出会って以来、僕は彼の大ファンになった。こんなに面白い作家がいたのかと、唖然とするぐらいびっくりした。「ホテル・ニューハンプシャー」を読んでますます彼の魅力に取り憑かれ、「サーカスの息子」「オーエンのために祈りを」「未亡人の一年」の順で読んだ後、彼の長編デビュー作である「熊を放つ」を読んだ。そして「サイダーハウス・ルール」、「第四の手」、短編集「ピギー・スニードを救う話」。
 日本であと出版されているのは「ウォーターメソッドマン」、「158ポンドの結婚」だが、こちらはなんとなく今まで機会がなくて、(それに田舎の書店に置いてあるような本ではないので)、読まずに来てしまった。
 でも「ガープ」でまたアーヴィング熱に火がついてしまったから、今年中にはなんとか読みたいものだと思っている。

 時間があれば細かく「ガープ」の感想や、ジョン・アーヴィングのことについて書いてみたいところだが、本があまりにも素晴らしいので、なんと書いていいか、どのように感動を言葉にまとめればいいのか、今はちょっとよくわからない。
 映画でも本でも、あんまり自分が感心してしまい、圧倒されてしまうと、何も言葉が出なくなってしまう。
 もし本気でじっくりと腰を落ち着けて、自分の考えをまとめようとすれば、書き上げるのに3日ぐらいは軽くかかりそうである。

 ということで、何も具体的に参考にならない紹介だけど、「ガープの世界」、良かったら是非読んで見てください。
 機会があれば、また詳しくレビューを書きたいと思います。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。






January 25, 2006

「プライドと偏見」のこと・その2 原作を読み返す

13プライドと偏見 この間、映画「プライドと偏見」を見て以来、再び原作を読み返している。

 僕が持っている新潮文庫版の「自負と偏見」は、最後の中野好夫氏の解説まで入れると、全606頁。
 かなりの分量だし、通して読み返すとなるとなかなか勇気がいるのだが、映画を見たせいで、どうしても読み返さずにはいられなくなった。
 途中まで読んでその後いっこうに進まないマイクル・クライトンの「恐怖の存在」は横に置き、今は毎日少しずつ、結構新鮮な気持ちで、楽しみながら読み返している。
 モームも言っているように、いくら読んでもこれといってたいした事件は何も起こらないのだが、一度ページをくるとたちまち引き込まれ、するすると、どんどん読み進んでしまう。
 本当に面白い。

 読み返していて思うのは、映画版が、自分が考えていた以上にかなり原作に忠実だったことである。
 もちろん映画と小説は別物なので、その面白さの質は違うが、少なくともストーリーやテーマ、エピソードといった面では、驚くほどそのままである。下手な改変や大幅なカットもなければ、でしゃばったつけ足しもない。

 一般的に、小説を映画化する場合、ストーリーやエピソードや、重要な登場人物まで、割愛されてしまうことが結構多い。ひどい時には、根本的なテーマまで、変わってしまう場合もある。絶対死んではいけないはずの人が途中で死んだり、いなかったはずの子供が勝手に生まれていることもある。

 僕が昔一番ひどいと思ったのはヴィヴィアン・リー主演の「アンナ・カレーニナ」だった。
 マイクル・クライトンの「ジュラシック・パーク」にもがっかりした。「アルジャーノンに花束を(邦題『まごころを君に』」も今一歩だった。どれも原作に思い入れがあるだけに、自分がもっとも感動したはずのポイントをないがしろにされると、やはりがっかりした気持ちになってしまう。

 しかしそれはそれとして、考えてみると、ジェーン・オースティンの作品というのは、もしかしたら映画化しやすいのかな、とここのところ思う。同じ長編小説でも、マイクル・クライトンや、トルストイや、あるいはジョン・アーヴィングの小説なんかだと、これでもかというぐらい次々に事件や展開があって、人も大勢あらわれる。映画という2時間から3時間の尺に詰め込むには、たしかに大変そうである。それに対して、ジェーン・オースティンのそれはまったく逆で、これといった展開や事件が少ない分、一つ一つをじっくりと、丁寧に描ける、という点で、映画の時間枠にはめ込みやすいのかも知れない。
 
 そういえば、ケイト・ウィンスレット主演の「いつか晴れた日に(ジェーン・オースティン原作『分別と多感』」もなかなか良かった。

 
 今回この「プライドと偏見」の映画を見た後で、あらためて原作を読み返してみると、映画では語られなかったそれぞれの事情や心理、その背景、因果関係などが細かくわかるし、ジェーン・オースティンが物語を通して物事をどのような
目で見ているか、それぞれの登場人物についてどう考えているか、その鋭い描写も、大きな楽しみの一つである。

05プライドと偏見 たとえば例の牧師、ミスター・コリンズ氏のことを、オースティンは次のように描写している。

「ミスター・コリンズは、あまり頭のいい男ではなかった。しかもその生来の欠陥が、教育によっても、ほとんど補われていなかった。彼の生涯の大半は、無学でケチな父親の膝下ですごされ、また大学にも通ったことはあるが、それすらただ規定の年限を在学したというだけで、益友をつくるなどということは、いっさいしなかった。父親の下で、ただ盲従だけを強いられて育ったために、はじめは妙に卑屈な態度になっていたが、その後それは、バカが独居することからくる自惚れと、若くして思わぬ成金になったことからする妙に尊大ぶった気持ちとに、大きく変わっていた」(新潮文庫『自負と偏見』P111頁より)

 原作のコリンズが「背の高い」でくのぼうであるのとは逆に、映画のコリンズはかなり小男だが、一連のちょっと気違いじみた言動、頭の悪さ、感じの悪さ、自惚れの強さ、というのは、映画でもとても良く出ている。

 それから僕の好きなのは、シャーロット・ルーカスが、エリザベスに自分とコリンズとの婚約を打ち明けるシーンである。
 小説でも映画でも、このシーンはいろいろと考えさせられる、ちょっと物哀しくもあるいい場面だ。
 シャーロットから婚約のことを聞かされて、エリザベスはびっくり仰天する。
 なんであんな男と?
 しかもつい3、4日前に、自分にプロポーズしたばかりだというのに。


 そんなエリザベスに対して、シャーロットは次のように言う。

 私は別に、結婚出来さえすればそれでいい。
 私にはロマンスなんて贅沢なの。

 私は不器量だし、財産もない。
 このチャンスを逃したら、私はこの先一生結婚できないかも知れない。いい縁があるとも思えない。
 そしてコリンズさんにはそれなりの財産も地位もある。

 私は別にロマンスなんて望んでいないの。
 結婚できて、安定した暮らしがあって、自分の家庭が持てて、それだけで十分だわ。


 エリザベスには、ただ世俗的な利害だけを考え、その他の気持ちなどいっさい犠牲にして結婚しようとしているシャーロットの行動が信じられない。そもそも愛情のない結婚など、まったく考えられないのがエリザベスである。

 しかし確かにエリザベスの言うことも正論だが、シャーロットの言うことも間違ってはいない。
 現実的な意味合いにおいて、シャーロットの言うことは正しい。
 あてのないロマンスをただ夢見ていても、それだけでは生きていけない。
 人生とは、そんなに甘くはない。

 僕はこのシーンがとても好きだ。
 二人の生き方は非常に対象的だが、どちらの気持ちもわかる。
 そしてシャーロットの選んだ生き方には、現実を厳しく生きようとする強さと、潔さと、たくましさが感じられる。
 もちろんシャーロットは、じゅうぶん納得づくで、そのような道を自分で選んだのだ。
 映画ではあまり多くは語られないが、原作では彼女は、「今回の結婚が自分にとって何か幸福を約束してくれるように思う。この結婚が、ほかの人の結婚に負けるとは思わないの」と言う。
 エリザベスは、そのために犠牲にされるもののことを思う。
 そして結婚とは果たしてなんだろうかと考える。
 シャーロットの心の痛みについて考え、自分自身の痛みについて考える。
 「プライドと偏見」の名シーンの一つであると思う。


 とりあえず、現在198ページ目。
 エリザベスがウィッカム君にどんどん惹かれ、ミスター・ビングリー氏がジェーンをおいて、ロンドンへと発ってしまったところです。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


 

自負と偏見

イギリスの田舎町、五人姉妹のベネット家の隣に、青年紳士ビングリーが引越して来る。温和で美しい長女ジェーンと才気溢れる次女エリザベス、そして快活なビングリーとその親友で気難し屋のダーシー。ところが、エリザベスが高慢で鼻持ちならぬ男と考えていたダーシーが、実は誠実で賢明な紳士だと判った時…。二組の恋の行方と日常を鋭い観察眼とユーモアで見事に描写した名作。

映画『キング・コング』オリジナル・サウンドトラック

映画『プライドと偏見』オリジナル・サウンドトラック


音楽は「In The World」でベルリン映画祭金熊賞を受賞した実力派ダリオ・マリアネッリ。そしてピアノを担当しているのがフランスの貴公子ピアニスト、ジャン=イヴ・ティボーデ。
『ピアノ・レッスン』を髣髴とさせる美しいスコアが展開されます。



January 11, 2006

マイクル・クライトン「恐怖の存在」を読み始める

 3日ぐらい前から、マイクル・クライトンの「恐怖の存在」を読み始めた。
 「ダ・ヴィンチ・コード」から始まった久々の読書熱。
 ついこの間、同じダン・ブラウンの「天使と悪魔」を読み終え、今度は「恐怖の存在」と、読むジャンルがどうも蘊蓄づくめに偏っている。

 しかしこの「恐怖の存在」、久しぶりのマイクル・クライトンだが、ちょっと難しすぎるような・・・。
 まだ読み始めたばかりなのでなんとも言えないが、忙しい合間を縫っての読書としては、ちょっと骨の折れる本である。長いのと難しいのとで、なかなか進まない。疲れて眠い時なんかは、とても読めない。
 まあマイクル・クライトンのことだから、はずれはないと思うのだが。
 期待して、なんとか根気よく読み進むとしよう。

 ところでダン・ブラウンの「天使と悪魔」は、期待を裏切らずとても面白かった。
 クライマックスの盛り上がりと意外性、そして主要人物達の精神性への洞察、昇華、といった面では、ある意味、「ダ・ヴィンチ・コード」を超えていると思う。
 というより、「天使と悪魔」の方が先に出版されたわけだが。
 とにかく本当に面白かった。

 「天使と悪魔」は、また時間のある時にじっくりレビューを書きたいと思います。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ダ・ヴィンチ・コード ヴィジュアル愛蔵版

絵画とともに、謎を解く旅へ−

読んだ人にもこれから読む人にもうれしい、豪華愛蔵版!内容に登場する絵画や紋章、地図や写真など140点をふんだんに盛り込みました。小説の世界により深く接するための豪華カラー版。

4,725円(税込)

ダ・ヴィンチ・コードの謎(DVD)

サイモン・コックスによる世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」に記された“キリスト教の消された歴史”は真実なのか?レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に隠されたさまざまな謎を、映像や解説で紐解くドキュメント。

3,500円(税込)

ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く 世界的ベストセラーの知的冒険ガイド

『ダ・ヴィンチ・コード』で提示された謎を66のキーワードで読み解く。本書は、欧米の各書店で『ダ・ヴィンチ・コード』と併売され、ノンフィクション部門のベストセラーとなっている一冊。

1,470円(税込)


ダ・ヴィンチ・コードの「真実」―本格的解読書決定版

ダ・ヴィンチはなぜ暗号を使ったのか?マグダラのマリアは一体何者なのか?秘密結社は何を行ってきたのか?そして聖杯とは…?謎が謎を呼ぶ『ダ・ヴィンチ・コード』の世界。「真実」か「虚構」か?時代を超えた「最大級のミステリー」に挑む!!

1,680円(税込)

ダ・ヴィンチの暗号を解読する―図説ダ・ヴィンチ・コード



1,470円(税込)

 ダン・ブラウンの本



November 19, 2005

「ダ・ヴィンチ・コード 愛蔵版」を読む

ダ・ヴィンチ・コード

 先週の日曜日に買った「ダ・ヴィンチ・コード」の愛蔵版を読み終えた。
 「ダ・ヴィンチ・コード」は1年半ぐらい前に出版され、ずいぶん話題になった。
 すでに全米で1,000万部超え、日本でも100万部超えと、売れに売れている。それに便乗して関連本が何冊も出たし、テレビでもダビンチに関する特集が何度か組まれた。

 僕も前々から、本屋で表紙を見かけるたびに読んでみたいなと思ってはいたのだが、上下巻合わせて3,780円もするし、分量的にもかなりの小説なので、なかなか手を出す機会がなかったのだが、たまたまこの間本屋に寄ったら、今まで見慣れた上下巻ものとは違う、「愛蔵版」という分厚い本が目に入った。

 愛蔵版は、全部で621ページ。
 そのうち本編が606ページ、残りは著者の謝辞、荒俣宏氏の解説、図版クレジット、である。
 A5よりも少し小さいぐらいの大きさのハードカバーで、本の厚さは5僂阿蕕ぁ手にとるとずしりと重い。税込で4,725円。

 上下巻合わせたよりも1,000円も高いのだが、この愛蔵版のもっとも大きな特徴は、本の帯にもあるとおり、小説に登場する絵やイラスト、建物の写真などがページのところどころにフルカラーで散りばめられていることである。
 帯に書かれた文章をそのまま抜粋すると、

「作中に登場する美術作品や建築物、場所、象徴など140点を収録。読んだ人にも、これから読む人にもおすすめ、小説の世界により深く接するための、豪華カラー版!
 絵画とともに、謎を解く旅へ−−」

 最初に出版された上下巻にはそういったものが何もないのに比べて(ただの小説なんだから当たり前なのだが)、たしかにビジュアル的に臨場感を持って読むことが出来るし、装丁も美しく豪華で高級感がある。
 ダ・ヴィンチのカラヴァッジョ、モナリザ、最後の晩餐、、などの絵画、ルーブル美術館、シャルトル大聖堂の異教徒の象徴、ウェストミンスター寺院などの美しい写真。
 手にとってページをパラパラと繰り、少し迷った末、買うことにした。
 そういう写真や図版つきで初めてこの「ダ・ヴィンチ・コード」を読めるのは、もっとも話題になった発売当初に上下巻で普通に読んでいたより得である気がした。
 魅力的である。
 それに考えてみるとこのところ忙しくてまともに本を読んでいないし、少し腰を落ち着けて、じっくりと小説を読んでみたい気分になった。

 とにかく面白かった、というのが、読み終えてみての感想である。
 読み出したら止まらない、徹夜してでも読みたい本、とよく紹介されているけれど、まったくそのとおりという感じで、期待を裏切らない内容だった。
 本当に面白くて、読むのをやめられない。
 僕は本を読むのは結構遅い方なのだが、そして毎晩結構仕事が遅いのだが、606ページもある小説を、正味5日たらずで読んでしまった。

 膨大な量になると思われる資料に裏付けられた学術的情報を大量に記述しながら、それをまったく難しいと感じさせることなく、読者を軽快に、ぐいぐいと先へひっぱていく力。緻密な取材と知識に基づいた、ストーリーテリングの巧みさ。
 読みながら僕は、高校生の頃、初めてマイクル・クライトンの「ジュラシック・パーク」を読んだ時の感触と、感動を思い出した。
 主題に据えられた大きな謎に向かって、結末まで一気に興味を引っ張られていく。先が気になって仕方がない。
 まさに長編ミステリ小説の醍醐味だ。
 そして結末はほろりとしんとして、心地のいい充足した余韻が残る。
 本当に面白い長編小説を読むことが出来た時の、たっぷりとした満足感がある。
 こういう知性と想像力に溢れた、頭のいいエンターテイメント小説が僕は大好きである。

 とにかく面白い、という点もさることながら、ダ・ヴィンチが絵画に隠したとされる暗号、聖杯伝説、キリスト教の歴史、十字軍、テンプル騎士団、シオン修道会、秘密結社フリーメーソン、マグダラのマリア・・・など、この本には様々な薀蓄が全編を通して展開される。小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいているということだが、読み進むにつれ、人類の精神の歴史について、多くの点で啓蒙される感覚を味わう。
 この本を読んだ後では、ダ・ヴィンチの絵や、キリスト教の成り立ちや、西洋文化の歴史などについて、今までとは同じ目で見られなくなってしまう。
 本当に面白い本・・・とりわけこういうエンターテイメント作品というのは、やはりそういうスリリングで、わくわくするような、今まで自分が知らなかったものとの出会いや発見があると思う。子供だましの派手な筋書きやアクションに終わらない。

 とにかく本当に、文句なく面白かった。
 本を読みながら、ルーヴルのあるフランスや、ロスリン教会のあるイギリスに旅行したくなってきた。

■ 05/12/27 投稿 映画『ダ・ヴィンチ・コード』 最新情報

・追記

web角川で特集が組まれているので、興味のある方はこちらをどうぞ。
 「立ち読み」ページで、冒頭からかなりの文章を読むことが出来ます。

  http://www.kadokawa.co.jp/sp/200405-05/

 それから、ダヴィンチ・コードは映画化されて、2006年5月19日に全米公開されるみたいである。
 主人公の大学教授はトム・ハンクス、ジャック・ソニエールの娘役にオードリ・トゥ・トゥ。
 僕は「ジュラシック・パーク」の時に、ずいぶんがっかりした記憶があるので、基本的には小説の映画化というのはあまり期待していないのだけれど・・・たぶん観に行かずにはいられないんだろうな。

 ダ・ヴィンチ・コード 映画公式サイト(ソニー・ピクチャーズ)
 http://www.sonypictures.jp/movies/thedavincicode/

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
関連商品

ダ・ヴィンチ・コード ヴィジュアル愛蔵版

絵画とともに、謎を解く旅へ−

読んだ人にもこれから読む人にもうれしい、豪華愛蔵版!内容に登場する絵画や紋章、地図や写真など140点をふんだんに盛り込みました。小説の世界により深く接するための豪華カラー版。

4,725円(税込)

ダ・ヴィンチ・コードの謎(DVD)

サイモン・コックスによる世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」に記された“キリスト教の消された歴史”は真実なのか?レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に隠されたさまざまな謎を、映像や解説で紐解くドキュメント。

3,500円(税込)

ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く 世界的ベストセラーの知的冒険ガイド

『ダ・ヴィンチ・コード』で提示された謎を66のキーワードで読み解く。本書は、欧米の各書店で『ダ・ヴィンチ・コード』と併売され、ノンフィクション部門のベストセラーとなっている一冊。

1,470円(税込)


ダ・ヴィンチ・コードの「真実」―本格的解読書決定版

ダ・ヴィンチはなぜ暗号を使ったのか?マグダラのマリアは一体何者なのか?秘密結社は何を行ってきたのか?そして聖杯とは…?謎が謎を呼ぶ『ダ・ヴィンチ・コード』の世界。「真実」か「虚構」か?時代を超えた「最大級のミステリー」に挑む!!

1,680円(税込)

ダ・ヴィンチの暗号を解読する―図説ダ・ヴィンチ・コード



1,470円(税込)

 ダン・ブラウンの本



September 01, 2005

「悲しい本」

 久しぶりに本の紹介。
 原題は「sad book」。
 文字通りのタイトルの絵本である。
 「悲しい本」。
 
 ぶらっと本屋に入ったら、この本が新刊コーナーに平積みにされていて、興味を惹かれて手に取ってみた。
 まずタイトルが目を惹くし、装丁も美しく、イラストも独特の雰囲気とセンスがありとても良い。

 この本には、息子を失って悲嘆に暮れる男が登場する。
 その悲しみ方の描写が、とても客観的でシンプルなのだけれど、それだけに、読者に自分自身のこれまでの悲しみを想起させ、共感させる力を持っている。
 物語が進むにつれて、息子を失ったという決定的な悲劇的事実とは別に、そうではない、個人をふいに襲うあらゆる悲しみついて書かれる。

 人は時に、特に理由なんかなくても、悲しみにとりつかれてしまう。
 何があったというわけでもなく、何もかもが悲しく思える時というのがある。
 それは誰にでもあることだし、一度その深みにはまりこんでしまうと、なかなかそこから這い上がれなくなってしまう。

 物語の最後に訪れる、作者が描く悲しみからの脱出法・・というよりは、悲しみをいかにやり過ごすかという方法は、ささやかだが感動的で、人が何によって癒されるかという、当たり前で平凡だけれど、暖かで確かな手応えがある。
 
 この本を読むと、悲しみを共有する誰かがいるということ、それ自体が、人を癒す力そのものなのかも知れないなと思う。
 悲しい、という感情は、そもそも人間が内包している、逃れがたい宿命的なものだ。
 たとえ息子を失わなくても、あるいは妻や友人や、飼っている猫を失わなくても、人間とは本質的に、悲しみ続けていく存在である。
 誰でも結局のところ、常に何かを失い続けていく。
 だからこそそれを共有する誰かが必要であり、この本に書かれているような、自分にとってのささやかな、癒しの瞬間が必要になる。

 絵本だし、文章も短くてさらっと読めてしまうのだけれど、とても味わい深くて、心に染み入る本だ。
 何度も読み返したくなる。
 自分が悲しみに落ち込んでしまった時、ふっとその重荷を軽くしてくれるような、そんな力を持った本です。

 ぜひご一読を。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

悲しい本

2005年 第52回 産経児童出版文化賞・美術賞受賞
Mローゼン作/Q.ブレイク絵/谷川俊太郎訳 
定価1,470円 (本体1,400円+税)

 愛する者の死がもたらす悲しみを、徹底して見つめる中から浮かびあがる、命あるものへの慈しみと、深い慰めを描いた感動の絵本。
 イギリス、アメリカ、オーストラリア、フランス、オランダ、ポーランド、日本、韓国、台湾の世界9ヶ国で発売!!



April 10, 2005

日本語表現大辞典

 ついこの間、日経新聞の一面の下の方にこの本が紹介されていた。
 会社で昼飯を食べながら、なんの気なしに記事を読んでいたのだが、これがなかなか面白そうだったので、すぐにネットで調べてみた。
 本の帯には、
 ”「夕方」をどうイメージ表現する?「痛い」の比喩表現は?「青い」の類語は?
 日本を代表する作家の名表現が「言葉の悩み」をたちまち解消!!”
 とあり、
 「あの時、この言葉遣いを知っていたら、うまくいったのに」(永六輔)
 「心模様を巧みに織り上げてくれる辞典」(飯田朝子)とある。
 つまりどういう本かというと、作家264人、作品数868の中から、その比喩や文章表現をあいうえお順に三万三八〇〇例集めたものである。しかも著者の小内一(おないはじめ)さんという人が、約十年ぐらいのうちにたった一人で集めたというから驚きである。
 僕は昔から辞書、事典のたぐいがわりと好きなのだが、こういう種類の本は結構めずらしいし、面白そうなので、さっそくネットで注文してみた。

 それが二日前に届いた。
 その中のほんの一部を紹介すると、たとえば「愛する」という言葉では、
 ・体がバラバラになるほど愛される(半村良)
 ・溺れるように夫を愛する(川端康成)
 ・待たせた時間を埋めようとするかのように激しく愛する(落合恵子)

 「苦しい」という言葉では、
 ・息の根がとまるかと思うくらい苦しむ(吉本ばなな)
 ・青竹を炙(あぶ)って油を絞るほどの苦しみ(夏目漱石)
 ・人類の苦悩を一人で背負ったような顔(富岡多恵子)
 ・瞳が、人妻を奪う罪深い男の苦悩をありありと刻む(菊池寛)
 ・燃えつきようとする日の最後の輝きのような苦悶と恍惚に彩られた顔(加賀乙彦)

 「感動」では、
 ・熱いものが腹の底から湧き上がって来る(平岩弓枝)
 ・膝頭がガクガクするような気がする(高橋和巳)
 ・全身が凍えるような感動を覚える(久間十義)
 ・戦慄に似た感動を覚える(三浦綾子)
 ・言葉にしようとすると消えてしまう淡い感動を胸にしまう。
 
 などなどである。
 こういうのを眺めていると、日本語の表現というのは本当に豊かで繊細なものだなあとあらためて感心します。
 「驚いた」とか「腹が立った」とか「面白かった」とか、自分の誤謬が少ないせいで、いつもだいたい適当な言葉、パターン化した言葉ですませてしまうのだけれど、それをステレオタイプではない、個人的体験として、どう他人にきちんと伝えていくか、どのようにリアルなイメージを伝えていくか、そういうことを考えさせられます。
 
 欲を言えば、マイクロソフトのエンカルタやブックシェルフみたいにCD−ROM版で販売して欲しいところだけど。
 でも特に目的もなく、ぱっと開いたページを読むのもまた楽しいし、意外な発見があったりして、これはこれで悪くない。
 自分のブログの文章表現に飽きた時、ちょっと手にとって眺めるにはいい本だと思います。

 日本語表現大辞典――比喩と類語三万三八〇〇

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。


February 16, 2005

アーサー・ミラー氏を偲んで・・・第3夜 「セールスマンの死」(2)

「偉大なドラマは偉大な疑問であり、さもなければただの技巧でしかない」
                〜「アーサー・ミラー自伝(上)」より

 (前回までのあらすじの続きです)

 青年だった頃のビフやハッピーに、ウィリーはよく自分の人生哲学を聞かせた。
 
 ウィリーの脳裏に、十数年前の幸せだった日々がよみがえってくる。
 ビフもハッピーも高校生で、ビフはフットボールの選手だった。
 
 「いいか、実社会ではな、個性的で魅力のある男が勝つんだ。愛想良くして、人に好かれれば困ることはない。わしはバイヤーに会うのに決して待ったりはせん。”ウイリーが来たよ!”そういえば、あとはスイスイだ」
 「俺の知ってるあるセールスマンは、電話一本で商売をする。そしてどこの町へ行っても、彼が行けば誰もが歓迎する。
 彼の葬式には本当に何百人という人が参列したもんさ」

 隣人である弁護士チャーリーの息子で、ビフと同級生であるバーナードがあらわれて、ビフに忠告する。
 「数学の試験に落ちると卒業できないって、先生が言ってたよ」
 ウィリーは鼻で笑ってバーナードを相手にしない。ビフには、三つの大学が奨学金を出そうと申し出ているんだぞ。
 いいかバーナード、そんなこと言ってるようだから、おまえたち一家はだめなんだよ。なんの面白みもない。

 若き日のリンダが、洗濯籠を持って出てくる。はじめはウィリーも景気のいい話をしているが、リンダから家や車やその他の支払わなければならないローンのことを聞かされると、次第に気持ちが沈んでいく。
 ウィリーには、実際には自分で言うほどの収入はないのである。そんなウィリーを、リンダは力づけようとする。
 大丈夫、お金のことはなんとかなるから。
 そんなリンダを見るにつけ、彼は旅先の寂しさを紛らわすらわすために寝た<ボストンの女>のことを思い出し、心が痛む。


 二幕に入ると、ウィリーは自分の会社の二代目社長であるハワードに会いに行く。
 家の最後のローンを払うための二百ドルを前借りさせて欲しいこと、それにもう、旅回りで長距離を行ったりきたりする年齢でもないし、これからはニューヨークの勤務にしてもらうこと、を頼んでみるよう、リンダからすすめられたからである。
 ウィリーはハワードに用件を切り出すが、彼は買ったばかりのテープ・レコーダーに夢中である。どうだい、声が録音できるんだ。すごいじゃないか?これが息子の声だ。これなら留守をしていても、声でメッセージを残すことだって出来るんだ。
 そしてハワードはウィリーに言う。ニューヨークにはあいたポストはないし、それにだいぶ疲れているようじゃないか?この際休養したらどうだい。

 ウィリーは懸命に訴える。先代の社長の頃から、自分がどれだけ会社に尽くしてきたか。ハワードが生まれた時、どんな名前にすればいいか一緒に考えてやったこと−−。
 しかしそんな話を聞いてもらえる余地はない。
 勤務の変更を求めにきたはずだったが、ウィリーは首にされてしまう。

 いつの間にか、ウィリーはチャーリイのオフィスにやってくる。
 そこには、今は立派な弁護士になっているバーナードがいる。
 ウィリーは思いあまってハワードに聞く。
 どうしてビフは、あんなになってしまったんだろう、何か思い当たることはないか、と。
 当惑しながらもバーナードは、高校三年の時のことを話す。
 「数学で落とされはしたものの、ビフは夏期講座で単位を取り直すつもりでいました。ところがおじさんに会いにボストンへ行って帰ってきてからというもの、すっかりやる気をなくしてしまった。そして自慢にしていた「ヴァージニア大学」と書いた運動靴を、燃やしてしまった。僕たちはそのとき、初めて殴り合いの喧嘩をやりました。おたがいに、泣きながら。
 今でも、ときどき不思議に思うんです、その時のことが、どうして一生を捨てちまったんだろうって。ボストンでなにかあったんですか?

 バーナードに質問されるうちに、ウィリーは逆上してしまう。
 「どうしようというんだ、おれを責める気か?子供が投げたのを、わしのせいだと言うのか?」

 やがてチャーリイがあらわれ、ウィリーに50ドル渡す。チャーリイはウィリーに、うちの会社で働かないかと言うが、ウィリーは頑なに断る。そしてさらに150ドルの金を借りて帰る。

 ウィリーは待ち合わせのレストランに行く。今夜は、ビフとハッピーがレストランで一緒に食事をしようと誘ってくれたのである。ウィリーが来る間、ハッピーは店にいた女に声をかけ、ビフのためにもうひとり女を呼ぶようにと言う。
 今日ビフは、以前勤めていた会社の経営者ビル・オリヴァーに会いにいく日だった。ハッピーの考案したすばらしいアイデア、”兄弟で経営するスポーツ用品店”の開業ための資金を借りるためにである。今日のこの食事は、そのお祝いになるはずだった。
 ウィリーはビフの背中を強く叩いて言った。「そうだ、おまえが本気になりさえすれば、そのぐらいの金いくらでも貸してもらえるさ」

 しかしビフは打ち明ける。一日中待たされたあげく、ビル・オリヴァーからは一顧だにされなかったこと。彼は、ビフのことなどまったく覚えていなかったのだ。そしてあげくのはてにビフは、ビル・オリヴァーの机の上に置いてあった万年筆を盗んできてしまった。
 ビフとウィリーの間に、はげしい口論が始まる。

 ・・・時間は過去へと遡り、ウィリーにとって、あのおぞましいボストンのホテルの一夜のことが思い出される。
 数学の試験に失敗したビフが父に相談しに来たところ、ウィリーは女と一つの部屋にいたのである。
 しかも、妻リンダがつぎはぎだらけの靴下を一所懸命に倹約して使っているというのに、ウィリーはその女に、シルクの靴下を何足もプレゼントしている。
 日ごろ尊敬し崇拝してきた父の偶像は、一挙に崩れる。弁解するウィリーに、「嘘つき!インチキ!」と叫び、ビフは泣きながら飛び出していく・・・。

 ウィリーが過去を回想している間に、ビフとハッピーは女と共にどこかへ去ってしまっている。
 一人家に戻ったウィリーは、中庭でビートやレタスの種を蒔いている。兄ベンの幻影があらわれる。
 ウィリーはベンに、自殺して二万ドルの保険金をビフに残してやりたいのだが、と相談する。
 
 遅く帰ってきたビフとハッピーに、リンダは怒り、二人ともこの家を出て行きなさい、と叫ぶ。どうしてお父さんにそんなひどいことが出来るの?自分たちで食事に誘っておきながら。とても楽しみにしていらしたのよ。

 ウィリーとビフは再び言い合いになる。ビフは言う。
「おれは人の頭に立つような人間じゃないんだ、あんただってそうだ。足を棒にして歩く注文取りに過ぎない。おれは一時間一ドルの
人間だ!七つの州でやってみたが、それ以上は取れない。一時間一ドル!・・・おれはくだらん男だ!つまらん人間だ!
それがわからないんですか?別に恨んでなんかいない。ただ、おれはおれだ、というだけさ」
 そう叫び、泣きながらウィリーにしがみつく。これを父への愛情と受け止め、また自分の人生が失敗だったことに気づいたウィリーは、その責任を受入れ、家を飛び出し、車を暴走させて去る。


 この物語は、寂しい葬式のシーンで幕を閉じる。ウィリーがセールスマンという職業に対して夢に抱いた何百人もの参列者などどこにもいない。彼を見送るのは、ただリンダとビフとハッピー、それにチャーリーとバーナードだけである。
 リンダは悲痛にすすり泣きながら、空しく問いかけるように呟く。
 「なぜ、あんなことをなさったの?家の最後の払いは、今日済ませました・・・でも、もう住む人はいない。借りも払いもみんななくなったのよ。これで、自由になったのよ。借りも・・・払いも・・・なくなってね・・・」

 「アメリカの知性」と呼ばれたアーサー・ミラーは33歳の時に、この作品でピューリッツァー賞を受賞した。
 1949年の初演、その後も今日にわたり、世界中で公演されている、すでに古典とも言われるほどの、演劇界の金字塔である。
 これを書いた時、あるプロデューサーはアーサー・ミラーに電話をかけてきて、「なんだってこんなに悲しい話を書くんだ?」と言ったそうである。「あんまりにも、悲しすぎるじゃないか」

 ミラーは後日、これを北京で自ら演出したときに、中国の役者たちにこう語っている。
「ウィリーは、とるに足らない人物などではない。彼は決して受身ではない。黙ってじっとしていれば、そのまま押しつぶされてしまうことを知っている。嘘や言い逃れは、まわりの悪魔を防ぐための小さな剣なのだ。彼の活動的性格は、人類を進歩に導くものである。確かにそれは破滅も生むが、進歩もつくる。彼の愚かさのかげにある、彼が実際に対決しているものに目をやってもらいたい。それは人間にとって大事なことなのだ。ウィリーの闘いの中には気高さがある」

 彼がその鞄に何をつめこみ、何を懸命に売っていたのか、それはこの原作の中にはどこにも書かれていない。
 それは1949年の初演以来、多くの人々の議論の種になっている。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。
参考文献
 アーサー・ミラー「セールスマンの死」
 アーサー・ミラー「アーサー・ミラー自伝」
 アーサー・ミラー「北京のセールスマン」
 全国アメリカ演劇研究者会議・発行「アメリカ演劇・6 アーサー・ミラー特集」

(アーサー・ミラーの本)
北京のセールスマン
アーサー・ミラー自伝〈上
アーサー・ミラー自伝〈下〉
アーサー・ミラー―劇作家への道
現代史を告発する―アーサー・ミラーの半世紀
アーサー・ミラー
ジェインのもうふ―アメリカのどうわ
アーサー・ミラー全集 1 改訂版 (1)
アーサー・ミラー全集 (2)
アーサー・ミラー全集〈6〉(新刊)



February 14, 2005

アーサー・ミラー氏を偲んで・・・第2夜 「セールスマンの死」

 新劇界における歴史的名作「セールスマンの死」について、舞台を見たことのない人、戯曲を読んだことのない人、またこの先もおそらく読むようなことはまずないだろうという人たちのために、その簡単なあらすじを、ご紹介したいと思います。
 持っていた台本を人に貸してしまっていて手元にないのですが、内容はだいたい覚えていますし、その他の資料なども参考にしながら、出来る限り記憶を掘り起こしてみたいと思います。
 それから、このサイトで扱う書籍、映画、演劇等については、基本的にすべてネタばれですので、ご注意下さい。
 

 舞台は1940年代のアメリカ、ニューヨークのブルックリン。
 物語は、主人公である老いたセールスマン、ウィリー・ローマンが夜遅く帰宅するシーンで始まる。
 彼は車に商品のサンプルを積み込んで地方を巡業し、新たな販路を開拓するセールスマンである。
 ボストンへの長い旅路のセールスに向かったはずの彼が、思いもよらず帰ってきたことに妻は驚きつつ、やさしく迎える。
 どうしたの?何かあったの?いや、ちょっとした事故があってね、たいしたことはないんだ。

 事故自体は、たしかにたいしたことではなかったが、しかしリンダには気がかりだった。同じような事故が、ここのところ何度も続いていたからだ。
 二人のやりとりが続く中で、リンダ(あるいはウィリーだったか)がもらす。
 車も、冷蔵庫も、洗濯機も、家も、やっとローンを払い終えて自分のものになると思ったときには、みんな駄目になってしまうのね。

 この何気ない会話が、このあとの物語のテーマを一貫してひっぱっていく、さりげない、しかし強烈な伏線となる。
 
 彼はセールスによって、学歴もなにも持たない人間が自分の腕一本で巨万の富を手にするという、まさにアメリカン・ドリームを信奉してきた男であった。
 若い頃はそれなりのセールスもあったが、今ではお得意先も次第に世代交代し、なじみの客もほとんどいなくなりつつある。昔のように、とにかく愛想良く、人に好かれさえすれば、そうしてコネクションをつくりさえすれば、物を買ってもらえるという時代ではなくなってしまっている。
 ようするに、彼は年をとりすぎたのだった。彼はすでに時代遅れであり、過去の人間であった。社会や価値観の変化は容赦なく彼を置き去りにし、
片道10時間もの距離を運転してセールスに向かうには、体力的にも限界だった。これ以上、セールスによる歩合給だけでやっていくのは無理がある。
 
 彼には二人の息子がいた。長男のビフと次男のハッピーである。
 長い間家を留守にしていたビフが、ゆえあって、家に帰ってきている。
 ビフは高校時代、アメリカン・フットボールの花形選手であった。誰もが一目置き、将来を有望視され、さまざまな有名大学からオファーがあった。
 「こいつは将来ぜったいに大物になる」
 ビフは、ウィリーにとってなによりの自慢の種だった。
 しかしビフは、ある出来事をきっかけに、大学進学を自ら放棄し、その後は職を転々としていた。何をやっても長続きしなかった。今は西部の牧場で働いていて、一時帰郷したのだという。
 あれほど自慢だった息子、あれほど将来のあった息子が、なぜ今そのような状態に甘んじているのか、ウィリーには理解することが出来ない。
 おまえには、人並み以上の能力がある、おまえが頼みさえすれば、どんな所にだって就職できるはずだし、もし本当に自分の力を試してみたいというのなら、その事業資金ぐらい簡単に貸してもらえるはずだ。
 ウィリーは今でもそう信じている。
 いったいなぜ進むべき道を決めかね、人生をそのように無為に費やしているのか?

 家族を愛し、家族のためにこれまで懸命に働いてきたウィリー。
 なのになぜ息子たちは、今このような状態にあるのだろう。

 過去の栄光ののち、失敗と挫折続きで、何をやっても長続きせず、敗北主義とも言える自堕落な生活を送り、軽犯罪にも手を出し、自分自身をなんとかしようという気持ちはあるものの、どうしていいかわからず、失意の日々を送るビフ。
 自信過剰で、実行力のともなわない大言壮語ばかり吐き、女ったらしで軽薄な遊び人のハッピー。
 
 ビフが、今では自分のことを憎んですらいることに、ウィリーは気づいている。
 
 物語は、過去と現在、そしてウィリーの心像風景を詩的に、たくみに織り交ぜながら、進んでいく。
 そして次第に、なぜビフが父を憎むようになったかも、過去の出来事から明らかになってくる。
 
 そして重要なのが、ウィリーの過去における、ウィリーの父親との関係、、そして兄との関係である。
 ウィリーの意識の中で、極度に美化されたかのようなイメージをまとって、二人はあらわれる。
 ウィリーの父親は、西部開拓時代の最後を生きた、ロマンのある男であった。兄はアラスカに赴き、そこで一攫千金を手にした、まさに時代の成功者であり、「アメリカの夢」を体現したような人物であった。
 記憶の中で、さかんにベンがウィリーに語りかける。アラスカに行こう。
−−なぜアラスカに行かないんだ?
 
 セールスにあくせくと走り回り、疲れた体をひきずるようにして、ローンの返済に追われる小さな家に帰ってくるウィリーとは、実に対照的な二人。
 二人の姿はときにウィリーを、憧れへ、夢へと駆り立て、また死へと駆り立てることにもなる・・・。
 
 ビフがなぜ高校時代、あれほどの期待を体に浴び、その実力も備えながらも、大学進学を放棄することになったのか。
 
                                       続く。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。


February 13, 2005

アーサー・ミラー氏の死

 「セールスマンの死」などの名作で知られるアメリカの劇作家アーサー・ミラー氏が10夜、コネティカット州の自宅で、鬱血性心不全のため亡くなった。八十九歳だった。

 という記事を今日新聞で見て、僕は愕然としてしまった。
 ついこの間もこのブログで彼の著書「北京のセールスマン」について少し書いたばかりだった。

 「セールスマンの死」の戯曲を読んで以来、ミラー氏はぼくにとって演劇の、そして人生の、大きな精神的師であった。
 尊敬する人は?と聞かれたら、彼の名をはずしては考えられなかっただろう。
 彼が与えてくれた影響は大きい。
 とりわけ演劇に正面から向き合おうとするとき−−これから稽古に入ろうとするとき、あるいは劇作や、脚色に取り組もうとするとき、彼の文章は、いつも僕に一つの指針をさし示してくれた。

 こんなにも素晴らしい劇作家がいるのだという感嘆と尊敬の気持ち、そして自伝などから感じ取ることの出来る、彼の社会に対する温かくも鋭く厳しい視線。何事をもなおざりに、ないがしろにしないその毅然とした姿勢。
 僕にとって彼は、演劇における精神的支えであり師であるとともに、永久に越えることのできない憧れだった。

 1950年代のマッカーシー旋風(赤狩り)を強烈に批判した、17世紀末にセイラムで起こった魔女裁判を題材にした「るつぼ」では、当時、多くの映画人、劇作家やその他多くの芸術家がその政治的圧力な前に屈し、その後の人生を大きく、決定的に方向転換させてしまった中にあって、彼は断固として自分の信念を貫き通した。
 「私は自分の良識を守りたい。他人の名前を引き合いに出して、その人たちに迷惑をかけるわけにはいかない」

 公演は上演寸前で禁止され、海外公演のための渡航手続きでは旅券の発行を拒否され、下院非米活動委員会での喚問では、上記の発言と証言拒否により、国会侮辱罪に問われた。

 彼が劇作する上で常に考えていたこと、そのもっとも大きなモティベーションであったのは、その人物がいったいどこから来たのか、なぜものごとや人々が現在の状態になったか、ということに対する不思議であったように思う。
 それはつまり、どのような真理が人生を支配しているか、なぜ彼はそうならなければならなかったのか、あるいは死ななければならなかったのか、ということである。人間を、常に社会的存在として、家庭、社会、国家といった連帯性の中でとらえ、家庭劇のスタイルの中に、その倫理的基盤と社会的責任、正義観と、試練を見出した。
 彼が重視したのは、因果関係に基づくプロットであり、加えてそこには、「セールスマンの死」に顕著にみられるような、「高みへと向かおうとする」精神、人間にとってもっとも価値ある、守るべきものに対する戦いがあった。


 本当に、本当に、惜しい人を、かけがえのない人を亡くしました。
 ご冥福を祈ります。

北京のセールスマンジェインのもうふ―アメリカのどうわ
アーサー・ミラー全集 1 改訂版 (1)
アーサー・ミラー全集 (2)
北京のセールスマン
アーサー・ミラー自伝〈上〉
アーサー・ミラー自伝〈下〉
アーサー・ミラー―劇作家への道
アーサー・ミラー全集〈6〉
現代史を告発する―アーサー・ミラーの半世紀
アーサー・ミラー



February 08, 2005

”O・ヘンリ「賢者の贈り物」”へのみどりさんのコメントへのコメント

結婚について01(結婚について)

 みどりさん、コメントをありがとう。
 トップページで返信するというのがブログで一般的によく行われているのかどうかわからないけれど、なんだか長くなりそうだったので、ここに書いてしまうことにします。
 まあこういう好き勝手が出来るところが、ブログの一番いいところですね。
 これという決まりがないし、誰かに気兼ねすることもないから。

 結婚てなんだろう−−深淵な問いですね。
 これといった正解はないし、ある程度の一般論ならいくらでも言えるけど、それが必ずしも正しくて、誰にでもあてはまるというわけではない。

 でもトルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の出だしに、
「すべての幸福な家庭はどれもみな似通っているが、不幸な家庭はみんなそれぞれに違う」
というような有名な言葉があるけれど、これは確かに本当にそうだよな、とたまに思うことがあります。
 幸福な家庭の姿というのはなんとなくイメージできるし、どんな風にお互いが接しているか、どんなことを大切にしているか、というのも、想像しやすい。そこには何か共通した「温かさ」のようなものがあります。

 まあ、トルストイ自身は、結婚生活にこっぴどく失敗して、非業の死を遂げているんだけど。

 でも不幸な家庭の、その原因というのは、本当に千差万別で、普通に暮らしている人には、まったく想像もつかないような問題を抱えていたりする。スキャンダルというのはだから面白いんですね。え、嘘でしょ、なにそれ、マジで?というような、信じられないぐらいびっくりするような、他人の不幸がそこにはあります。

 みどりさんもそろそろ、一般的に言うところの適齢期ですよね。
 いろいろ考えるところがあるのかな?
 でもよく言うことだけれど、最終的には、結婚というのはタイミングと勢いだと僕は思いますよ。
 だって、今すぐ結婚しなくちゃいけない理由なんて、普通に暮らしてたらなかなか見つからないです。
 そして、その選択が最善だったのかどうなのか、それは誰にもわからないし、ある程度ここだと思ったところで、そういう勢いに「えいっ」と乗ってしまわないと、時には重要な機会を逃してしまうこともある。
 まあその見極めが、難しいんだけどね(笑)。

 僕もまだ結婚して二年半だし、なにが一番いいかなんてわからないし、誰かにアドバイスを与えられるほどの経験も積んでいないけれど、まあおおむね幸せにやっています。
 そしてのろけているわけではないけれど、今まで数え切れないくらいの失敗を犯してきた僕の人生において、嫁さん選びだけは、僕の数少ない賢明な選択の一つだったと思う。それは自分でも幸せなことだと思います。

 トルストイの「すべての幸福な家庭は・・・」という言葉についてもう一度考えてみると、どうすれば結婚生活で幸せになれるか?ということを考えるには、どんな不幸に自分が陥りたくないかと考えるよりはむしろ、どんな幸福な家庭が持ちたいのかということを出来るだけ楽しくイメージして、そのためにがんばることと、そのための「決意」をすることが大事なんじゃないかなという気がします。不幸やトラブルというのはどんなに気をつけていても来るときには来るものだし、心配してみてもきりがないものだから。
 すごく抽象的で申し訳ないんだけど。 

 でもみどりさんは、すごく古風な言葉で言うと「自立した女」みたいなしっかりしたところがあるし、やりたいこともまだまだいっぱいありそうだから、そのへんであるいは悩んでしまうのかもしれませんね。
 いずれにしても、「愚痴しか言わない」結婚生活には出来るだけ陥らないですむように、お互いがんばりましょう。

 またそのうちに、楽しい芝居を一緒にやりましょう。

ヒデちゃんより

結婚について02結婚について、いろいろとご意見がありましたら、ぜひコメントをお寄せください。


人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。



February 05, 2005

O・ヘンリ「賢者の贈り物」

 このあいだO.ヘンリーの短編集を古本屋で買ったので、昨日から読み始めた。
 僕は今までO・ヘンリを読んだことは一度もなくて、これが初めてである。
 15編入っている内、「賢者の贈り物」と「アイキイの惚れ薬」「手入れのよいランプ」の3編をとりあえず読み終えたところだ。
 「賢者の贈り物」は有名だから、ほとんどの人がおそらく一度はその内容を聞いたことがあるだろう。
 クリスマスだというのにとても貧しい、若い新婚夫婦の話だ。
 
 二人はとても愛し合っているのだが、お互いに、相手に何かを買ってあげられるような余裕がない。
 妻は決意して、自分の唯一の自慢である髪を売り、夫の金時計のために時計鎖を買う。
 夫は決意して、自分の唯一の自慢である金時計を売り、妻の美しい髪のために櫛を一揃い買う。
 かくして、二人のプレゼントは、どちらもなんの役にも立たなくなってしまう。
 O・ヘンリはこの短い物語の最後をこう締めくくる。
 「しかしこの世の中において、贈り物をあげたりもらったりする人々の中で、この二人のような人たちこそ最も賢明なのである。どこにいようとも、彼らこそは「賢者」なのだ。」
 
 小説としてそれほど面白かったというわけでもないのだが、しかし、「うん、確かにこういう夫婦じゃなくちゃいけないよなあ」
と、僕は妙に感心してしまった。
 
 昔ケビン・コスナーがその出世作である主演映画「アンタッチャブル」で、「結婚はいいものだ。結婚はいい」としきりに呟いていたけれど、確かに「結婚ていいものだな」、と僕もたまに思うことがある。
 別にのろけているわけじゃないですよ。
 そんなスイーツな気持ちで言っているわけではなくて、ただ事実として、結婚てやっぱりいいもんです。
 一言じゃ言えないけど、いろんな意味で。
 よその夫婦のことはよくわからないけれど。
 
 いずれにしても、どうせ死ぬまで一緒に住むと決めた相手なのだから、この「賢者の贈り物」のように、いつまでもお互いを思いやる気持ちを持ち続けたいものである。
 嫁さんは大事にしておくに越したことはないし、持ち上げられるとき、機嫌をとれそうな時には、とことんやっておいた方がいい。
 これも、いろんな意味で。
 
 それにしても、「アンタッチャブル」は面白い映画だった。
 
 
 ↓今日文房具屋にいったついでに買ったマグネットクリップと、金色のクリップ。たいしたものではないのだが、結構気に入ってしまった。
 
クリップ

January 31, 2005

ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」

 今日で1月も終わりである。早いものだ。
 しかし時の過ぎ去るのがこんなにも早いのに、僕はなんだかいつもくだらないことばかり書いている気がする。
 ということで、今日は名言を一句(というには長いのだが)、紹介してみようかと思う。
 昔読んで、その時はとくにそれほどの強い印象を受けたわけではなかったけれど、なぜか今でも心に残っている言葉。
 というのが、誰にでもありますよね?
 そういうのは、いろいろと浮かんでくるのだけれど、最近なぜか頻繁に心に浮かぶ文章を引用します。
 まあ書くネタのない日の、”名言シリーズ”ということで。
 以下、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」の冒頭から。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 なんぴとも一島嶼(いちとうしょ)にてはあらず
 なんぴともみずからにして全きはなし
 ひとはみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)
 本土のひとひら そのひとひらの土塊(つちくれ)を
 波のきたりて洗い行けば
 洗われしだけ欧州の土の失せるは
 さながらに岬の失せるなり
 汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり
 なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
 みずからを殺(そ)ぐにひとし
 そはわれもまた人類の一部なれば
 ゆえに問うなかれ
 誰(た)がために鐘は鳴るやと
 そは汝がために鳴るなれば
    
                 ジョン・ダン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このジョン・ダンという人は、16世紀から17世紀にかけての、イギリスの有名な詩人です。
 小説の中の訳注によれば、彼はその思想と学識、情熱とウィットを駆使して、いわゆる形而上派詩人の第一人者ととして、T・S・エリオットやイェーツ、その他多くの詩人に、大きな影響を与えた人だそうです。
 ヘミングウェイも、この詩に触発され、「誰(た)がために鐘は鳴る」という詩の中の一説を小説のタイトルに使っているわけです。
 
 僕はヘミングウェイの小説は、どちらかというと短編の方に好きなものがいくつかあるのですが、長編の中でもこの「「誰がために鐘は鳴る」はわりに好きでした。「老人と海」はもちろん文句なく素晴らしい作品だと思いますが、「日はまた昇る」なんかは、読んでもちっとも面白いとは思えなかった。
 それを読んだ頃は、たぶん僕の中で、そういった作品世界を受け止めるだけの素養がなかったのでしょう。
 
 「誰がために・・・」も「面白いな」とは思ったものの、その作品世界と同時に、このジョン・ダンの言葉が、こんなにいつまでも心の片隅に残り続けるとは思いませんでした。
 この詩は、書いてあることは言葉が古いせいかなんだか難しいですが、述べていることの趣旨は簡単で、僕なりに乱暴に要約すると、
 
「人は皆、大陸の一部である。一人一人は大地のほんのひとかけらかも知れないが、一人が失われるということは、まさしく岬のひとつを、大陸そのものを失うことに等しい。個人が死ぬということは、単に個人の死とどまらず、人類全体の損失であるといえる」
 
 ということになると思います。
 
 「誰がために」はまさしく戦争という非常事態を扱った物語であって、戦争や人間の命について、当時のヘミングウェイが書かずにはいらなかった、
やむにやまれぬものがテーマとしてすえられています。
 人生において、個人が個人として背負わなければならないもの、その宿命性を彼独特の厳しい諦観をもって受け止めたヘミングウェイですが、
この詩と、作品の中に、彼は人類全体の中の自分、個人の、世界全体への献身の姿の形を見出しています。
 
 「・・・ゆえに問うなかれ。誰(た)がために鐘は鳴るやと。そは汝がために鳴るなれば」
 なぜこの詩が、そんなにいつまでも、時に触れて気になるんでしょう?
 それは僕にもよくわかりません。
 
 ただ演劇や、あるいは何かの表現活動や自己実現の根底には、最終的には、世界の片隅からの、そういったメッセージが密やかに込められているような気がするのです。
 舞台を上演すること、演技すること、何かの物語をつむぐこと。歌を歌うこと。ダンスすること。あるいは世の中の、あらゆる価値ある仕事において。
 
「・・・ゆえに問うなかれ。誰(た)がために鐘は鳴るやと」
 


January 21, 2005

北京のセールスマン

 無人島に一冊だけ本を持って行くとしたら?
 という質問を、たまに聞くことがある。
 実際、そんな羽目におちいるようなことはまずないと思うのだが、これはなかなか深遠な問いである。
 真剣に考えても、なかなかこれという答えが出ない。何を選んでも、何かが足りないような気がしてしまう。

 だいたいそんなこと、本当のところ誰にもわからないんじゃないかと思う。だってたとえ今どれほど好きな本でも、将来的に自分がずっとその本を必要とするかどうか、あるいは別の本を本当は必要とするのかどうか、誰にわかるだろう?
 「聖書」とでも簡潔に答えることができたら楽なのだろうが、あいにく僕にはそういった特別な信仰もない。
 僕の奥さんに聞いたら、「無人島には本なんて必要ないわよ」ということだった。
 なるほど。
 
 普段はもちろん、そんなことはまったく考えてもみないのだが、しかしそれでも年に何度か、僕はこの質問を自分自身に切実に問いかけざるを得ない場面に直面することがある。
 つまりそれは、旅行に出かける時である。
 
 僕は明日から東京へ、劇団昴の「ゴンザーゴ殺し」を観に1泊二日で行くのだが、さて、一体なんの本を持って行けばいいだろう?
 たかだか高速バスで、片道四時間、往復八時間の旅である。
 つまらない悩みと言われれば確かにそうなのだが、悩み出すと、結構きりがない。
 
 一週間前から僕の中で候補としてあがっていたのは、
 1.マーガレット・A・サリンジャー「我が父サリンジャー」
 2.ヴァージニア・ウルフ「ある作家の日記」
 3.アントン・チェーホフ「短編と手紙」
 4.アーサー・ミラー「北京のセールスマン」
 5.L.M.モンゴメリー 「赤毛のアン」
 である。

 4の”北京”以外は、どれもまだ一度も通して読んでいない。衝動買いで買ったきり、もう一年近く本棚でほこりをかぶっているものたちである。ただ「赤毛のアン」は、いつか自分で脚色してみたくて、買ったものだ。
 
 今回、結局悩んだ末に決めたのは、「北京のセールスマン」。
 これは、僕のお気に入りの本で、もう何度も読み返している。
 かの有名なリアリズム演劇の金字塔「セールスマンの死」を書いたアーサー・ミラーが1983年にこれを北京で演出した時の、ミラー自身が書いた記録。
 僕が誰よりも尊敬する作家アーサー・ミラーの本ということもあるけれど、この本は同じ演劇人として(というほどでもないけれど)、このうえなく興味深いエピソードと、多くの示唆に満ちている。
 一つの演劇作品を作りあげていく上での苦労、人が向き合わなければならないもの、その姿勢。
 ミラーの社会に対して向ける眼差しも、冷静で鋭く、厳しく、それでいて人間性そのものに対する温かさのようなものが感じられて、読むたびに、さまざまなことをを考えさせられる。これを読むと、「もっともっと真剣に演劇をやりたいな」と思ったりする。自分の稽古が始まったばかり、というような時期にも、よく読み返している本である。
 
 しかし読んでいない本がいっぱいあるのに、結局ここに落ち着いてしまうか・・・。
 興味があったら、「北京のセールスマン」読んでみて下さい。
 
 それにしても、JACK DANIEL'Sって、うまい酒だなあ。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。