演劇

February 24, 2006

舞台中継「12人の優しい日本人」を見る

 この間東京の友人が送ってくれたBSの録画「12人の優しい日本人」の舞台中継を、今日やっと見終わることが出来た。
 映画版と基本的には内容は同じだが、受け取る印象も感動もまるで違った。
 実際に舞台で見たら、もっとずっと感動したのだろうと思う。

 この舞台中継を見て、初めてこの「12人の優しい日本人」の核心、三谷幸喜氏のこの物語で描きたかったものをかいま見たような気がした。それは映画版ではあまり強くは印象に残らなかったものだった。

 今回感じたのは、これが「12人の怒れる男たち」のパロディという形をとりながら、しかしはっきりとした「怒れる」へのアンチテーゼとして、三谷氏らしいその表明があらわれているということである。
 たぶん三谷氏は、「12人の怒れる男たち」の主人公や物語が、その根本の部分ではあまり好きではないのだろう。僕にはそんな気がする。

 もともとの「怒れる」とこの「優しい日本人」では、最終的な主人公の立場がまったく正反対である。「怒れる」で単純に正義を貫き通すことの出来た主人公、そしてその正義感と孤高を、信じやすくだまされやすく流されやす一般的な人々に模範たらしめた彼だったが、今回はそう簡単にはいかない、といったところにこの作品の毒とひねりがあり、「怒れる」への本質的な批判があり、三谷氏独特の優しさとユーモアがあるように思う。

 新劇的ウェルメイド・プレイとしての単純な完成度からみれば、本家「12人」の方がまさっているように見える。話としてはよくまとまっているし、無駄がなく隙がない。しかしその感動の質はまったく逆であり、描こうとしていることの照準もまったく違う。
 ここで扱われているのは、正しさの追求ではなく、それがテーマでもなく、何が人にそれを「正しい」かと思わせる点である。

 一見喜劇的なやりとりの影に残る屈折は、少しだけ重い余韻と、不思議に心温まる感動を与えてくれた。
 
人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


 



February 11, 2006

ミュージカル「不思議の国のアリス」

不思議の国のアリス ルイス・キャロルの不朽のファンタジー「不思議の国のアリス」のミュージカル化。
 長野県駒ヶ根市(とその周辺市町村)のアマチュアと、東京のプロ劇団「昴」との共同公演で、今回で11回目。
 僕もキャストとして、第2回目の「夏の夜の夢」、第3回目「青い鳥」、第4回目「クリスマス・キャロル」と、計3回出演した。
 それ以後はまったくの観客として遠くから眺めているが、役者やスタッフとしてずっと参加し続けている仲間もいるし、知り合いも多いし、自分が参加しないまでも毎年楽しみにしている公演である。

 しかし「夏夜」からもう10年目かと思うと、本当に感慨深いものがある。
 僕にとっての演劇は、結局すべてはこの「共同公演」から始まったのだから。

 今回の舞台のについて率直な感想を言うと、導入部がちょっともたもたしすぎたのではないか、というのがまず一番に感じたことだった。
 そして全体を通してやはり一番の問題は、導入部、序盤から中盤(の後半)までの弱さであるように思う。
 物語のおおよそのアウトラインは知ってはいても、今何が行われているか、何が行われようとしているか、観客として物語へと入っていきづらい。またそのため、序盤から随所に挿入されるそれぞれの歌も、ミュージカルならではの効果を今一歩発揮しきれていない、という感じがした。

 もともとルイス・キャロルの「アリス」の真髄は、自由な空想や連想、その荒唐無稽さ、言葉遊びの面白さ、語呂合わせ、の中にあり、一言で言えばそれは「ナンセンス」の魅力だが、そこに今回の作品の根本的な難しさがあったのだろうと思う。
 ナンセンスを舞台にするということが、いかに難しいことであるか、それを今回見ていて改めて感じさせられた。

 物語自体がナンセンスである以上、そこに通常のドラマのような物語性や意味や感動を要求すること自体がナンセンスである、ということになる。
 ドラマの中では時折、なかなか思わせぶりな、一種哲学的な言葉や問いかけが発せられたりもするが、それ自体はドラマをうまくつないでいく役目を果たすことは出来ない。それはこの「アリス」の目指すところではないし、主眼とするところではないのである。
 大切なのは、「メッセージ」ではない。たしかにそういうものも含まれてはいるかも知れないが、それが目的ではなく、また作品の拠り所となるようなものでもない。メッセージに固執すると、肝心の中身が失われてしまう。
 それがこの作品の難しさであり、そういう部分にドラマの展開や、意味や、結末の感動を頼ろうとすると、たちまち自己矛盾に陥ってしまうというジレンマがある。

 今まで共同公演で上演してきた、いわゆる通常の「ドラマ」として真面目に考えようとすればするほど、深い底なし穴に落ち込んでいくような難しい構造を、このアリスは持っているのだと思う。
 役者を始め、今回の作品にかかわった人たちが頭を痛め、悩んだことの多くの部分は、根本的にはその1点に集約されているのではないか、という気がする。そして一度悩み始めてしまった真面目な役者にとっては、まさしく出口のない辛い稽古期間が続いたのではないか、と僕は想像する。
 「俺はいったい、このシーンでどうあるべきなんだ?」「俺はこんな感じで本当にいいんだろうか?」と。

 しかしこの作品においては、ようするに普通ありえない不思議なシチュエーションやその展開の中で、それをいかに楽しむかということだけが、今回役者にできる唯一のことであっただろうと思う。
 結局、いろいろと難しく考えても仕方がないのである。あとはそれを演出家がどう整理するか、である。
 今回劇作家や演出家にとっては、その荒唐無稽さをいかに一つのまとまりある物語として提出できるか、原作本来が持つ魅力を損なわず、その上で自分の狙う統一的なカラーを添えることが出来るか、という点に尽きてくる。
 結果的に、今回の舞台の後半に至るまでの弱さは、主には脚本の弱さに負うところが大きく、また全体的には演出上の狙いがうまくまとめきれなかったのではないか、というのが僕の感想である。
 ただ終盤、アリスが世界の果てへとたどりつき、自分の名前を思い出そうとするくだりあたりから結末に至るまでは、さすがにうまくまとまっていたと思う。そのため、後味としてはそれほど悪くはなかった。

 全体を通して、これまでの10本の作品と比べても、決して完成度の高い作品とは言えなかったと僕個人的には思うが、苦心の跡が伺えるし、こういう作品にチャレンジするという冒険も、それはそれで悪くはないとは思う。
 ストーリー上の難点を除けば、もちろん見るべきところもたくさんあったし、それぞれの役者ががんばっている姿には、やはり感動した。音楽も、美術も、照明も素晴らしかった。
 11年目の共同公演は、今までとは少し違う、新しい境地を開拓しようとしているように感じられた。

 当面僕自身は再び参加するような予定も気持ちもとりあえずないが、これからもっともっと、よりクオリティの高い作品目指して頑張っていって欲しい。
 そして「共同公演」という企画ならではの、他の劇団やプロダクションには決して真似の出来ない熱い感動を、発信しつづけて欲しいと思う。


人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。



September 27, 2005

芝居「O-M\-DADIE(オーマイダディ」4

オーマイダディ・パンフ 3連休の最後の日曜日に、松本のピカデリーホールへ、哲プロデュース 25時(まよなか)劇場第1回公演「O-M-DADIE(オーマイダディ」を観に行ってきた。哲さんは、僕がつきあっている女の子の大学時代の先輩で、松本の「演劇実験室 経帷子」の舞台で、2度ほど見ている。
 哲さんていうのはあれです、「犬神」の時、客入れで「いらっしゃいませいらっしゃいませ」とやってた人です。わかる人にはわかると思うけど。
 なかなか熱い芝居をする人だなあとは前から思っていたが、まさかプロデュース公演までやるとは思わなかったのでちょっと驚いた。
 しかも第1回公演ということだから、本人の意気込みも相当なものだろう。
 というわけで興味津々、わくわくしながら観に行った。
 作・演出:哲さんで、出演者は全部で18名。哲さんもその中の一人で、物語の序盤ではかなり重要な役所を担っている。

 以下はパンフより、あらすじ。
 「近未来、とある地球圏外都市における非合法な遺伝子実験によって生まれた万能型亜人種<オーパス>。
 頭脳明晰にして運動能力にも秀でた彼らは、目覚めるや否や都市の全住人への無差別な殺戮を開始する。
 彼らの生みの親、ただひとりDNAの提供者となった名も知れぬ”父親”を、何万といる住人の中から、最も早く、最も効率よく、見つけだすために・・・。」

 よくある小劇場系のノリ、わりとよくありそうな近未来SF芝居、と言ってしまえばまあそうだし、実際の出来や内容については、いろいろと個人的な感想もあるものの、そのエネルギーの大きさにはしみじみと感心させられた。
 皆社会人で、それぞれ年齢的にもいい年になって来て、それでも忙しい合間を縫ってこれだけの舞台を仕上げる−−という情熱とその仕事は、並大抵のことではないと思う。まあ芝居の会だって条件的には同じなんだけど、それでも、これだけエネルギッシュに一つの芝居を完成させるというのは、本当に大変なことだし、なかなか出来ることではない。とにかくそのパワーに圧倒される。
 哲さんも、初めてのプロデュース公演ということで、さぞかしご苦労されたことだろう。
 僕も同じ演劇をやる人間として、そしてまた自分で意気込んでプロデュースした経験のある者として、そのあたりは想像に難くない。

 作品そのものへの細かなレビューはここでは書かないけれど、そういう意味では、いろいろと考えさせられたし、刺激をくれたいい芝居だった。
 自分もこれから先演劇に関わっていく上で、まだまだ学ばなければならないものがたくさんある。
 哲さんの演劇に対する姿勢、夢見た思いへの誠実さ、そういったものについて、ちょっと気持ちを引き締められたような気持ちがした。
 
 これからも是非、そのエネルギーを枯渇させることなく、走り続けてもらいたいものです。
 がんばって下さい。
 また観に行きます。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。

−−− ヒデ’s Topics−−−

自宅にもう1台 おすすめ リーズナブル・ハイスペックPC

Gateway
お買い得秋モデル

¥129,800

BTX規格対応 DUALCORE CPU搭載
Windows XP
メモリDDR2 1024MB
PentiumD820
DVD SuperMulti


最新デュアルコアCPUとは?

デル今週のおすすめ商品
dellcampaign2_400x100

iPodnano300_75.gif


September 20, 2005

公演終了

08aruhi

 書くのが丸々一週間も遅くなったけれど、芝居の会公演「ある日、僕らは夢の中で出会う」、無事終了しました。
入場者数290名近く。芝居の会の公演としては、6年前の「ねずみとり」にほぼ匹敵する動員数。
 しかし「ねずみとり」は計3回公演だったから、2回公演での動員数としては過去最高、ということです。
 いろいろと反省点はあるものの、何はともあれ、観に来ていただいた方々、本当にありがとうございました。
 計2回しかない公演のうち、一回目は今までの稽古を通して一番出来が良く、二回目はかなり冷や冷やもの、という結果でしたが、概ね楽しんでいただけたようで、何よりです。

 今更ながら芝居は生もの、トラブルは付きもの、とはいうものの、今回の公演は反省させられる点が本当にたくさんありました。
 うまくいかなかったこと、満足に出来なかったことについては、お客さんに対して申し訳なかったと思うし、公演が終わって一週間たった今も、やはり苦々しく、痛切に思い返されます。
 来年も、あるいはこれから先も僕らが芝居を続けていくのなら、やはりどうしても乗り越えなくてはいけない壁、というのが歴然とあるようです。公演本番もそうだし、それまでの稽古過程、制作過程についても。
 ただ単に「みんなでお芝居を楽しみたい」という域を超えて、自分自身の、あるいは芝居の会そのもののアイデンティティを、よりレベルの高いものへ、よりお客さんに楽しんでもらえるものへと進化させていくなら、これから僕らが真剣に向き合わなければならない課題は、明白にあります。

 打ち上げの時に照明の三原さんが「勝ちに不思議あり。負けに不思議なし」という格言を述べていましたが、確かにそうだなあ、と妙に納得しました。その言葉がチクチクと胸に刺さる痛みを感じ続けた、この一週間でした。

 次回の公演は、より楽しんでもらえるものを目指して、また頑張りたいと思います。
 ・・・まあ来年のことは、今はまだ何もわからないんですが。
 いろいろな面で、事情の許す限り、よりレベルの高い舞台目指して、芝居に関わり続けたいと思います。
 
 というわけで、今回観に来ていただいた方々、本当にありがとうございました。
 来年も「芝居の会」をよろしくお願い致します。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ◆ 本番直前のスナップ
 芝居の会のホームページに、もっとたくさん紹介されていますので、そちらもご覧ください。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
■ おすすめ デル・キャンペーン情報
dellcampaign2_400x100
【新商品】Apple iPod nanoシリーズ iPodをそのまま鉛筆ほどの薄さにまで凝縮した「超薄メモリプレーヤー」新登場!
ipodnano_125-125.gif Apple_Store_40x120
◆おすすめ・ジョン・アーヴィングの本


September 08, 2005

ヒデ、芝居の会へ(17)最後の稽古

 いよいよ明後日が本番初日。
 昨日は本番前、最後の稽古だった。

 今日の夜から、舞台仕込み開始。
 明日は仕込みの続きと、テクニカル・リハーサル。
 そして当日、ゲネプロ(ドレス・リハーサル)、本番、となる。

 最後の稽古を終えてみて、やはり課題は残った。
 芝居全体のテンポ、リズムの問題、セリフの入りの問題、その他いろいろとある。
 残されたポイントは小さくないが、もう一度台本に立ち返ることで、自分たちの演技、その人物としての基本的な立ち方、他者との関係、相手や状況に対する自然な反応とそこに生まれる感情、そういったものを、もう一度チェックし直そう。
それが僕ら役者に残された、本番前最後の仕事だ。

 もちろん課題の残らない本番前の状態なんてありえない。
 いつだって課題は残る。
 でも今回もどうにかこうにか、ある程度のところまでは、こぎつけることが出来たと思う。
 練り込みの甘い部分も若干あるが、決してそんなに悪い出来ではないはずだ、と思う。

 どんな芝居も、稽古場と本番はやはり別物だ。
 やるだけのことをやったら、あとはもうそこに賭けるしかない。
 とにかく舞台を楽しもう。

 とりあえず。
 チケットまだ間に合います!

ある日僕らはチラシ01 ●チケット予約はこちら → fred@cek.ne.jp

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。



September 02, 2005

芝居の会が地元新聞「長野日報」に掲載されました

長野日報 9月1日付けの長野日報に掲載された稽古場写真です。
 左から、藍、信子、ヒデ。後ろに立っているのはツルPOM。
 記事によると、初演出の深谷さんは、「何がホンモノで何がニセモノなのか。振り込め詐欺にも似た面があり、今に通じる。お客さんにも混乱してもらいたい」と話している。

 振り込め詐欺にも似た面・・・というとなんだか身も蓋もないけれど、まあそういうことみたいです。

 ということで、皆さん、チケット予約まだまだ間に合いますよ!!

ある日僕らはチラシ01 ◆芝居の会第9回公演
  2005年9月10日(土)19:00 9月11日2:00(日)
  宮田村村民会館大ホール 料金:前売1,000円 当日1,200円 自由席

 ご希望の方、ヒデにご一報を。fred@cek.ne.jp



人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


−−− ヒデ’S TOPICS−−−

キャンペーン情報
Amazon.co.jp 布製オリジナルブックカバー プレゼントキャンペーン
Amazon.co.jp にて書籍を3900円(税込)以上(注:1回の注文の和書・洋書合計が対象)購入すると、応募者全員に、Amazon.co.jp 布製オリジナルブックカバーがもらえます。



August 31, 2005

ヒデ、芝居の会へ(16)抜き稽古4場〜5場

 昨日の稽古では、稽古前に、この間の総見について演出から話があった。
 現状の僕らの芝居が抱えている根本的な問題。
 残された日数の中で、クリアしていかなければならない課題。
 どちらにしても、今のままではとても幕を上げられる状態ではない。

 今日の稽古は、いつもよりだいぶ充実したものになったと思う。
 それぞれの役としての基本的なあり方、その関係性、物語として伝えなければならない重要なポイント、そういったことを改めて意識することで、芝居全体のもっとも大きく基本的な部分が変化し、それに合わせて、その他の小さな演技の一つ一つ、動き、すべての部分が、自然に変化していくのが感じられる。
 もっと前から、そういう風にちゃんと集中して稽古していればいいんだけど。

 まだ十日ある。
 なんとかなるだろう。
 考えてみれば今までだって、本番の十日前に十分完成の域まで達し、余裕のある状態だったことなんて、一度もないのだ。
 いつも「こんなんで大丈夫か。こんなんで客に見せられるか」とハラハラしている。

 来週末はもう本番。
 いよいよラストスパート。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

はじめてでも確実に収入が上がるアフィリエイト収入ゼロから1万→5万→10万とステップアップ! はじめてでも確実に収入が上がるアフィリエイト収入ゼロから1万→5万→10万とステップアップ!

著者:
出版社:宝島社
本体価格:1,500円

あなたのホームページ・メールマガジンに広告を載せてみませんか?
成功報酬型で広告費を支払うエーハチネットがおすすめ。
 



August 30, 2005

ヒデ、芝居の会へ(15)2回目総見

 9月の公演初日まで、残すところあと11日。
 日曜日の夜は、第2回目の総見だった。前回の第1回目から、約2週間半ぶり。
 今回は音響もほぼすべて入り、衣装、道具類なども、本番のものを使っての総見である。
 いよいよ稽古も佳境に入ってきたが、この日の総見は非常に出来が悪かった。

 まず一言で言って、芝居が面白くない。
 自分も役者としてその中に立っていても、芝居が面白いのか面白くないのか、出来がいいのか悪いのかはよくわかる。
 役者個々の芝居の出来が悪い、まだまだ練られていない、というのは確かにそうだとしても、全体的なまとまりを欠き、物語のポイントがぶれ、いったいこの芝居で何がしたいのか、何を見せたいのか、というのがよくわからない。
 一体この物語は、何についての物語なんだ?

 自分で演じながらこんなことを言うのもなんだけれど、ようするにそういうことなのだ。
 小手先のことはともかく、根本的な部分で埋まっていない大きなもの、ずれ、そういうものが歴然とある。ドラマが正しい方向に向いていない。

 とにかく、残り11日ある。
 これから何を詰めていくべきなのか、直していくべきなのか、今回の総見ではそういったことについていろいろと考えさせられた。
 課題も見えつつある。

 まだ間に合わないわけではない。
 今日から本番までは、休みなく稽古だ。
 残された時間を有効に、精一杯やるしかない。


人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


−−ヒデ's Topics −−

舞台芸術専門家という仕事 仕事シリーズ (8)
舞台の「アートマネージメント」から「裏方」まで、舞台芸術に携わるあらゆる仕事をくまなく紹介。さらに、第一線で活躍している人々のメッセージを生き生きと伝える。舞台芸術の全体像を描き出す一冊。



August 20, 2005

ヒデ、芝居の会へ(14)稽古場風景

稽古場風景3場 稽古場の様子をちょっとだけ、写真で紹介します。
 写っているのは、左から、信子、藍、ヒデ、ツルPOM、そして演出の深谷さん。
 
 これは第3場の真ん中あたり・・・ということはつまり、この作品のちょうど真ん中あたりのワンシーン。


−−今日のヒデ's Topics −−
村上春樹最新作「東京奇譚集」予約開始

奇譚(きたん)とは、不思議な、あやしい、ありそうにない話。
しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語――。
話題の四作品に、書き下ろし『品川猿』を加えた、村上春樹待望の最新作品集刊行!


全5篇のうち、以下の4篇は「新潮」2005年3月号〜6月号に掲載。
  偶然の旅人
  ハナレイ・ベイ
  どこであれそれが見つかりそうな場所で
  日々移動する腎臓のかたちをした石

 そのほかに以下の作品(書下ろし)が収録されています。
  品川猿

 また、収録作品の「偶然の旅人」と「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は、すでに英訳がHarper's Magazine (7月号)、The New Yorker(5月2日号)に掲載されています。



August 12, 2005

ヒデ、芝居の会へ(13)総見、そして立ち稽古へ

ある日僕らはチラシ018月10日(水)は今回の公演で初めての総見だった。
 総見。
 役者の通し稽古をスタッフが総出で見て、美術、小道具、音響、照明、などなど、演出上の必要や役者の動きに合わせて、より具体的なプランを練る、必要なものをチェックする、というものである。
 役者にとってももちろん一つの通し稽古ではあるが、総見はあくまでスタッフのためという意味合いが強い。
 まだまだ荒通しだから芝居的に見るべきものは薄いが、それでもこれまでずっと延び延びになっていた総見だった。
 いい加減このあたりでやっておかなくては、あとがどうしようもない。

 この総見までで一応の荒立ち稽古を終え、11日(木)は、初めて立ち稽古として一場のシーン稽古に入った。
 いくつか新しいアイデアが出て、実際に試してみた。動きや遊びといった面で、どうも想像力が枯渇気味だったから、今日メンバー4人で付けた芝居は、このシーンだけでなくこの芝居全体の方向を模索していく上で、少しいい刺激になったと思う。
 もともとそういう芝居なのだ。リアルに真面目くさってやったところで、得るものは何もない。
 次回は・・・というと、話しが早いが、この次に何かやるとしたら、今度はリアルで真面目な大人の芝居を、またきちんとやってみたいものだな、とふと思う。

 しかしここのところ、いろいろなことで疲れすぎている。
 仕事の方もまただいぶ忙しくなってきているし、芝居とのバランスを取るのがとても難しい。
 どちらかを立てればどちらかが・・・ということになるわけだが、結論から言えば、芝居のために仕事を犠牲にするわけにはいかない。生活あっての芝居であり、芝居によって生活を支えているわけではない。
 そこに葛藤が生まれる。

 そういう意味では、昔のような、自分の全てを注ぎこむような、そういう一種捨て身とも言えるスタンスでは芝居に打ち込めなくなった。
 年をとり、ほんの数年前とはまるで違う状況をいろいろと抱え、芝居と仕事と自分自身、そのあたりのスタンスやバランスをどうとるかが、年々難しくなる。年齢とともに、その困難さの内容や質は変わっていく。

 それは誰でも同じはずだし、そう考えると、来年以降も自分が芝居をやっているのか、やれる状況にあるのか、あるいは誰がやっているのかいないのかなんて、そんなの本当に、まったく見当もつかない。
 夢を見ること、目標を立てることは出来る。でも芝居というのは今さらながら、本当に一回性のものなのだ、と思う。
 「夏の夜の夢」の時も「法王庁」の時も、「ねずみとり」の時もそう思った。
 今ここにいるメンバーたち、このプロダクションで芝居をやるということ、それ自体が、一生に一度しかない、奇跡のようなものなのだ。

 さて。
 とりあえず、お盆明けまでのあと5日間で、自分のセリフをすべて頭に入れなければ。

●チケット絶賛発売中! →お問い合わせ

−− 今日のヒデ's Topics −−
オペラ座の怪人 DVD 8/26発売・予約受付中
ローレライ DVD8/19発売・予約受付中


August 09, 2005

芝居の会・第9回公演「ある日、僕らは夢の中で出会う」

 少し前に今回の芝居のチラシが完成し、チケットも発売になっていたんだけど、きちんと紹介するのが遅くなりました。
 公演は9月10(土)の19:00からと11日(日)14:00の計2回公演です。
 もちろん僕も出演します。

 チラシは、みどりさんのデザイン。
  なかなかかっこいいでしょ?

 公演に来て頂けそうな方、一応ノルマのようなものがあるので、僕からチケットを買って頂けると非常にありがたいです。
 その他、「チラシを送れ」等のお問い合わせも承ります。

 ヒデ直通メール&携帯番号
 monkwell-manor-guesut-house@docomo.ne.jp
 090−4365−7981

 「芝居の会」へ直接お問い合わせしたい方は、
 080−3443−7596(芝居の会専用)
 ホームページ http://members12.tsukaeru.net/kpom/
 e-mail kpom@members12.tsukaeru.net
 
 みなさん、是非お越し下さい。
 
↓クリックすると拡大画像が見られます。
ある日僕らはチラシ01ある日僕らはチラシ02

August 08, 2005

ヒデ、芝居の会へ(12)段取り打合せ

 6日土曜日の午後は、僕の自宅で、演出の深谷さん、舞監のみどりさん、演助の静香と僕の四人で、今回の芝居の主な段取りについて打合せをした。
 
 ブログが長い間中断していたせいもあり、途中経過がまったくなくていけないのだが、いろいろあって、当初上演予定だった芝居は6月7日に急遽中止になった。
 その後、六月半ば過ぎに、「ある日、僕らは夢の中で出会う」(高橋いさを・作)の上演が決まり、現在九月の公演に向けて稽古中である。
 六月下旬に、僕は今回の芝居の制作を引き受けることになった。
 
 今回の「ある日、僕らは夢の中で出会う」は、全部で約一時間半、全六場の芝居である。
 荒立ち稽古が現在四場まで終了しているのだが、まだあくまで「とりあえず」という段階で、当初予定した進捗からは、大幅に遅れている。
 美術や小道具、音響や照明といったことまで含めて、どう作品の整合を取るかと考えると、今まで僕らがやってきた芝居と比べて、今回の芝居は結構難しい。
 
 普通のストレート・プレイの芝居なら、役者が稽古によって追求していくことのそのほとんどの部分は、役としてのリアリティであり、そのリアルな感情であり、役としていかに舞台で”生きるか”、ということが大きい。
 そこには役としての生活や人間関係があり、事情や事件があり、やむにやまれぬ葛藤と、感情のほとばしりがあり、行動がある。
 それをどこまで身の内に感じることが出来るのか、それが役者にとってもっとも大きな醍醐味でもあると、僕はずっと思ってきた。
 もちろんそれは、そんなに単純なことではないし、簡単なことでもないのだけれど。
 
 しかし今回は、これまで僕らがやってきたものとは、明らかに毛色の違う芝居である。
 一番根っこの部分では、どのような芝居もやるべきことの基本は同じなのかも知れないが、単純に今までのアプローチの仕方ではうまくいかない。
 一言で言えば、これは”リアル”ではないし、おおざっぱに言って、新劇的でもない。
 ものすごく不条理な要素を含む、いわゆるとても小劇場チックな芝居である。
 そういった種類の芝居作りの経験がないのは、演出の深谷さんにしても、他のメンバーにとってもほとんど同じで、そういう意味では今回、非常に手探りで進んでいるし、稽古の方もなかなか思うように進まない。
 
 そういうわけで土曜日は、まだあいまいになっている部分について、四人で話し合うことになった。
 だいぶ本番も近づいてきたし、お盆休みにも入ることだし、いずれにしても何かを選び、決定していかなくてはならない。
 それを、半日かけてやってしまおう、ということである。

 しかし結局、有意義な話し合いではあったけれど、なかなか思うようには進まなかった。夜九時までやっても、重要なポイントのいくつかは、あいまいなまま残った。
 とりあえず今日はここまで、ということで、晩飯を食べることにする。
 午後一時半からほとんど休憩なしで集中して頭を使ったので、いい加減疲れている。これ以上はなにもまともに考えられそうにない。
 
 男の料理、ということで、僕が夕飯を作った。今日のおかずは、ハンバーグと、笹身の梅肉大葉巻き。
 なにはともあれ、相変わらず暑いから、ビールがとてもうまい。
 
 さて・・・本番まで約一ヶ月。
 なんだかとても忙しくて暑苦しい夏である。


May 25, 2005

ヒデ、「芝居の会へ」(11)精神的下降における独り言

 なんだかブログを書くのはとても久しぶりだ。
 
 書かない間、基本的に火・木・金曜日には芝居の稽古があった。
 昨日の稽古で本読みの2クール目を終え、いよいよ明日、木曜日の稽古から、荒立ち稽古に入る。
 演出のもとで、かなりていねいに本を読み込んできたし、あとは実際に立ってみて、行間の呼吸や間合い、状況的な感覚を持ちながらやった方が、いろいろなことがわかっていいだろう、といったところだ。
 
 賛成だが、僕としてはすごく不安である。
 これは僕個人的な怠惰のせいなのだが、本の読みがまだまったく不足しているし、実際にどう動けばいいのか、まるでわからない。
 役の感情がきちんと出来ていればそんなこと心配する必要もないのだろうけれど(なんといってもまだ本番まで三ヶ月近くあるのだし、あせらずじっくりと、いろいろなことを試しながら掘り下げていけばいいわけだから)、今は自分の力不足、集中力不足、役としての感情の希薄さを、形で補おうとしてしまう。自分の中の焦りを、やみくもに応急処置的に処理し、繕おうとしてしまう。
 もちろんこんな状態ではいけないことはわかっている。
 演出やまわりの役者にも迷惑をかけているし、自分自身も傷つけ損なっている。
 なんとかこのへんでもう一度しっかり自分を立て直さなければ。
 セリフを入れる作業も、そろそろ本腰を入れていかなければならない。
 
 ブログを書かない間、僕なりにいろいろなことがあった。
 まず僕にしては珍しいぐらい長い(約二週間)風邪をひいてしまったこと。
 やっと鼻声が治ったところだが、咳だけはまだ出る。
 仕事も少しずつ忙しくなってきて、稽古の回数も増えた。
 そして本当に、今まで生きて来てこんなにめまぐるしかったことはない、と言ってもいいぐらい、多くのことがいっぺんにやって来た二週間だった。その間、感情の揺れも相当に激しくて、とても何か文章を書くような気分ではなかったし、悪いと思いながら、稽古にもまるで集中できなかった。今でも僕の頭は混乱しつづけている。
 
 もう少し気持ちが落ち着いたら、自分が今なにを苦しんで、何に混乱しているのか、気持ちを整理して、ここに書いてみたいと思う。
 今僕に起こっている様々な出来事が、結局どのような意味を持つことになるのか(自分自身にとっても他の誰かにとっても)ということについて。
 自分自身の精神的変遷の記録として。
 でも今は、何も考えがまとまっていない。何も整理できていないし、何もはっきりとしたことを書くことが出来ない。
 
 とにかく、今は感情のことは忘れよう。
 淡々と日々の仕事をこなし、芝居に集中したいと思う。
 そうしないことには、何もかもをダメにしてしまいそうな気がする。


May 16, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(10)そして、禁煙開始。

 先週の半ば頃ひどい風邪をひいてしまい、今もまだ鼻声である。
 鼻水は出るし、せきは出るし、体はだるいし、熱も7度半近くのところをずっとうろうろしていた。
 12日の木曜から三日間、連休が明けて、やっと二週間ぶりに芝居の稽古が再開したと思ったのに、思うように声も出ない。
 まったく、踏んだり蹴ったりである。
 
 それでも、稽古の方は割と順調に進んでいると思う。
 演出の深谷さんの本の読み方、捉え方がきちんとしていて深いし、的確に駄目出ししてくれるから、こっちとしてもどこが悪いのか、すぐに対処しやすい。四人の役者それぞれ、いつにもまして序盤からはりきって頑張っているし(僕も含めてということだけど)、いい傾向だと思う。
 もちろん、本当に大変なのは立ち稽古に入ってからだが、まだあと三ヶ月あるし、まあなんとかなるだろう。
 どんな芝居に仕上がっていくのか、稽古しながら、自分でもわくわくする。
 
 ところで、ぼくにとってはわりと重要なことなのだが、土曜日の日に、煙草をやめた。
 やめた、と言っても、公演の本番が終了するまで。ようするに、今回の芝居のために、少しでも体力をつけようということである。
 しかし今まで、芝居のために禁煙を始めたことなんて、一度もない。
 それに僕の禁煙過去最高記録は約一ヶ月である。
 今まで、どんな素敵な女の子に約束したって、禁煙の誓いなんて守れた試しがないのだ。
 
 今日は禁煙三日目。三日間続いているだけでも僕にとっては何年ぶりかの快挙なのだが、今にもくじけそうなぐらい苦しい。
 気が狂いそうである。頭がクラクラとして、目眩がする。ヘタすると、幻覚まで見えてきそうである。
 こうして文章を書いていても、うまく集中することが出来ない。
 
 あー、このイライラを、誰かに当り散らしそうである。
 たとえば演出とか。演出助手とか。
 


May 09, 2005

芝居の会・飲み会

 書くのがちょっと遅くなったけれど、土曜日は芝居の会の飲み会だった。
 とりあえずキャスティングがすべて決まったことだし、五月の連休も明け、これからいよいよ稽古も本格的に・・・ということで、いわゆる団結式みたいなものである。出席したのは約10人。
 
 こういう風に芝居仲間で集まって飲むのは、普段ありそうであまりないので、なかなか面白い。
 いつも稽古場で顔を合わせていてもあまりしゃべらないようなことを話せたり、これからやろうとしていることに対するそれぞれの思いや、期待、あるいは不安や迷いのようなものがちらちらと見えたりする。
 まあ僕なんか普段から、思ったことはたいていなんでも遠慮なくしゃべってしまう方だし、とりあえず飲んで騒いでいれば幸せなんだけど。
 
 とにかく楽しく飲めて、いい飲み会だった。
 やっぱり演劇やってると、あるいは役者なんかやっていると、飲むのも一つの仕事、稽古の一部のようなものだなあという気がする。こういう飲み会での発散が、相互理解とチームワーク、まとまりのある良い芝居の源である。
 僕としては、週一ぐらいは、飲みに行きたいものだと思う。
 
 みどりさんともいろいろと話せた。今回の芝居について。今後の芝居の会について。みどりさんの結婚について。
 みどりさんと腰を据えて話していると、なんだか打ち上げのノリみたいだな、という気がしてくるから不思議である。
 まあ、みどりさんとはだいたいいつも、打ち上げの時になるまで、普段それほど突っ込んだ、個人的な話はしないので。別にもっと話せばいいだけのことなんだけど。
 
 ところで僕は鳥ワサが大好きで、とにかくひたすら生中を飲み続け、鳥ワサを食べ続けていた。
 8人前から10人前ぐらいは頼んだ気がする。
 そして生中6杯、それでもう酔い酔いである。
 最後にもう一皿鳥ワサを頼もうと思ったら、「もう品切れです」と言われてしまい、それがとても残念で、心残りである。
 また、鳥ワサを食べに行こう。


May 04, 2005

「犬神」

犬神 昨日は芝居仲間3人+うちの嫁さんと僕の5人で、演劇実験室◎経帷子(きょうかたびら)の「犬神」を観にいった。
 ”芝居の会”のだっちゃが、キャストで出演するためだ。
 原作は寺山修二。演劇実験室◎経帷子の広田謙一さんが、独自に脚色、演出したものである。

 

 こういう芝居は、僕にははじめてだったのでとても新鮮だった。
 なにしろ僕は「アングラ」という言葉の意味すらよくわかっていないのである。
 こういう世界観や、こういうタイプの芝居がかつて一時代を一世風靡したというのはなんとなく聞き知ってはいるものの、僕の芝居体験というのは本当に範囲が狭いし、偏っているのだ。


 さて感想は、というと、なんだかすごすぎて、自分の中でまだうまく総括できていない。
 最初に思ったのは、遊園地か、あるいはサーカスみたいな芝居だな、という感じ。
 とにかくその勢いやパワー、熱、疾走感、心臓をじかにつかんでくるような直截さ、そういった全体的な雰囲気に圧倒されてしまった。
 しかしどんな話だったかと聞かれても、いまいちよく理解できていない。
「うん、面白かったよ」という感じで・・・ほかになんとも言いようがないですね。こんな感想でとても申し訳ないんだけど(笑)。

 

 とにかく自分が体験してきた芝居、これからやろうとしている芝居とはまるで種類が違うので、そういう意味ではとても勉強になったし、観に行ってよかったなと思う。
 あれだけのものを作るのはやはりすごいエネルギーだなと思うし、自分にはとても真似出来そうにない。
 いやいや、よく演劇なんてやるね、まったく。よくあんなことが出来るなあ、ほんと、感心します。
 ・・・ということを言ってないで、それを上回るぐらいのエネルギーを、彼らとは別の形で、今度の公演に注がなきゃいけないんだけどね。わかってます、演出。はい。

 

 とりあえず、だっちゃ(佐々木静香さん)がとてもかわいくて素敵だったので、良かった良かった。
 僕としては大満足です。

 

 「犬神」は5月5日まで。
 まつもと市民芸術館 開場7:00 開園7:30
 興味のある方は、ぜひどうぞ。

寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」角川文庫



その他・寺山修司 関連


人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


April 29, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(9)

 前回キャストが決まり、今日からいよいよ、本格的な稽古の始まりである。
 今回の作品の上演時間は、途中の休憩を考慮からはずしても、約三時間。しかもそれをたった四人のキャストでもたせるのだから、アマチュア演劇集団が扱う芝居としては、ほとんど無謀と言っていいくらい破格の冒険である。
 何はともあれまず体力、ということで、今日から稽古場である文化会館のまわりを皆でランニングすることになった。
 その後簡単なストレッチのあと、本読み稽古に入る。
 しかしたいした距離を走ったわけでもないのに、これは結構くたびれた。いつの間にこんなに体力が落ちてしまったのだろう?と自分でも不思議になるぐらいである。たしかに、去年5年ぶりに参加した芝居「オンタイム?!」までずっと演劇から離れていたし、仕事柄パソコンの前にばかり座っているし、もう三十二だし、無理はないかも知れない。
 とにかく、演技がどうこうの前に、まず体力である。この体力では、とても三時間もの間、舞台で集中することなんか出来ない。
 毎朝犬の散歩がてら、ランニングすることにしよう。

 今日の本読み稽古は、僕なりにいろいろと得るものがあった。
 まず、自分の本の読み方の浅さをあらためて実感したこと。そして、相手のセリフをいかにきちんと聞くか、いかにそれを受け取って、自分のセリフにつなげるか、ということである。
 そんなのは当たり前のこと、と言われればまあそうなのだが、何年演劇をやっていても、なかなかそれが僕の成長しないところである。
 もうとにかく、本当に根本的な部分から、時間をかけて一つずつクリアしていくしかない。

 次の稽古は5月12日。半月近くも先である。
 ゴールデン・ウィークがあったり、みんなそれぞれ事情があったりしてやむを得ず、というところなのだが、しかしそれにしても、ちょっとあきすぎである。
 うーむ。六月から荒立ち稽古なんて、ちょっと無理なんじゃないだろうか?


April 27, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(8)

 今日は冒頭、女性キャストの発表。これでキャスティングのすべてが決定した。
 女1を信子、女2を藍。
 公演日も決まった。8月20、21の土日である。
 
 今日はすぐに本読みに入らず、最初にワークショップ的なことをやった。
 「ステータスゲーム」というもので、二人一組になり、お互い即興で5段階のステータスをかわるがわる演じ、会話していくというものである。もっともステータスの低い人格から、もっとも高い人格まで。5つ置かれた椅子を座りかえていくたびに、ステータスが上がったり下がったりする。
 
 僕ははじめてやったのだが、これはなかなか難しかった。
 小手先の芝居の変化でどれだけ違う人物になろうとしても、根本的なその人なりの内面的ステータスというのは、ほとんど変えることが出来ない。
 基本的なステータスがものすごく高い人は、どんなに気弱そうな言葉を選んでも、挙動の一つ一つを弱々しく演じてみても、「ステータスが低い」ということが本当のところどういうことなのか、いったいどうすればそういう風に演じられるのか、ほとんど理解出来ないのである。
 反対に、もともとのステータスが低い人は、どうすれば高くなれるのかわからない。
 演出の深ちんは、これはいい練習になると思うから、今後も続けて行きたいと思う、と言った。
 たしかに、自分になにが出来てなにが出来ないのか、そういうもっとも基本的な部分を、今日ははっきりと見させられた。

 ちなみに僕の基本的ステータスは、5段階のうち、「4」だそうである。もし10段階だったら、7か8ぐらい。
 それが普段の生活でも、演技する上でも、僕のもっともいやすい場所だそうだ。それ以上は、上がることも下がることもうまく出来ない。
 なるほど。そういうことだったのか。
 しかし考えてみたら、今までとくに「役づくり」なんて、ほとんどしたことないもんな。

 稽古後、演出の深谷さんと、演出助手になっただっちゃと、三人で飲みに行く。
 店を出たのが一時過ぎ。帰って、また一人ビールを飲む。
 しかし演出、演助、俳優。この三人の組み合わせで飲むというのは、考えてみたら怖ろしいことである。
 もう少し稽古が本格的になってきて、僕なりに煮詰まりだしたら、この組み合わせで飲むというのは、ちょっといたたまれないかも知れない。
 でも昨日はとにかく、とても楽しく酒が飲めた。

 心底信頼できる芝居仲間と飲む酒というのは、人生におけるもっともうまい酒、もっとも楽しい出来事の一つである。


April 22, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(7)

 とりあえず、男優陣のキャスティングが決まった。
 今日もオーディションの続きで、稽古終了後に、発表がある。
 男2人女2人の今回の芝居。どっちに転んでも・・・とぎりぎりまで考えていたのだが、 結局僕は、主役の青年の方に選ばれた。相方の医師を演じるのが、つるPOMである。
 女優陣の発表は26日火曜日の稽古前。だからオーディションは、今日で最後である。
 
 しかし僕が主役・・・約三時間、ほとんど出ずっぱりの役である。
 体力的にもかなりハードだし、性格的に、さまざま側面を見せ、演じ分けていかなくてはならない。
 笑いがあり、怒りがあり、悲しみがあり、精神的危機がある。
 
 もちろん、選んでくれたのはとても嬉しい。
 まさに、役者冥利に尽きる大変な役だし、役者をやっている以上、そういうやりがいのある役にチャレンジできるのは、とても幸せなことだ。そういう役をやらせてもらえるということに対して、僕なりに精一杯こたえたいと思う。
 
 でも稽古がはね、その後みんなで近所のファミレスへ向かう車の中で、胃のあたりがふっと持ち上がってくるような、軽い困惑と、浮遊感のようなものがやってきた。それはいつもの、役が決まり、稽古が始まる前の、それほど悪くないあの感覚。緊張。
 しかしなんだか目の前の壁が巨大すぎて、まるで現実感がない。
 
 本当に僕らは・・・僕は、この芝居を成功させることが出来るのだろうか?
 こんなこと言ってちゃ演出に怒られそうだけど、なんだか本当に、夢みたいだ。
 
 みんなでファミレスを出たのが一時頃。
 ファミレスで生中を一杯だけ飲んだのだが、家に帰ってからまた500のビールを一本空ける。
 飲みながら、台本をぱらぱらと読む。
 明日会社なんだし、そんなことしてないで、早く眠ればいいのに。
 
 来週キャスティングのすべてが決定したら、皆で飲みに行こうと計画中である。
 たぶん、4月28日、木曜日あたりに。


April 20, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(6)

 オーディション二日目。
 今日でキャスティング決定の予定だったが、演出のFakatinもいろいろと悩むところがあるようで、男優陣の決定は22日木曜日、女優陣は26日火曜日決定という風にずれ込んだ。
 どんな芝居も、キャスティングで難しいのは、やはりその組み合わせである。
 声質や、背の高さ、見た目の細い太い、年齢的な見た目の問題、基本的なキャラクターの問題、など、バランスというものがあるから、「もしこの人がこの役なら、相手役としてそれに釣り合う人は誰なのか。全体のバランスはどうなのか」と考え出すと、たった四人の芝居でも、確かに結構難しい。
 
 僕も自分なりに、「もしやらせてもらうとしたらどっちがいいかな」、といろいろと考えてみたけれど、今はちょっと開き直りつつある。どっちにしたって大変なのだ。そして、どっちもとてもいい役である。

 今日は、去年の芝居で僕の妹「バネッサ」&ヒビキをやったkaoが久しぶりに顔を出した。
 仕事の方が忙しくて、今回は役者として出られないという話を聞いていたのだが、なんとか出られることになったと言う。
 稽古がはねたあと、久しぶりに懐かしい雰囲気で話が出来て嬉しかった。
 しかしこれで、女優陣のキャスティングはさらに難しくなった。

 それから今日、みどりさん以下、スタッフのみんなのおかげで、ついに台本が完成し、僕も一冊もらった。
 台本が渡される時というのは、長丁場で苦労の多い稽古期間の中で、もっとも楽しい瞬間の一つである。
 これから本番へ向けての明るい希望と、やろうとしていることの巨大さに対する決意のようなものが湧いてくる。
 心の中の、やっぱりやめときゃ良かったんじゃないか、というもやもやとした不安な気持ち、後ろ向きな気持ちに対して、「さあ、がんばろう」、と思う気持ちが勝る瞬間である。そういう緊張感がある。
 まあこれは、役者側だけ、あるいは僕だけなのかもしれないけれど。

 というわけで、みどりさん、お疲れ様でした。
 彼女は昨日、深夜二時頃まで台本のまとめにおわれていたようだ。

 キャスティングが決まったら、みんなで飲みに行きたい。
 決まらなくても、とりあえず飲みに行きたい。


April 15, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(5)

 キャスティング・オーディション1日目。
 公演日はまだはっきり確定できないものの、今日はスタッフの役割分担がある程度できた。みどりさんが舞台監督を引き受けてくれたから、その点についてはとりあえず安心である。音響も決まった。

 その後演出のもとで、冒頭から中盤まで、途中配役を替えながら、本読み。
 登場人物は男2人女2人。僕はこの間読んだのとは逆の役を読んだ。

 しかし今さらながら、大変な作品だなとしみじみと思う。
 どちらの役をやることになったとしても、なんだか自分に出来る気がしない。
 別に今日特別気分が落ち込んでいるとか、疲れていて悲観的になっているとかいうわけではない。芝居が本当に動き出す前、その直前は、いつもそうだ。

 来週の火曜日は、オーディション2日目。そしてそれでキャスティングが決まり、本格的に公演へと動きはじめることになる。

 まあ、いい。なんとかなるだろう。
 仕上がりのレベル、程度の問題はあるにせよ、それでもいつもそれなりになんとかなってきたじゃないか?

 とにかくやれるだけのことを、精一杯やるしかないのだ。

 

 
 




April 13, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(4)

 作品が決まった。
 いろいろと二転三転したものの、なんとか四月上旬のうちに決定、同時に少し前から演出をお願いしていたFukatinが、引き受けてくれることになった。
 当初六月の公演予定だったが、8月のお盆が明けてすぐ、20(土)、21(日)に決まりそうである。
 何をやるかは、ちょっと事情があって、ここでは伏せておきます。

 今度の14日(木)、19日(火)の二日間で、キャスティングのためのオーディション。
 役者がそろったところで本読み稽古に移るわけだが、本格的な稽古はゴールデン・ウィーク明けからといったところか。

 本業が忙しくてなかなか出てこられないメンバーも大勢いる。
 なによりしっかりしたスタッフがいてくれなければ芝居なんて立ちゆかないわけだから、そのへんのところをこれからどう固めていくか、制作、舞台監督などキーとなる人たちをはじめ、いかにまとまりのあるいいプロダクションにしていくか、そのあたりが、今のところ一番の課題である。

 いずれにしても、これからやっと、一つの物語が動き始める。
 8月20日まで約四ヶ月。
 稽古期間としては長い方だが、役者的観点から見れば、自分も含めて、今までの技量や取り組み方、掘り下げ方のレベルで成功させられるほど甘い作品ではないような気がする。
 なんだかぞくぞくする。
 自分がそんなのっぴきならない、とんでもなく大変な作品にこれから関わろうとしていることが。
 怖ろしくもあり、嬉しくもある。

 さあ、どんな風に関わるにせよ、覚悟を決めなければ。


March 25, 2005

連載「ヒデ・芝居の会へ」(3)

 今日読んだのは三谷幸●の「出口なし」。
 精神病院が舞台の物語で、登場人物は男2人、女2人。
 これはなかなか面白かった。面白かったのだが・・・しかしなんとも長い。
 いつものストレート・プレイの調子で読むと、二時間半近くかかってしまう。
 見る方だって大変だろうけど、もし自分がやるとしたら、かなりの労力が必要とされることは間違いない。
 
 しかし今まで読んだ本の中では、一番やってみたい作品ではある。
 中盤までは、とにかくそのコメディ的やりとりが笑えるのだが、終盤にさしかかるにつれて、徐々に話はシリアスに、その真相の深くへと迫っていく。そのへんの急展開はうまいなあと思うし、ある意味ミステリみたいな、「その先」への期待感もある。
 演じる立場側からしても、一人の人物がこれだけ内面的振幅を見せる、あるいは実際にころころと性格が変わる、という役はそうあるものではない。やりがいのある、役者冥利に尽きる作品ではあると思う。

 次回の「芝居の会」が3月31日ということだから、それでもう3月も終わりである。
 いい加減作品を決めないと、本番までの稽古期間がどんどん短くなってしまうし、短くなればなるほど、選べる作品も限られてくる。
 今のところ有力なのは「君となら」とこの「出口なし」。
 
 どちらにしても、上演時間もセリフの量もそこにかかる労力も、去年の「オンタイム?!」なんかに比べるとはるかに多い。
 六月の本番当日まで、短い期間の中でどこまでやれるか。
 完全な立ち稽古までには、とりあえずセリフを全部入れる・・・と考えた場合、逆算すると、五月半ば過ぎぐらいにはそういう状態まで持って行きたいところだし、とすると、五月初め頃には荒立ち稽古を開始しなければならない。
 しかしまだこれから作品選び及び演出、キャスト、スタッフもろもろの決定だから、現実的な本読み稽古は二週間から、よくても三週間といったところか。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。
 
 うーむ、なんか忙しいスケジュールだなあ。


March 18, 2005

連載「ヒデ・芝居の会へ」(2)

 昨日は「芝居の会」へ。
 三月中には台本を決めたいということだが、まだとてもそんな段階ではない。
 昨日は出席メンバーも少なめだったが、とりあえずなにか本を読んでみようということで、キャラメル・ボックスの「銀河旋律」と、バーナード・スレイドの「セイムタイム・ネクスト イヤー」を読んだ。
 
 「セイムタイム・ネクスト イヤー」は、僕の演劇人生の中で、一度はやってみたいと思う野望の芝居である。
 登場人物は二人の男女だけで、どちらも家庭を持ちながら、「年に一度だけ、同じ日に、同じホテルで会う」という、七夕的不倫を題材にした物語である。それが5年ごと、全5場、25年間にわたって描かれる。
 
 不倫を題材にしながらも、このドラマには暗い罪悪感や湿っぽいところは何にもなく、基本的にコメディ・タッチで、笑いあり、涙あり、痛みありのハートフル(という表現もなんか古くさいけど)な力芝居である。
 とにかく文句なく面白いし、二人の関係やその思いにとても共感させられる。
 これを読むと、「浮気って、そんなに悪いものじゃないんじゃないか。結婚して伴侶や子供がいたって、誰か別の相手に恋をするのは、むしろ素敵なことなんじゃないか」と妙にしみじみと感心させられてしまう。
 僕の「結婚してからの浮気大賛成」の原点となる本である。
 
 でもまあこれはやはり、上演は難しい。
 二時間を軽く超えるこの芝居を、二人きりで持たせるというのは、単純に体力的な問題もあるし、なにより25年間の、その年齢の演じ分けというのが一番の難関である。
 それに出演者が二人だけでは、そのどちらもお客に気に入らなかった場合、その上演時間の長さというのは、お客にとってはまさしく苦痛以外の何物でもない。
 もう少し実力がついて、上演のための準備期間もたっぷりととれるなら、いつか挑戦してみたいとは思うのだが。

 「銀河旋律」の方はというと、センチメンタルでファンタジックで、ラブコメチックに過ぎるんじゃないか、とは思うものの、まあ、それなりには面白かった。確かに上演不可能ではないし、今の参加メンバーの状況を考えても、むしろ上演しやすい部類の作品だとは思う。
 
 しかしいかんせん、「どうしてもこれをやりたい」という決め手には、大きく欠ける。
 そして「今さらこれをやるか?」という気持ちが先に立ってくる。「何も今さらわざわざ・・・」という。
 まあ趣味の問題もあるけれど、僕的には、これはやはり、「キャラメル・ボックスの世界」なんじゃないかという気がする。
 確かに若い子たちにはそれなりに受けるのだろうが、もう少し「大人の芝居」がしたい、というのが、実際のところ本音である。
 
 というわけで、台本選びについてはとくに進展なし。
 候補として今のところ有力なのは、三●幸喜の「君となら」と、来週メンバーの一人が持ってくるという、やはり三谷●喜の「出口なし」である。
 あとはまあ・・・ニール・サイモンの「プラザ・スイート」あたりか。
 
 いずれにしても、3月中に台本決定というのはかなり厳しそうな雲行きである。
 しかしどうでもいいけど、また役者として舞台に立つというのが、なんだかこのところ少しおっくうになって来た。
 仕事も今、鬼のように忙しいことだし。

セイムタイム・ネクストイヤー
ニール・サイモン戯曲集(1)
銀河旋律;広くてすてきな宇宙じゃないか


人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

March 04, 2005

ヒデ、「芝居の会」へ

 こじらすかと思われた風邪も、10時間の睡眠とビールと風邪薬でなんとかやりすごし、昨日は仕事のあと「芝居の会」へ行ってきた。メンバーに会うのは、去年の夏の「オンタイム?!」以来、約半年ぶりである。
 
 まだ台本が決まっていないということで、僕も台本選びの本読みに参加した。
 昨日読んだのはニール・サイモンで、『プラザ・スイート』の中の「フォレスト・ヒルズの客」という作品。
 わりと短めのもので、上演時間にして、一時間弱ぐらい。話としては、なかなか面白かった。ユーモアのセンスが、まさしくニール・サイモンという感じである。達者な人がやれば、結構うけるいい舞台になるかも知れない。そうでない場合は−−「・・・で?」という感じか。
 テーマの重い下手な社会劇なんかより、よっぽど役者の技量が問わるのは間違いない。
 キャスティングにほとんどすべてがかかっているといっても過言ではない作品である。
 
 久しぶりに台本を読むときというのは、やはり結構緊張する。
 一緒にやっている人たちからは、そんな風には見えないと言われるかも知れないけれど、まったく知らない物語や人物に初めて入っていく時というのは−−そしてそれを声に出して読むというのは、わくわくする高揚感と、ちょっと胃のあたりが気持ち悪くなるぐらいの緊張がある。
 いやほんと。
 まあ、いったん読み始めてしまえば、そんなのはすぐにどこかへ飛んでしまって、ただ単純に楽しんでしまうのだが。
 
 しかし今さらながら、一本の芝居を上演にこぎつけるということは大変である。
 いろいろな本を読んでわあわあ言っている時は楽しいけれど、いざ台本が決まって、上演にかかわるあらゆる準備をこれからしていかなければならないかと思うと、「むむ」という感じで、つい尻込みしそうになる。
 当たり前だけど、芝居作りには時間もかかるし、時には精神的にも肉体的にもぼろぼろになる。大変な作業だ。
 仕事やら家庭やら、いろいろなものをある程度犠牲にしなくちゃならないのはもちろんだし、仲のいい友人と意見の違いで喧嘩したり、人の愚痴やら悪口やらを「ふむふむ」と聞いたり言ったり、時にはいきなり目の前で泣き出されたりすることもある。
 今までなんとかやってきて、芝居も無事成功して、打ち上げの時にいきなりつかみかかられたり、泣きながら自分の思いやらうらみつらみを訴えられることもある。劇団内で発生した切実な恋の悩みを相談されたり、あるいは自分が二重三重の三角関係に巻き込まれたりもする。
 まあ、そういう高密度で過剰な人生の縮図みたいなものが、演劇やってる面白さの一つでもあるわけだが。
 そういうのって、普通に社会人やってるとなかなかない。
 
 それでも昔自分で企画してやってた時なんかのことを今思うと、いやいやよくやれたよなあと我ながら感心する。
 そういうエネルギーを自分が持っていたのだということに対してである。
 とにかくそこに全力投球することが出来たし、疲れることなんて屁でもなかった。
 むしろ一本の演劇を仕上げるために、とことんまで疲れ果てたいと思っていたし、その結果どんなものが出来上がるのか、どこに辿り着くことが出来るのか、そういうのが自分にとっての大きなモティベーションになっていた。企画した作品をとことん愛していたことも事実だけれど、それにしても。
 
 あのような情熱が、僕の中にはまだ残っているのだろうか?と考えることがある。
 そういうなりふり構わず一つのことに没頭するということが、良いか悪いかは別として。
 でもそんな風に一つの舞台に取り組んで、可能な限りぎりぎりまで自分を追い込んで、もう一度芝居をやれたら面白いだろうなあと、今でも時々思います。

追記
 久しぶりにブログを書いた気がする。
 最近仕事が忙しすぎたり体調が悪かったりで、なかなか書く気にならなかった。
 もうちょっとちゃんと継続的に書いていきたいものだ。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。


February 27, 2005

日向君とオフ会、昔はじめて付き合った女の子のこと、「ドブねずみたちの挽歌」

キムチ鍋 昨日は「日向と日陰」ブログの日向君が地元に帰った来たので、我が家で晩飯がてら一緒に飲んだ。
写っているのはキムチ鍋と、日向君の手です。

 彼は仕事の都合で去年の冬頃から千葉へ引っ越したのだが、いろいろと苦労しているようだ。
 千葉に勤務して間もないのに、あっちへ転勤してくれ、こっちへ転勤してくれと二度も言われたとか。それが四日市とか盛岡だから、聞いただけで大変そうですね。

 キムチ鍋はうまかった。うちはこれが好きなので、冬の間四回か五回ぐらいはやります。あと焼き鳥とイカの刺身もうまかった。
 愛猫マキにチーズを少しわけてあげたらおいしいと言って一所懸命食べていた。マキの大好物はチーズと、焼き魚の「いわな」である。

  そう言えば今日、去年参加した芝居「オンタイム?!」のカコから、来週あたりちょっと来てよとメールがあった。
 6月の公演に向けて活動再開したらしい。
 カコとは15歳からの腐れ縁だから、気づいてみたらもう人生の半分以上は関わりあっていることになる。

 彼女は16の時、僕が生まれて始めて付き合った(むこうにとっても)女の子だ。
 その時は結局3ヶ月ぐらいで別れてしまったのだが、今でもいい友達である。
 17年間の付き合いの中で、それぞれの人生の転機らしきものや、いろいろと大変な目に合っているところなんかも見てきたし、時には男女関のトラブルのようなものについても、話を聞いたり、相談したりしたこともあった。
 今ではお互いの性格や考え方というのはだいたいわかっているし、いつもだいたい会うと憎まれ口しかきかないのだが、根本的な部分ではお互い信用しているのだと思う。

 ここ何年か、カコが電話をかけてくる時、あるいはメールしてくる時というのはだいたい「また芝居やらない?」という内容で、そういう時の口調は妙に控えめだったり、しおらしかったりして面白い。
 考えてみると二十四の時、はじめて地元の公演「夏の夜の夢」に”ライサンダー”として出演したのもカコからの誘いだった。
 カコが芝居を続けていなかったら、誰かに誘われてまた芝居をやるということもなかっただろうし、そうしたら今の嫁さんとも知り合っていなかったわけだ。
 そう考えると人の縁というのは、なんだかとても不思議なものである。

「ドブねずみ」ポスター  「オンタイム?!」の本番前日、僕が作ったポスター、ネット初公開。
 といっても、「オンタイム?!」の劇中劇用のポスターなんだけど。
 なんだかついこの間のことのような、ずいぶん前のことのような。

写っているのは僕と、カコです。

 というわけで、みどりさん、3月3日ひな祭り、稽古場へ参上します。
 とりあえず見学に。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。



February 16, 2005

アーサー・ミラー氏を偲んで・・・第3夜 「セールスマンの死」(2)

「偉大なドラマは偉大な疑問であり、さもなければただの技巧でしかない」
                〜「アーサー・ミラー自伝(上)」より

 (前回までのあらすじの続きです)

 青年だった頃のビフやハッピーに、ウィリーはよく自分の人生哲学を聞かせた。
 
 ウィリーの脳裏に、十数年前の幸せだった日々がよみがえってくる。
 ビフもハッピーも高校生で、ビフはフットボールの選手だった。
 
 「いいか、実社会ではな、個性的で魅力のある男が勝つんだ。愛想良くして、人に好かれれば困ることはない。わしはバイヤーに会うのに決して待ったりはせん。”ウイリーが来たよ!”そういえば、あとはスイスイだ」
 「俺の知ってるあるセールスマンは、電話一本で商売をする。そしてどこの町へ行っても、彼が行けば誰もが歓迎する。
 彼の葬式には本当に何百人という人が参列したもんさ」

 隣人である弁護士チャーリーの息子で、ビフと同級生であるバーナードがあらわれて、ビフに忠告する。
 「数学の試験に落ちると卒業できないって、先生が言ってたよ」
 ウィリーは鼻で笑ってバーナードを相手にしない。ビフには、三つの大学が奨学金を出そうと申し出ているんだぞ。
 いいかバーナード、そんなこと言ってるようだから、おまえたち一家はだめなんだよ。なんの面白みもない。

 若き日のリンダが、洗濯籠を持って出てくる。はじめはウィリーも景気のいい話をしているが、リンダから家や車やその他の支払わなければならないローンのことを聞かされると、次第に気持ちが沈んでいく。
 ウィリーには、実際には自分で言うほどの収入はないのである。そんなウィリーを、リンダは力づけようとする。
 大丈夫、お金のことはなんとかなるから。
 そんなリンダを見るにつけ、彼は旅先の寂しさを紛らわすらわすために寝た<ボストンの女>のことを思い出し、心が痛む。


 二幕に入ると、ウィリーは自分の会社の二代目社長であるハワードに会いに行く。
 家の最後のローンを払うための二百ドルを前借りさせて欲しいこと、それにもう、旅回りで長距離を行ったりきたりする年齢でもないし、これからはニューヨークの勤務にしてもらうこと、を頼んでみるよう、リンダからすすめられたからである。
 ウィリーはハワードに用件を切り出すが、彼は買ったばかりのテープ・レコーダーに夢中である。どうだい、声が録音できるんだ。すごいじゃないか?これが息子の声だ。これなら留守をしていても、声でメッセージを残すことだって出来るんだ。
 そしてハワードはウィリーに言う。ニューヨークにはあいたポストはないし、それにだいぶ疲れているようじゃないか?この際休養したらどうだい。

 ウィリーは懸命に訴える。先代の社長の頃から、自分がどれだけ会社に尽くしてきたか。ハワードが生まれた時、どんな名前にすればいいか一緒に考えてやったこと−−。
 しかしそんな話を聞いてもらえる余地はない。
 勤務の変更を求めにきたはずだったが、ウィリーは首にされてしまう。

 いつの間にか、ウィリーはチャーリイのオフィスにやってくる。
 そこには、今は立派な弁護士になっているバーナードがいる。
 ウィリーは思いあまってハワードに聞く。
 どうしてビフは、あんなになってしまったんだろう、何か思い当たることはないか、と。
 当惑しながらもバーナードは、高校三年の時のことを話す。
 「数学で落とされはしたものの、ビフは夏期講座で単位を取り直すつもりでいました。ところがおじさんに会いにボストンへ行って帰ってきてからというもの、すっかりやる気をなくしてしまった。そして自慢にしていた「ヴァージニア大学」と書いた運動靴を、燃やしてしまった。僕たちはそのとき、初めて殴り合いの喧嘩をやりました。おたがいに、泣きながら。
 今でも、ときどき不思議に思うんです、その時のことが、どうして一生を捨てちまったんだろうって。ボストンでなにかあったんですか?

 バーナードに質問されるうちに、ウィリーは逆上してしまう。
 「どうしようというんだ、おれを責める気か?子供が投げたのを、わしのせいだと言うのか?」

 やがてチャーリイがあらわれ、ウィリーに50ドル渡す。チャーリイはウィリーに、うちの会社で働かないかと言うが、ウィリーは頑なに断る。そしてさらに150ドルの金を借りて帰る。

 ウィリーは待ち合わせのレストランに行く。今夜は、ビフとハッピーがレストランで一緒に食事をしようと誘ってくれたのである。ウィリーが来る間、ハッピーは店にいた女に声をかけ、ビフのためにもうひとり女を呼ぶようにと言う。
 今日ビフは、以前勤めていた会社の経営者ビル・オリヴァーに会いにいく日だった。ハッピーの考案したすばらしいアイデア、”兄弟で経営するスポーツ用品店”の開業ための資金を借りるためにである。今日のこの食事は、そのお祝いになるはずだった。
 ウィリーはビフの背中を強く叩いて言った。「そうだ、おまえが本気になりさえすれば、そのぐらいの金いくらでも貸してもらえるさ」

 しかしビフは打ち明ける。一日中待たされたあげく、ビル・オリヴァーからは一顧だにされなかったこと。彼は、ビフのことなどまったく覚えていなかったのだ。そしてあげくのはてにビフは、ビル・オリヴァーの机の上に置いてあった万年筆を盗んできてしまった。
 ビフとウィリーの間に、はげしい口論が始まる。

 ・・・時間は過去へと遡り、ウィリーにとって、あのおぞましいボストンのホテルの一夜のことが思い出される。
 数学の試験に失敗したビフが父に相談しに来たところ、ウィリーは女と一つの部屋にいたのである。
 しかも、妻リンダがつぎはぎだらけの靴下を一所懸命に倹約して使っているというのに、ウィリーはその女に、シルクの靴下を何足もプレゼントしている。
 日ごろ尊敬し崇拝してきた父の偶像は、一挙に崩れる。弁解するウィリーに、「嘘つき!インチキ!」と叫び、ビフは泣きながら飛び出していく・・・。

 ウィリーが過去を回想している間に、ビフとハッピーは女と共にどこかへ去ってしまっている。
 一人家に戻ったウィリーは、中庭でビートやレタスの種を蒔いている。兄ベンの幻影があらわれる。
 ウィリーはベンに、自殺して二万ドルの保険金をビフに残してやりたいのだが、と相談する。
 
 遅く帰ってきたビフとハッピーに、リンダは怒り、二人ともこの家を出て行きなさい、と叫ぶ。どうしてお父さんにそんなひどいことが出来るの?自分たちで食事に誘っておきながら。とても楽しみにしていらしたのよ。

 ウィリーとビフは再び言い合いになる。ビフは言う。
「おれは人の頭に立つような人間じゃないんだ、あんただってそうだ。足を棒にして歩く注文取りに過ぎない。おれは一時間一ドルの
人間だ!七つの州でやってみたが、それ以上は取れない。一時間一ドル!・・・おれはくだらん男だ!つまらん人間だ!
それがわからないんですか?別に恨んでなんかいない。ただ、おれはおれだ、というだけさ」
 そう叫び、泣きながらウィリーにしがみつく。これを父への愛情と受け止め、また自分の人生が失敗だったことに気づいたウィリーは、その責任を受入れ、家を飛び出し、車を暴走させて去る。


 この物語は、寂しい葬式のシーンで幕を閉じる。ウィリーがセールスマンという職業に対して夢に抱いた何百人もの参列者などどこにもいない。彼を見送るのは、ただリンダとビフとハッピー、それにチャーリーとバーナードだけである。
 リンダは悲痛にすすり泣きながら、空しく問いかけるように呟く。
 「なぜ、あんなことをなさったの?家の最後の払いは、今日済ませました・・・でも、もう住む人はいない。借りも払いもみんななくなったのよ。これで、自由になったのよ。借りも・・・払いも・・・なくなってね・・・」

 「アメリカの知性」と呼ばれたアーサー・ミラーは33歳の時に、この作品でピューリッツァー賞を受賞した。
 1949年の初演、その後も今日にわたり、世界中で公演されている、すでに古典とも言われるほどの、演劇界の金字塔である。
 これを書いた時、あるプロデューサーはアーサー・ミラーに電話をかけてきて、「なんだってこんなに悲しい話を書くんだ?」と言ったそうである。「あんまりにも、悲しすぎるじゃないか」

 ミラーは後日、これを北京で自ら演出したときに、中国の役者たちにこう語っている。
「ウィリーは、とるに足らない人物などではない。彼は決して受身ではない。黙ってじっとしていれば、そのまま押しつぶされてしまうことを知っている。嘘や言い逃れは、まわりの悪魔を防ぐための小さな剣なのだ。彼の活動的性格は、人類を進歩に導くものである。確かにそれは破滅も生むが、進歩もつくる。彼の愚かさのかげにある、彼が実際に対決しているものに目をやってもらいたい。それは人間にとって大事なことなのだ。ウィリーの闘いの中には気高さがある」

 彼がその鞄に何をつめこみ、何を懸命に売っていたのか、それはこの原作の中にはどこにも書かれていない。
 それは1949年の初演以来、多くの人々の議論の種になっている。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。
参考文献
 アーサー・ミラー「セールスマンの死」
 アーサー・ミラー「アーサー・ミラー自伝」
 アーサー・ミラー「北京のセールスマン」
 全国アメリカ演劇研究者会議・発行「アメリカ演劇・6 アーサー・ミラー特集」

(アーサー・ミラーの本)
北京のセールスマン
アーサー・ミラー自伝〈上
アーサー・ミラー自伝〈下〉
アーサー・ミラー―劇作家への道
現代史を告発する―アーサー・ミラーの半世紀
アーサー・ミラー
ジェインのもうふ―アメリカのどうわ
アーサー・ミラー全集 1 改訂版 (1)
アーサー・ミラー全集 (2)
アーサー・ミラー全集〈6〉(新刊)



February 14, 2005

アーサー・ミラー氏を偲んで・・・第2夜 「セールスマンの死」

 新劇界における歴史的名作「セールスマンの死」について、舞台を見たことのない人、戯曲を読んだことのない人、またこの先もおそらく読むようなことはまずないだろうという人たちのために、その簡単なあらすじを、ご紹介したいと思います。
 持っていた台本を人に貸してしまっていて手元にないのですが、内容はだいたい覚えていますし、その他の資料なども参考にしながら、出来る限り記憶を掘り起こしてみたいと思います。
 それから、このサイトで扱う書籍、映画、演劇等については、基本的にすべてネタばれですので、ご注意下さい。
 

 舞台は1940年代のアメリカ、ニューヨークのブルックリン。
 物語は、主人公である老いたセールスマン、ウィリー・ローマンが夜遅く帰宅するシーンで始まる。
 彼は車に商品のサンプルを積み込んで地方を巡業し、新たな販路を開拓するセールスマンである。
 ボストンへの長い旅路のセールスに向かったはずの彼が、思いもよらず帰ってきたことに妻は驚きつつ、やさしく迎える。
 どうしたの?何かあったの?いや、ちょっとした事故があってね、たいしたことはないんだ。

 事故自体は、たしかにたいしたことではなかったが、しかしリンダには気がかりだった。同じような事故が、ここのところ何度も続いていたからだ。
 二人のやりとりが続く中で、リンダ(あるいはウィリーだったか)がもらす。
 車も、冷蔵庫も、洗濯機も、家も、やっとローンを払い終えて自分のものになると思ったときには、みんな駄目になってしまうのね。

 この何気ない会話が、このあとの物語のテーマを一貫してひっぱっていく、さりげない、しかし強烈な伏線となる。
 
 彼はセールスによって、学歴もなにも持たない人間が自分の腕一本で巨万の富を手にするという、まさにアメリカン・ドリームを信奉してきた男であった。
 若い頃はそれなりのセールスもあったが、今ではお得意先も次第に世代交代し、なじみの客もほとんどいなくなりつつある。昔のように、とにかく愛想良く、人に好かれさえすれば、そうしてコネクションをつくりさえすれば、物を買ってもらえるという時代ではなくなってしまっている。
 ようするに、彼は年をとりすぎたのだった。彼はすでに時代遅れであり、過去の人間であった。社会や価値観の変化は容赦なく彼を置き去りにし、
片道10時間もの距離を運転してセールスに向かうには、体力的にも限界だった。これ以上、セールスによる歩合給だけでやっていくのは無理がある。
 
 彼には二人の息子がいた。長男のビフと次男のハッピーである。
 長い間家を留守にしていたビフが、ゆえあって、家に帰ってきている。
 ビフは高校時代、アメリカン・フットボールの花形選手であった。誰もが一目置き、将来を有望視され、さまざまな有名大学からオファーがあった。
 「こいつは将来ぜったいに大物になる」
 ビフは、ウィリーにとってなによりの自慢の種だった。
 しかしビフは、ある出来事をきっかけに、大学進学を自ら放棄し、その後は職を転々としていた。何をやっても長続きしなかった。今は西部の牧場で働いていて、一時帰郷したのだという。
 あれほど自慢だった息子、あれほど将来のあった息子が、なぜ今そのような状態に甘んじているのか、ウィリーには理解することが出来ない。
 おまえには、人並み以上の能力がある、おまえが頼みさえすれば、どんな所にだって就職できるはずだし、もし本当に自分の力を試してみたいというのなら、その事業資金ぐらい簡単に貸してもらえるはずだ。
 ウィリーは今でもそう信じている。
 いったいなぜ進むべき道を決めかね、人生をそのように無為に費やしているのか?

 家族を愛し、家族のためにこれまで懸命に働いてきたウィリー。
 なのになぜ息子たちは、今このような状態にあるのだろう。

 過去の栄光ののち、失敗と挫折続きで、何をやっても長続きせず、敗北主義とも言える自堕落な生活を送り、軽犯罪にも手を出し、自分自身をなんとかしようという気持ちはあるものの、どうしていいかわからず、失意の日々を送るビフ。
 自信過剰で、実行力のともなわない大言壮語ばかり吐き、女ったらしで軽薄な遊び人のハッピー。
 
 ビフが、今では自分のことを憎んですらいることに、ウィリーは気づいている。
 
 物語は、過去と現在、そしてウィリーの心像風景を詩的に、たくみに織り交ぜながら、進んでいく。
 そして次第に、なぜビフが父を憎むようになったかも、過去の出来事から明らかになってくる。
 
 そして重要なのが、ウィリーの過去における、ウィリーの父親との関係、、そして兄との関係である。
 ウィリーの意識の中で、極度に美化されたかのようなイメージをまとって、二人はあらわれる。
 ウィリーの父親は、西部開拓時代の最後を生きた、ロマンのある男であった。兄はアラスカに赴き、そこで一攫千金を手にした、まさに時代の成功者であり、「アメリカの夢」を体現したような人物であった。
 記憶の中で、さかんにベンがウィリーに語りかける。アラスカに行こう。
−−なぜアラスカに行かないんだ?
 
 セールスにあくせくと走り回り、疲れた体をひきずるようにして、ローンの返済に追われる小さな家に帰ってくるウィリーとは、実に対照的な二人。
 二人の姿はときにウィリーを、憧れへ、夢へと駆り立て、また死へと駆り立てることにもなる・・・。
 
 ビフがなぜ高校時代、あれほどの期待を体に浴び、その実力も備えながらも、大学進学を放棄することになったのか。
 
                                       続く。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。


February 13, 2005

アーサー・ミラー氏の死

 「セールスマンの死」などの名作で知られるアメリカの劇作家アーサー・ミラー氏が10夜、コネティカット州の自宅で、鬱血性心不全のため亡くなった。八十九歳だった。

 という記事を今日新聞で見て、僕は愕然としてしまった。
 ついこの間もこのブログで彼の著書「北京のセールスマン」について少し書いたばかりだった。

 「セールスマンの死」の戯曲を読んで以来、ミラー氏はぼくにとって演劇の、そして人生の、大きな精神的師であった。
 尊敬する人は?と聞かれたら、彼の名をはずしては考えられなかっただろう。
 彼が与えてくれた影響は大きい。
 とりわけ演劇に正面から向き合おうとするとき−−これから稽古に入ろうとするとき、あるいは劇作や、脚色に取り組もうとするとき、彼の文章は、いつも僕に一つの指針をさし示してくれた。

 こんなにも素晴らしい劇作家がいるのだという感嘆と尊敬の気持ち、そして自伝などから感じ取ることの出来る、彼の社会に対する温かくも鋭く厳しい視線。何事をもなおざりに、ないがしろにしないその毅然とした姿勢。
 僕にとって彼は、演劇における精神的支えであり師であるとともに、永久に越えることのできない憧れだった。

 1950年代のマッカーシー旋風(赤狩り)を強烈に批判した、17世紀末にセイラムで起こった魔女裁判を題材にした「るつぼ」では、当時、多くの映画人、劇作家やその他多くの芸術家がその政治的圧力な前に屈し、その後の人生を大きく、決定的に方向転換させてしまった中にあって、彼は断固として自分の信念を貫き通した。
 「私は自分の良識を守りたい。他人の名前を引き合いに出して、その人たちに迷惑をかけるわけにはいかない」

 公演は上演寸前で禁止され、海外公演のための渡航手続きでは旅券の発行を拒否され、下院非米活動委員会での喚問では、上記の発言と証言拒否により、国会侮辱罪に問われた。

 彼が劇作する上で常に考えていたこと、そのもっとも大きなモティベーションであったのは、その人物がいったいどこから来たのか、なぜものごとや人々が現在の状態になったか、ということに対する不思議であったように思う。
 それはつまり、どのような真理が人生を支配しているか、なぜ彼はそうならなければならなかったのか、あるいは死ななければならなかったのか、ということである。人間を、常に社会的存在として、家庭、社会、国家といった連帯性の中でとらえ、家庭劇のスタイルの中に、その倫理的基盤と社会的責任、正義観と、試練を見出した。
 彼が重視したのは、因果関係に基づくプロットであり、加えてそこには、「セールスマンの死」に顕著にみられるような、「高みへと向かおうとする」精神、人間にとってもっとも価値ある、守るべきものに対する戦いがあった。


 本当に、本当に、惜しい人を、かけがえのない人を亡くしました。
 ご冥福を祈ります。

北京のセールスマンジェインのもうふ―アメリカのどうわ
アーサー・ミラー全集 1 改訂版 (1)
アーサー・ミラー全集 (2)
北京のセールスマン
アーサー・ミラー自伝〈上〉
アーサー・ミラー自伝〈下〉
アーサー・ミラー―劇作家への道
アーサー・ミラー全集〈6〉
現代史を告発する―アーサー・ミラーの半世紀
アーサー・ミラー



January 23, 2005

「ゴンザーゴ殺し」

(注意。ネタばれです)
 
 昴の芝居「ゴンザーゴ殺し」を見た。
 とても面白い芝居だった。この芝居は、今まで僕が見た、どんな芝居とも違っている気がする。
 ストーリー的にも、演劇的にも、ということである。
 
 「デンマークのある旅の一座。かつてはデンマークの首都で活躍していた一座だが、その栄光も今は昔。今では落ちぶれ、その日暮らしのドサ回り。
 しかしそんな彼らにも、ようやくチャンスめぐってくる。デンマーク王子ハムレットからの依頼で『ゴンザーゴ殺し』を城内で上演することになる。
 法外な報酬に一座は大喜びするが、ハムレットにはある思惑があった。先王を暗殺し、その妃をも手にした現王クローディアスの罪を、白日のもとにあばきだすこと・・・
 ハムレット自身が加筆した台本をもとに、一座は『ゴンザーゴ殺し』を上演するが、王の激高を買い、芝居は中断、捕らえられた彼らは、極刑を言い渡される」
 これが、今回のドラマの簡単な要約である。
 
 僕は今回一座の座長”チャールズ”を演じた石波さんから、
「ハムレットの中で劇中劇をやる人たちがいるでしょ?その人たちの物語なんだよ」
ということは聞いていたのだが、なんだかきつねにつままれたような話で、いったいどんな話なのか、まったく想像できなかった。会場に行くまで、それ以上のことはとくに調べなかったのだが、しかしこれは、予想を遥かに越えた芝居だった。
 
 幕が開くと、陽気な一座のユーモラスなやりとりが始まる。座長は娼婦”アマリア”を劇団に引き入れたことで、妻エリザベスとの家庭問題でもめている。団員たちは皆個性的で、自分勝手で、座長の言うことなど聞きはしない。
 見ているととても楽しくて、思わず笑ってしまう。彼らの明るさと陽気さ。ひと儲けして、また首都に劇場を持とうという明るい夢。
 そのやりとりは、ほとんどコメディーのようですらある。
 しかし見ていると、そんな陽気さとはうらはらに、そこにはなにか根本的な、宿命的な不吉さがあることに気づく。
 なにかが、噛み合っていない感じがする。完璧な演奏の中に、一箇所だけ、ほとんど気づかないぐらいの、小さな不協和音が混じっているような感じがする。
  何かがそこにある、といった緊張感、緊迫感。それが、冒頭から物語を導いていく。
 この辺は、やはり演出のうまさ、舞台づくりのうまさなのだろうか。上・下手に配された、背の高い鉄格子も、これがそもそもの始めから、コメディーや喜劇の雰囲気ではないという何か重い印象を受ける。
 僕は見ていて、なんだかミステリみたいだな、と思った。
 一つ一つはなんということのないやりとりなのだが、目が離せない。言葉に出来ない不吉さが、緊迫感が、興味をつないでいく。
 
 やがてその不吉さは現実のものとなっていく。
 ハムレットが自分たちにいったい何をさせようとしているのか、一座の者たちにも次第にわかってくる。
 もしかしたら、自分たちはこのままこの城を、二度と出られないかも知れない。
 
 このあたりの盛り上がり方はとてもスピーディで、圧巻である。原作の「ハムレット」は何度か読んだことがあるのだが、彼らの運命がこれからどうなるのか、目が離せない。やがて、ついに芝居は上演される。
 
 一座が現王の怒りに触れ、牢獄に囚われの見になってからは、拷問による自白の強要
 −−自分たちが「ノルウェイのスパイ」にそそのかされ、「ゴンザーゴ殺し」の脚本を故意に書き換え、「芝居による混乱に乗じて」、「王の暗殺を企てた」という、まったくありもしない嘘の自白を強いられる。名前は、”旅回りの俳優、座長チャールズ”などではなく、”こえだめのブタ”。そう言わされる。
 序盤では喜劇的ですらあった芝居が、とんでもない方向へ、深みへと落ち込んでいく。
 
 僕は四年近く前に見た俳優座の芝居「フル・サークル」を思い出した。
 「フル・サークル」の舞台は、第二次大戦末期のベルリンである。ストーリーもシチュエーションもまったく違うが、その中で脱走囚のユダヤ人が、ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密国家警察)に引っ張り出され、尋問される場面があった。
 「名前を言え」とゲシュタポに言われ、彼は何度も「私はユダヤの豚です」と繰り返す。
 彼は戦争が始まる前は、科学者であった。
 人間性の、人間が持つあらゆる尊厳の、卑劣さの限りを尽くした暴力による破壊。人間を、文字通り動物以下のレベルにまで否応なく引きづり落とす。
 このシーンは同時に、僕に中世の魔女裁判を想起させた。
 告発された者が、生きのびるためにすべての誇りを捨て、罪もない仲間を共犯者として暴露し、弾劾し、時の政治という正義に与する。
 告白によって、社会への復帰を許される。
 これはこの「ゴンザーゴ殺し」の主題そのものとは関係ないかも知れないが、僕はそんなことを、目の前の痛々しいシーンを見ながら考えていた。

 この芝居は、よくいう言い方を使うなら、「とても懐の広い芝居」ということになるのだろうか。
 一枚岩ではない。非常に多くのテーマを含んでいる。ミステリでもあり、喜劇でもあり、悲劇でもあり、おとぎ話であるのと同時に、また社会劇でもある。
 個々のキャラクターにそれぞれの深みがきちんとあり、笑いもあって、痛みもある。
 人間が過去の歴史において犯してきた、鳥肌の立つような残忍性、不条理性、そういったものまで垣間見させられる。
 このような芝居は、初めてである。
 
 僕は作者のネジャルコ・ヨルダノフ氏については何ひとつ知らないのだけれど、その着眼が素晴らしいことは言うまでもないとして、なにかそういった、自身の体験に照らし合わせた、政治的試練の体験といったようなものがあったのだろうか?
 少し調べてみたいと思う。
 
 とにかく、久しぶりに、いい芝居を見せてもらった。
 はるばる長野から東京まで見に行った甲斐があったいうものである。
 石波さん、ご苦労さまでした。
 
 この芝居の、最後の大どんでん返し・・・これは、機会があったら、自分の目で確かめてみて下さい。
 ヒントは「ハムレット」の原作です。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。
続きを読む

January 21, 2005

北京のセールスマン

 無人島に一冊だけ本を持って行くとしたら?
 という質問を、たまに聞くことがある。
 実際、そんな羽目におちいるようなことはまずないと思うのだが、これはなかなか深遠な問いである。
 真剣に考えても、なかなかこれという答えが出ない。何を選んでも、何かが足りないような気がしてしまう。

 だいたいそんなこと、本当のところ誰にもわからないんじゃないかと思う。だってたとえ今どれほど好きな本でも、将来的に自分がずっとその本を必要とするかどうか、あるいは別の本を本当は必要とするのかどうか、誰にわかるだろう?
 「聖書」とでも簡潔に答えることができたら楽なのだろうが、あいにく僕にはそういった特別な信仰もない。
 僕の奥さんに聞いたら、「無人島には本なんて必要ないわよ」ということだった。
 なるほど。
 
 普段はもちろん、そんなことはまったく考えてもみないのだが、しかしそれでも年に何度か、僕はこの質問を自分自身に切実に問いかけざるを得ない場面に直面することがある。
 つまりそれは、旅行に出かける時である。
 
 僕は明日から東京へ、劇団昴の「ゴンザーゴ殺し」を観に1泊二日で行くのだが、さて、一体なんの本を持って行けばいいだろう?
 たかだか高速バスで、片道四時間、往復八時間の旅である。
 つまらない悩みと言われれば確かにそうなのだが、悩み出すと、結構きりがない。
 
 一週間前から僕の中で候補としてあがっていたのは、
 1.マーガレット・A・サリンジャー「我が父サリンジャー」
 2.ヴァージニア・ウルフ「ある作家の日記」
 3.アントン・チェーホフ「短編と手紙」
 4.アーサー・ミラー「北京のセールスマン」
 5.L.M.モンゴメリー 「赤毛のアン」
 である。

 4の”北京”以外は、どれもまだ一度も通して読んでいない。衝動買いで買ったきり、もう一年近く本棚でほこりをかぶっているものたちである。ただ「赤毛のアン」は、いつか自分で脚色してみたくて、買ったものだ。
 
 今回、結局悩んだ末に決めたのは、「北京のセールスマン」。
 これは、僕のお気に入りの本で、もう何度も読み返している。
 かの有名なリアリズム演劇の金字塔「セールスマンの死」を書いたアーサー・ミラーが1983年にこれを北京で演出した時の、ミラー自身が書いた記録。
 僕が誰よりも尊敬する作家アーサー・ミラーの本ということもあるけれど、この本は同じ演劇人として(というほどでもないけれど)、このうえなく興味深いエピソードと、多くの示唆に満ちている。
 一つの演劇作品を作りあげていく上での苦労、人が向き合わなければならないもの、その姿勢。
 ミラーの社会に対して向ける眼差しも、冷静で鋭く、厳しく、それでいて人間性そのものに対する温かさのようなものが感じられて、読むたびに、さまざまなことをを考えさせられる。これを読むと、「もっともっと真剣に演劇をやりたいな」と思ったりする。自分の稽古が始まったばかり、というような時期にも、よく読み返している本である。
 
 しかし読んでいない本がいっぱいあるのに、結局ここに落ち着いてしまうか・・・。
 興味があったら、「北京のセールスマン」読んでみて下さい。
 
 それにしても、JACK DANIEL'Sって、うまい酒だなあ。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。
 


January 18, 2005

「MONKWELL MANOR GUEST HOUSE」について 「ねずみとり」から

 これが初めてのブログアップ。ついこの間まで「ブログ」の名前すら聞いたことがなかったのだが(去年の大晦日ぐらいまで)、自分のホームページを作り始めたので、いろいろ調べているうちにその存在を知った。「ふーん。なかなか面白そうだな」という感じで、そのままなんとなく流れで登録。30MBまでは無料だということだし。(livedoor Blog

  登録手続きで、ブログのタイトルを求められて、いきなり壁にぶつかる。特に何も考えていない。タイトル?

 さんざん迷った末に、この「MONKWELL MANOR GUEST HOUSE」に決める。人が見てもなんのことかわけがわからないと思うけれど、これは有名なミステリ作家アガサ・クリスティが書いた「ねずみとり」という戯曲の中で、主人公の夫婦二人がこれから始めようとする山荘につけた名前である。

「マンクウェル山荘」。

  僕は二十の時、池袋サンシャイン劇場へ、平栗あつみ主演のこの「ねずみとり」を見に行った。当時つきあっていた彼女が、バレンタインのプレゼントということで、チケットをとってくれたのだ。 休憩をのぞいて、約二時間四十分の芝居。「犯人は誰か?」という、古き良き時代の本格ミステリである。

  以来、僕はこの戯曲と、演劇というものの魅力にすっかりとりつかれてしまった。劇場を出たあとも、わくわくどきどきしっぱなしで、「自分もいつかこれを上演して、主人役のジャイルズとして舞台に立つんだ」、と無謀にも固く心に誓った。当時、演劇とはなんの関わりもない生活をしていたのだけれど。


  それから六年後、僕は地元長野県で、知り合った演劇仲間たちとともにこの「ねずみとり」を上演し、ジャイルズ役を演じることが出来た。一応、夢は叶ったわけだ。

運も良かったと思う。自分の企画を受け入れてくれて、力を貸してくれる仲間たちがすぐそばにいたということ自体が、とてつもない僥倖である。

 企画から始まって上演まで、約8ヶ月かかった。長い芝居だし、舞台づくりも稽古も、ものすごく大変な作業だったけれど、約300人のお客さんに見てもらうことが出来て、おおむね好評を得ることが出来た。あれからまた約六年がたったけれど、「ねずみとり」をやることが出来て良かったなあと、今でもときどき思う。

 ということで、「MONKWEL MANOR GUEST HOUSE」、これからよろしくお願いします。

人気blogランキング。よろしかったら、クリックをお願いします。


ヒデのホームページ「快適書斎スタイル」もよろしく。

続きを読む