February 17, 2006

サマセット・モーム「月と六ペンス」を読み終える

 サマセット・モームの「月と六ペンス」を読み終えて、一週間ほどたった。
 モームの「月と六ペンス」は今回初めて読んだのだが、一言で言って、すごくスリリングで、衝撃的な小説だった。
 この小説は1919年に出版されたものだが、僕が今まで出会ったどんな小説とも異なる思想がそこには含まれており、そういう意味で、僕にとって新しい小説だった。

 小説の中ではこの「月と六ペンス」というタイトルと直接結びつくような内容は、一度も出てこない。
 文庫の解説によれば、これは象徴的意味を持つもので、「月」は、人間をある意味での狂気に導く芸術的創造熱を指すものであり、「六ペンス」は、それに対するくだらな世俗的因習、絆等を指したもの、ということである。

 ゴーギャンの伝記に暗示を得て書かれたというこの小説は、まさしくその2点の対立について描かれている。
 これはモーム自身が感じた社会や他者との対立でもあり、また自己の内部に抱えた対立でもあったのだろう。

 「平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出、芸術的創造欲のために友人の愛妻を奪ったあげく、女を自殺させ、タヒチに逃れる。ここで彼は土地の女と同棲し、宿病と戦いながら人間の魂を根底からゆすぶる壮麗な
大壁画を完成したのち、火を放つ。ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作」(「月と六ペンス」新潮文庫版より)

 主人公の天才画家ストリックランドは株式仲買人として社会的には十分成功し、裕福な暮らしと妻と子を得ているが、四十をいい加減すぎて突然、まるで悪霊にとりつかれたかのごとく絵を描くことへの情熱に憑かれ、そのためにすべてを捨ててしまう。彼にとって、もはや絵を描くこと以外はすべて価値のないことである。

 小説はそんなストリックランドと、物語の案内役である青年とのやりとりを主軸に、ストリックランドの妻をはじめてとして、愛妻を奪われる才能のない画家、世俗の周囲の人々との対比を通して、天才と俗な凡人との違いが描かれていく。

 そしてそこに描かれるのは結局、この世に生を受けた人間各々全員が、何を本当に、真実求めているか、求めて生きていくか、という魂の問題、問いでもあり、それがこの小説が多くの人々に衝撃を与え、ベストセラーになった所以でもあるのだろう。
 モーム自身がそれを多分に計算し、承知して書いている、とう面もあり、そういう意味では、この「月と六ペンス」は、逆説的ではあるが十分通俗小説であるわけである。

 愛妻を奪われる才能のない画家ダーク・ストルーヴは、世間的にはまだまったく相手にされない無名の絵描きストリックランドについて、そして芸術についてこう語る。

 「いいかい、美というおよそ世にも貴いものがだよ、まるで砂浜に石塊みたいに、ほんの通りすがりの誰彼にでも無造作に拾えるように、ころころ転がっているとでも思うのかい?美というのは、すばらしい、不思議なものなんだ。芸術家が、己の魂の苦しみを通して、世界の混沌の中から作り出すものなんだ。だが、それで美が創り出されたからといって、それを知るということは、人間、誰にでもできるもんじゃない。美を認識するためには、芸術家の経験を、めいめい自分で繰り返さなければならない。いわば芸術家が、一つのメロディーを歌って聞かせてくれる。それをもう一度僕らの心で聞こうというには、僕らに知識と感受性と想像力とが必要なんだ」

 ストルーブはもっとも初期にストリックランドの才能を認めた人物であり、確かな審美眼と芸術的判断力、繊細な感性と偏りのない批評眼を持っているが、こと自分の作品となると、どれもこれも本当の芸術とはかけ離れた、くだらない作品しか描くことが出来ない。
 小説の中でモームは、彼を駄目にしている原因を、結局のところそのロマンティックな幻影のせいだ、と言っている。
 それが、現実の世界において彼の目を覆ってしまっている。

 ストリックランドには、そのような通常の人間のような理想や幻想といったものはかけらも残っていない。
 ”すべて健康で、自然なもの、人間同士の幸福な関係や、素朴な人間の単純な喜びにつながるようなもの”は、いっさい彼の外へと放り出されてしまっている。
 彼は壮大な傑作の大壁画を描き上げ、自分の望みと人生の目的が達せられたと見ると、誇りと侮蔑を込めて、ただちにその壁画を燃やしてしまう。
 

 小説には登場しないが、ポール・ゴーギャンの作品に「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」という油彩画がある。

 (右のHP参照 http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtGauguinWhere.htm

 この絵をじっと見つめていると、とても奇妙な感覚に襲われる。
 そこにはある意味強烈な悪意すら感じられるように思われるが、何か真実の、人を惹きつける力がある。

 ストリックランドが、あるいはサマセット・モームが求めた芸術というのは、まさしくこの絵に象徴されているようなものなのだろう。
 芸術至上主義的な生き方、それ以外のものをまったくの無価値とする反社会的な態度がいいか悪いかということではなく(もちろん世界はめちゃくちゃになる)、ただ一人の芸術家(人間)の中に、そのような魂が求めてやまないもの、自分自身にも不可解な、抑えがたい情熱がたしかに存在する、ということがここでは問題なのである。
 それは、不可解な物を追求せずにはいられない人間の欲望、美の究極を追求せずにはいられない狂気、といってもいいかも知れない。
 そしてそれは、誰の胸の奥にも、息を潜めて存在するものである。
 その見開かれた目を、のぞき込もうとのぞき込むまいと。
 時々それは目を覚まし、僕らに美について感じさせ、考えさせ、苦しみを与えるのである。

 この本を読みながら、僕らもまた否応なく問われることになる。
 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」と。

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月と六ペンス 

月と六ペンス

世界の十大小説 (上)

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jailz at 21:13│Comments(0)TrackBack(0) 

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