March 2006

March 31, 2006

ファイナルファンタジー12、10のこと

 そろそろ終盤。
 現在、リドルアナ大瀑布を越え、リドルアナ大灯台の上層部をうろうろしている。バルフレアのレベルは50。他のメンバーは46。
 しかし前回夢中になった”10”に比べると、今回の方がかなり長い。
 前は一週間で終わったのだが。

 なかなか面白いが、トータル的には10の方が上のように思う。
 10はストーリー的に盛り上げ方がうまく、戦うべき相手と自らが背負う宿命がはっきりとしていた。その背後には常に人の儚さと深い悲しみが漂い、それでもなお立ち向かおうとする「決意」の美しさがあった。
 プロローグからエンディングまで、世界観やストーリーの構成が実にうまく計算されていたし、状況的にも精神的にも、そこには追い込まれた者の、やむにやまれぬ葛藤と大義名分があった。

 仲間のキャラクターもそれぞれ魅力的だった。ユウナ、ティーダ、ワッカ、ルールー、アーロン、リュック、キマリ。
 それぞれのバックストーリーがしっかりと描かれ、明るい笑顔の裏にもその人物なりの苦労や抱えている人生そのものが感じられた。
 シーモアやユーナレスカなどの悪役にも、それなりに重い人生哲学があったりして、つい「むむ」とうならされたものである。終盤からエンディングにかけては、あまりに感動的で、言葉もなかった。

 戦闘中の演出も10の方が楽しかったし、今回は召還獣が活躍させずらいのがとても残念である。
 ユウナがヴァルファーレの頭をなでている姿なんか、なんど見ても心温まったものだ。

 なんだか久しぶりにもう一度10をやりたくなってきた。

 ところで、僕はガンビットの「たたかう」より前に、「ヘイスト」をつけている。
 つねにヘイスト状態というのは、結構強いです。


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March 25, 2006

アンナ・カレーニナ(下)

 しばらく前から再読し始めた「アンナ・カレーニナ」が、やっと下巻まで進んだ。
 今は、ドリーが、アンナとヴロンスキーの豪奢な邸宅へ遊びに来ているところである。
 いろいろ読みたいものはあるのだが、ここ最近は寝る前にベッドで読む程度しか時間がとれないので、なかなか進まない。読んでいてもいまいち身に入らない。読みながらふと自分がぜんぜん理解していないことに気がついて、ページを戻し、何度も同じ行を読み返したりしている。

 昨日今日は、忙しくてPS2に電源も入れていない。ファイナルファンター12は進捗なしである。


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March 20, 2006

連休明け。平田広明さんのこと

 4連休が終了。連休中はブログもサイトもまったく更新せず、純粋にだらだらと休日を楽しんだ。特別なんの予定もなく家でごろごろしていると、時間や日付の感覚があいまいになってくる。腹が減ったら何か食べ、飲みたい時にビールを飲み、風呂に入りたくなれば昼間からのんびりと湯船につかり、夜は眠くなったら寝る、という感じである。そんな風に過ごしていたら、4日間なんてあっという間だった。

 四日の間、それ以外にやったことと言えば、ひたすらファイナルファンタジー12である。
 プレイ開始してみてびっくりしたのだが、なんとあの平田(広明)さんが、今回の主要メンバー、バルフレアのキャラクター・ボイスだった。
 知らなかった。

 どの国家にも組織にも属さない自由人、空賊バルフレア。ヴィエラ族の美女フランを相棒に、大空を駆けめぐる。
 時に軽口をたたき、女をくどき、酒を片手に悪漢に立ち向かう。
 態度は悪いが、正義感の厚い義賊である。

 とてもはまっている。
 かっこいい。

 平田さんというのはあれです。劇団昴の役者で、「アルジャーノンに花束を」で主役をはり、外部出演も数多く、アニメや洋画の吹き替えも多数、という売れっ子の俳優である。このごろは特に活躍がめざましい。
 縁あって知り合い、8年前に僕らが芝居の会で「法王庁の避妊法」をやったときには、わざわざ長野県まで稽古場を観に来てくれ、貴重なアドバイスまでしていってくれたいい人である。
 懐かしい。
 いやはや、それにしても出世したものだ。

 平田さんが声をやっているということで、他のキャラクターよりもついひいきに育ててしまう。バルフレアの戦闘回数が他のメンバーに比べて飛び抜けて多く、身につけている装備も高価である。武器も飛び道具と接近戦用の二種類を使い分けさせている。彼だけまわりより数レベル高い。
 強いぞ、バルフレア。

ティーダ01 話しは変わって、遅くなったけれど、新車「ティーダ」を披露します。





ティーダ02

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March 15, 2006

ティーダ納車

 予定通り、今日の夕方、新車「日産ティーダ」の納車。
 コンパクトなボディに1,800ccのエンジンは、予想を上回る余裕。
 たいしてアクセルを踏まなくても、すべるように走る。力があるぶん回転数も上がらないので、とても静かだ。
 シートや内装の生地の質感も上質で、車内も広い。一度乗り込んでしまえば、これがコンパクトカーとは思えないほどである。ミドルクラス・セダンの2,000ccよりも、はるかに運転が心地よい。
 後部座席のポジションも前後に移動できるし、おまけに背もたれがリクライニングまでする。運転席はパワーシートである。
 僕が今回の車選びに求めたものは、ほぼ100%達成することが出来たと言っていい。
 大満足である。

 明日から待ちに待った4連休。日がな一日FF12をやり、好きなときに風呂に入り、好きなときにビールを飲もう。

 ところで家に帰る途中、久しぶりにポッキーを買ったのだが、袋を反対からあけてしまった。つまりチョコレートの方が顔を出してしまった。
 これはとても困る。

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March 14, 2006

ヒデの今週の予定

 昨日今日と寒い日が続いている。
 今日は久しぶりに本格的に雪が舞ってかなり心配したが、たいしたことはなくてほっとした。

 以下、僕の今週の予定。

 ・明日3月15日(水)の夕方、新車「日産ティーダ」をディーラーへ取りに行く。

 ・明後日3月16日(木)、朝七時に、「ファイナルファンタジー将供廚鮑粘鵑離札屮鵝Εぅ譽屮鵑泙任箸蠅帽圓。1月30日のブログで予告したとおり、そのまま木・金・土・日と、有給を使って四連休。
 ひたすらしっぽりと「ファイナルファンタジー将供廚魎能する。
 午後はティーダのカー用品と、四日分の食料を買いに行く。
 その後、温泉へ。

 ・3月17日(金)、終日「ファイナルファンタジー将供廖

 ・3月18日(土)、終日「ファイナルファンタジー将供

 ・3月19日(日)、朝から夕方まで、「ファイナルファンタジー将供廖
 夜、映画「ミュンヘン」を観に行く。

 以上のとおりである。
 こんなにだらだらした気楽な4連休なんて、ここ何年かのうちでもほとんどない。
 学生の頃以来かも知れない。

 たまにはそういう連休もいいものだ。
 四日間、思い切り楽しもう。
 昼間からビールを飲み、お腹が減ったら適当なものをつまみ、猫とまったりとゴロゴロし、うだうだと自堕落な休日を堪能しよう。

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March 13, 2006

精神的下降、見つめ合い合コン

 ここ数日はひどい鬱々君だった。
 土曜、日曜も、何もやる気が起きなかった。何も楽しいことが思い浮かばない。
 何もやる気にならないし、文章なんて一行だって書く気分になれない。
 部屋でじっとしていると、気が狂いそうな気がするぐらい、時間と自分自身を持てあましてしまう。

 二月に一度ぐらい、僕はそういう精神的極度の落とし穴にはまり込む。
 特にこれといった原因やトラブルがあったというわけでもなく、ある日急にそれはやってくる。
 すとん、と。

 そういう時、僕はこれまでの様々な出来事を思い浮かべ、自分はなんて馬鹿で愚かで冷酷で卑劣な人間なんだろう、と考えたりする。
 なんて物事の本質のわからない、頭の悪い人間なんだろう。
 なんて無意味で無価値な人間なんだろう。

 結局、何一つ計画せず、何もしないのが一番良かったんじゃないのか?
 何も求めず、何も夢見なかったほうがはるかにましだったんじゃないのか?
 その代償に、どれほど多くのものを損ない、大切な誰かを傷つけ、失ってきたことか。
 同時に自分自身をもどれほど傷つけてきたか。

 ギルバート・キース・チェスタートンは、
「なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスを取り外してはならない」
と言っている。
 なぜフェンスが建てられたのか、その理由がわからないまま、僕は次々とフェンスを壊してきた。

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 そんな風に落ち込んでいろんなことを考え出すと、「これ以上生きていてもろくなことはないんじゃないか」
と時々真剣に考えてしまう。
 そんなの誰のためにも、誰の役にも立たないじゃないか?
 僕が生きている意味とはいったいなんなのだろう。

 そういうことを、陰鬱な気持ちで考える。

 しかし僕は、結局のところ、落ち込むのも早いが開き直るのも早いほうなので、そういうどうしようもなく暗く鬱屈した状態というのはそう長くは続かない。
 ようするにそのへんが、僕の無反省なところである。そしてだから今日までなんとか生きてこられたのだろう。
 落ち込んだあと、徐々に自分を立て直し、再び精神的上昇ラインに乗っていくこともあるが、朝目が覚めてみたら突然気分が良くなっていたということもある。
 そして僕の場合は、後者のケースの方が圧倒的に多い。
 幸せなことではある。
 それも、やはりとくにきちんとした理由なんかない。

 でもおそらく、わけもなく落ち込むときにも元気になるときにも、本当はちゃんと理由があるはずなのだ。
 それは何かはっきりとした一つの原因や形をとらないというだけで、あるいはさまざまな物の積み重ねや、その時の体調の良し悪しの問題もあるので、実際何がどうしてそうなったのか、自分でもよくわからないだけなのだと思う。
 僕自身にも、まだまだ自分のことがよくわかっていないのだ。

 とりあえず、昨日一昨日に比べれば、今日の僕はだいぶ持ち直した。
 朝起きたら突然気分が良くなり世界が薔薇色に見え始めた、というほどの劇的回復ではなかったが、今朝早く起きて、これから自分がやるべきだと思うことや計画やここ数年の目標を書き出し、あるいは今までに書いたものを見直してみて、少しは何かをやろうという気力が出てきた。昼間仕事をするうちに、精神的な曲線は少しずつだか上昇を始めた。
 そしてこうして今、なんとかブログを更新している。

 僕は思うのだが、人をもっとも傷つけ、悲しい気持ちにさせるのは、自分が手放したものや捨ててきたものについて、あるいは自分がしてきたことについて、今になってその重大さや意味や価値に気づいたり、後悔の念を持つことだと思う。
 それはいくら努力したところで今さらどうにも出来ないことなので、なお一層人を悲しい気持ちにさせる。
 一度そういう悲しみに捉われてしまうと、なかなかそこから這い上がれなくなってしまう。
 でももちろん、受け入れるしかないのだ、といつも同じ一つの結論に到達することになる。
 あとから後悔することはいくらでも出来る。そしてどんなに誠意を持って努力して生きても、後悔の種は尽きない。
 過ぎたことを後悔しない、というのも一つの見識である。

 そして結局、やはり人は誰でも、希望なしには生きていけない。
 それがどんなにささいな希望であろうと、他人から見てくだらないものであろうと。たとえ幻想に過ぎなくても。

 
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 ところで話はまったく(ほんとにまったく)変わるが、ある雑誌によると、アメリカの28歳の男性が、「見つめ合い合コン」というものを考案したということである。
 自己紹介などせず、とにかくまず無言でお互いの目を見つめあう。3分たったら交替。
 これでその後の合コンの会話が、よりスムーズに、より深いものに発展していくらしい。

 「人間が長いこと見つめ合う相手は恋人だけ。見つめあえば自然と恋愛気分が高まる」とある心理学の教授も太鼓判を押しているということだが、それはたしかにそうだと思う。
 
 もし第一印象がそこそこ良かった相手と三分もじっと見つめ合っていたら、かなりの確率で真剣に好きになってしまうのではないだろうか。
 
 三分も本気で見つめ合えば、相手の性格や人間性や、そのかなり深いところまで立ち入ることが出来るような気がする。
 少なくともその入口を見つけられそうである。
 当然そこには、何か親密な雰囲気や会話が生まれることになる。

 なかなかエキサイティングで面白そうだし、こういう合コンは日本でも是非やってみたらいいと思う。
 と僕は思うのだが、どんなもんでしょうね?
 
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泣ける!ベスト35特集



March 08, 2006

iPOD専用FMトランスミッターを買う

iPod-FMトランスミッター 今週末に納車予定の新車「ティーダ」のために、サン電子の「iPOD専用FMトランスミッター FMIP-301」をネットで買った。
 僕のiPodは2年ぐらい前に買った10GBのタイプで、最新のiPodと違い写真やビデオは見られない。
 でも自分が学生で、あるいは都会のサラリーマンのように、通勤でいつも電車を利用しているとかいうのならともかく、自宅から会社まで車で5分しかかからず、おまけに一日中ほとんどパソコンの前に座っている僕としては、iPodで写真を見たり、わざわざ小さな画面でビデオを見たりする必要性がない。
 そもそも平日の昼間から、なぜビデオを見たりする必要があるのか?
 あるいは休日だったとして、なぜ外に出てまで小さなiPodでビデオ鑑賞する必要があるのか?
 よくわからないが、とりあえず僕にはそういう場面は訪れないと思う。 


 そういうわけで、今のところ多少古い型のiPodでも、僕には十分である。
 iPodにいろいろと取り貯めた曲を、FM電波で飛ばし、車載のFMラジオで再生できる、というのは別に今に始まった新しいことではないが、僕は今までそういう便利なものを買ったことも体験したこともなかった。

 いろいろとお気に入りの曲を貯めてあるし、いちいちCDやMDを差し替えることなく、大量の曲を持ち歩けるというのは実に魅力的である。
 シガライターから充電も行うので、iPodのバッテリー切れを気にする必要もない。とても便利だ。
 考えてみると、この方法で常に音楽を聴くという場合、カーオーディオにはFMラジオと、あとは良いスピーカーだけあればいい、ということになる。なんだかそれはそれですごいことですね。

 新車が来るのに合わせて、どんどんCDをレンタルしてしまいそうだ。
 iTunesはまだ利用したことがないが、何曲か購入してみようかな。
 今持っているiPodの、残り6GBの容量で、さてあと何曲録音できるか。
 
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ipod ホワイト
ipod ブラック
30GB:7,500曲 60GB:15,000曲
サン電子 iPOD専用FMトランスミッター FMIP-301
iPod用ポータブルオーディオスピーカー

サン電子 iPOD専用FMトランスミッター FMIP-301

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March 07, 2006

平井堅 「瞳を閉じて」、恋することについて

 今さらだけれど、この間平井堅のアルバム 「SENTIMENTALovers」をレンタルしてiPodに入れたので、今日は仕事の移動時間中、結構集中して聴いてみた。
 その中に「瞳を閉じて」も入っている。
 言うまでもなく、悲恋の、とても悲しい曲である。
 失恋中の者にとっては、とても深く胸に染み入ってしまう曲だ。

 どれだけ多くの失恋中の人々が、この曲を聴いて胸に再来する痛みを確認しなおし、涙したことだろう?
 どれだけ多くの人々が、それぞれ自分の失った物と恋と恋人と、二度と取り戻すことの出来ない輝かしい過ぎ去りし日々を思い浮かべたことだろう?
 僕も、その一人である。

 いい曲なのだが、しかし困ったものだとも思う。
 何が困ったかというと、失恋に特有の、失ったものをこのうえなく美しく甘い思い出にしてしまうという点を、なおいっそう助長し強化してしまうという点である。
 もちろん、大切なものを失ったことはとても辛いことだし、誰でもその愛しい美しい思い出をなかなか手放せず、切なさで心を満たし、後悔や自責の念に苛まれる。
 なぜ僕らは出会い、なぜ失わなければならなかったのか?
 大好きだった人。幸福だった日々。思い出。
 それはやって来て、去ってしまった。
 失ったものは美しく、輝かしく、二度と取り戻せない。

 でもしかし、心の中には単純にそういう風にはしたくない、という気持ちもある。
 美しく甘く切ない哀惜の念に心をゆだね、そこにひたってしまうことは、自分が経験した恋を一般的で陳腐で安っぽい、ただのセンチメントな物語にすり変えてしまうような気がする。
 自分が経験したのはそんなものじゃないんだ、と思う。
 僕にとって、彼女は本当に特別な存在だったんだ。

 その時二人の間にいったい何が本当にあったのか、なかったのか、そして本当に自分が思うほど、お互いがお互いにとってかけがえのない存在だったのか、きちんと確認したいと思う。
 僕は自分に問いかける。「いったい二人の間には何があったのか?」と。

 でももちろん、最終的に、僕らが体験する恋は、たいていの場合、一般的で陳腐でセンチメントな物語だ。
 かけがえのないものなんて世の中にそうそうあるものではない。
 今どれだけ辛くても、たぶんそれが現実である。
 だからこそ人は、狂気に陥らず、正気を保って生きていけるのだとも言える。
 そして「恋をする」ということそのものが、ある意味すでにそういう陳腐さを招いているのかも知れない。恋とはもともとそういうものなのかも知れない。
 
 多くのものはしだいに消え、やがてその一つ一つのディテールは、思い出すのも難しくなっていく。自分がどれだけ心から相手を求めたか、という真剣さだけが、ぼんやりとした形で、いつまでもとどまり続ける。
 でもだからこそ、人を恋するということは素晴らしいことなのかも知れない。
 どれだけ稚拙だろうが、一般的で陳腐であろうが、僕らはそういう、一回性の人生を生き、そして何かを真剣に求めていく。
 それは僕らの人生に、消すことのできない刻印を積み重ねていく。
 好むと好まざるとに関わらず、僕らは求めたものと手にしたもの、そしてそれに見合う代償と共に、生きていかなくてはならない。

 そんなことをいろいろと考えながら、何度も繰り返し「瞳を閉じて」を聴いていた。
 そしてやっぱり、平井堅の「瞳を閉じて」はいい曲だな、と思った。
 「SENTIMENTALovers」というアルバムのタイトルは、まさしく的を得ているように思う。

 ところで「瞳を閉じて」の歌詞の中で、

 いつかは君のこと何も感じなくなるのかな?
 今の痛み抱いて 眠るほうがまだいいかな?

 という部分がある。今日あらためてちゃんと聴いたら、「眠る」ということは「死ぬ」ということなのかな?と思った。

 いつかは君のこと 何も感じなくなるのかな?
 今の痛み抱いて 死んだほうがまだいいかな?

 ということになると思うのだが、わからないけど、たぶんそういうことなのだろう。

 
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平井堅 SENTIMENTALovers

SENTIMENTALovers

1.思いがかさなるその前に…
2.jealousy
3.言わない関係
4.君が僕に憑依した!!
5.瞳をとじて
6.青春デイズ
7.style
8.signa.
9.鍵穴
10.nostalgia
11.キミはともだち
12.センチメンタル


March 03, 2006

カップ焼そばのこと

 僕は毎日昼食には、だいたいカップラーメンかカップ焼そばを食べる。
 ほとんどはカップラーメンで、焼そばを食べる頻度はそう多くはない。

 でもたまにカップ焼そばを食べる時、湯を入れ、三分たってお湯を切る時に、僕はいつも熱い思いをする。蓋のわきからはみ出てつたい落ちる湯滴が指にかかるのである。

 僕だって「今日こそは」といつも注意を払っているつもりなのだが、カップを傾け、あともう少しで湯が完全に切れる、というあたりで、必ずかかってしまう。
 みなさんはそんなことはないですか?
 だいたいどのメーカーの商品でも、だいたい同じ目に合う。そのたびに「あち」と言わなくてはならない。

 気をつけてるんだけどな。
 困ったものだ。
 
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March 01, 2006

「クーリエ・ジャポン」のこと・その2「がんになってわかったこと」

 前回の号になるが、”世界の医療現場から がんと闘いがんと生きる”という特集が組まれていた。
 その中で僕が気になったのは、女性ジャーナリストの体験記「がんになってわかったこと」だった。

 がんや難病に苦しむ人たちの闘病記の多くは、現在健康な僕らに、生きることについての根本的な問いを投げかけ、健康であることの幸せを再認識させる。
 一ヶ月後、あるいは一週間後もちゃんと目を開けて朝を迎えることが出来るかどうかと、切実な不安と現実を抱えている人たちが、世の中にはいる。しかもそれは決して少ない数ではない。
 そういう人たちの手記を読むと、やはり自分の漠然とした現在の生や無為について反省させられる。深い内省を促される。
 何が大事か、ということについて考えさせられる。
 そして時には、ささいな絶望や傷心に苦しむ僕らに勇気を与えてもくれる。

 僕が気になった今回の記事は、そういった闘病に苦しむ人の、病気そのものに対する考え方、関わり方の一つの形である。
 重い病気に向き合うと言っても、もちろんそこには一般論では語り尽くせない、想像も出来ない苦悩や、問題がある。
 当たり前のことだが、患者の数だけその苦悩も問題も様々である。一面的ではないし、一筋縄ではいかない。

 今回の記事を読んで、「病気と闘う」ということについて、僕はいつもとはちょっと違う角度で考えさせられた。
 ここで少しだけ抜粋して紹介したいと思う。

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 若くしてがんと戦う女性、ジャーナリストのシェリー・ボヴェイは、記事の中でこう述べている。

 「がんをめぐる俗説は、宗教のようだ。一種の戒律のようなもので、救われるためには、まず病人が変わらなければいけないと断じる。
というのも、がんになった責任は病人にあり、回復のためにはなぜ自分ががんにかかったかを見出さなければいけないという発想が根底にあるのだ。
 まるでがんが何かのメッセージであり、人に悔い改めよと呼びかける声なのだと解釈しているらしい」
「頭、心、身体、魂を浄化しなければ、と考える患者もいるぐらいである」

 彼女はそのような精神論を信じ、懸命にがんと闘い、つとめて前向きに生きるが、治療が終わった途端うつ状態になり、疲れ切り、マイナス思考に陥る。
 再発の恐怖におびえるようになる。
 自分よりも症状の重い人が、自分よりも前向きに元気に生きている姿を見ると、罪悪感に苦しむようになる。
 そしてそのようなストレスで、自らの命を縮めているのではないかと怯える。
 しかし、どのような理性や精神論で自分を励まそうとしてみても、一度沈んでしまった気持ちから立ち直ることが出来ない。

 思いあまった彼女は、医師に悩みを打ち明ける。

 「愚痴っぽいのは承知です。私よりも症状が悪い人がたくさんいることを思えば、幸運なはずなのに喜べなくて・・・」

 すると医師は彼女に言う。
「あなたはがんになったのですよ。それのどこが幸運なのですか」

 がんをめぐる俗説、迷信が、患者をより苦しめている、とその医師は言う。

「がん患者は闘病だけで精一杯なのに、そのうえポジティブに物事を考えろ、と強いられている」
「まるで病気の責任が患者にあるかのような語り口で、これほど抑圧的なものはありません」

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 その後彼女は、結局自分の好きに生きるしかないんだと悟ることになる。
 彼女は自分の性格を、全面的に受け入れることにする。
 病気と闘いながらもボランティアに励んだり、何か大きな目標を持って頑張ったり、自分よりも偉い人たちが世の中にはたくさんいるというのは知っている。でも自分は自分なんだ、と。

 自分は小さなことで憂鬱になり、不安になり、腹を立てる人間だ。
 くだらないテレビ番組だって見たい。
 愛と和の精神ですべての人と接する聖人のようには、自分はなれない。

 そう割り切ったことで、自分の人生はより豊かになったと思う、と彼女は言う。
 
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COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 3/2号

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2/16号