March 01, 2006

「クーリエ・ジャポン」のこと・その2「がんになってわかったこと」

 前回の号になるが、”世界の医療現場から がんと闘いがんと生きる”という特集が組まれていた。
 その中で僕が気になったのは、女性ジャーナリストの体験記「がんになってわかったこと」だった。

 がんや難病に苦しむ人たちの闘病記の多くは、現在健康な僕らに、生きることについての根本的な問いを投げかけ、健康であることの幸せを再認識させる。
 一ヶ月後、あるいは一週間後もちゃんと目を開けて朝を迎えることが出来るかどうかと、切実な不安と現実を抱えている人たちが、世の中にはいる。しかもそれは決して少ない数ではない。
 そういう人たちの手記を読むと、やはり自分の漠然とした現在の生や無為について反省させられる。深い内省を促される。
 何が大事か、ということについて考えさせられる。
 そして時には、ささいな絶望や傷心に苦しむ僕らに勇気を与えてもくれる。

 僕が気になった今回の記事は、そういった闘病に苦しむ人の、病気そのものに対する考え方、関わり方の一つの形である。
 重い病気に向き合うと言っても、もちろんそこには一般論では語り尽くせない、想像も出来ない苦悩や、問題がある。
 当たり前のことだが、患者の数だけその苦悩も問題も様々である。一面的ではないし、一筋縄ではいかない。

 今回の記事を読んで、「病気と闘う」ということについて、僕はいつもとはちょっと違う角度で考えさせられた。
 ここで少しだけ抜粋して紹介したいと思う。

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 若くしてがんと戦う女性、ジャーナリストのシェリー・ボヴェイは、記事の中でこう述べている。

 「がんをめぐる俗説は、宗教のようだ。一種の戒律のようなもので、救われるためには、まず病人が変わらなければいけないと断じる。
というのも、がんになった責任は病人にあり、回復のためにはなぜ自分ががんにかかったかを見出さなければいけないという発想が根底にあるのだ。
 まるでがんが何かのメッセージであり、人に悔い改めよと呼びかける声なのだと解釈しているらしい」
「頭、心、身体、魂を浄化しなければ、と考える患者もいるぐらいである」

 彼女はそのような精神論を信じ、懸命にがんと闘い、つとめて前向きに生きるが、治療が終わった途端うつ状態になり、疲れ切り、マイナス思考に陥る。
 再発の恐怖におびえるようになる。
 自分よりも症状の重い人が、自分よりも前向きに元気に生きている姿を見ると、罪悪感に苦しむようになる。
 そしてそのようなストレスで、自らの命を縮めているのではないかと怯える。
 しかし、どのような理性や精神論で自分を励まそうとしてみても、一度沈んでしまった気持ちから立ち直ることが出来ない。

 思いあまった彼女は、医師に悩みを打ち明ける。

 「愚痴っぽいのは承知です。私よりも症状が悪い人がたくさんいることを思えば、幸運なはずなのに喜べなくて・・・」

 すると医師は彼女に言う。
「あなたはがんになったのですよ。それのどこが幸運なのですか」

 がんをめぐる俗説、迷信が、患者をより苦しめている、とその医師は言う。

「がん患者は闘病だけで精一杯なのに、そのうえポジティブに物事を考えろ、と強いられている」
「まるで病気の責任が患者にあるかのような語り口で、これほど抑圧的なものはありません」

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 その後彼女は、結局自分の好きに生きるしかないんだと悟ることになる。
 彼女は自分の性格を、全面的に受け入れることにする。
 病気と闘いながらもボランティアに励んだり、何か大きな目標を持って頑張ったり、自分よりも偉い人たちが世の中にはたくさんいるというのは知っている。でも自分は自分なんだ、と。

 自分は小さなことで憂鬱になり、不安になり、腹を立てる人間だ。
 くだらないテレビ番組だって見たい。
 愛と和の精神ですべての人と接する聖人のようには、自分はなれない。

 そう割り切ったことで、自分の人生はより豊かになったと思う、と彼女は言う。
 
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