February 2006

February 27, 2006

雑誌「クーリエ・ジャポン(COURRIER Japon)」のこと

 僕はこの雑誌がわりと好きである。
 定期的に買う雑誌としては、前は「NEWSWEEK JAPAN」を読んでいたのだが、自分が興味のある記事が掲載されている時とそうでない時の差が結構激しいし、難しい肩のこる記事ばかりの時もあるし、毎週真剣に読むと結構疲れる。

「クーリエ・ジャポン」はどういう雑誌かというと、・・・僕がわざわざ説明するより出版元である講談社の正式な紹介文を引用した方が早いので、以下。

”「世界は日本をどう見ているのか」「日々起こる世界中のニュースを、海外の現地メディアはどう報じているのか」。
クーリエ・ジャポンはこの双方向の視点をコンセプトに、フランスの週刊誌『クーリエ・アンテルナショナル』と提携。
全世界1000メディア以上の有力メディアから記事を厳選し、日本の既存メディアが伝えない情報を月2回お届けします。
ワインから戦争までをカバーする「地球サイズのニュースマガジン」。
それが、クーリエ・ジャポンです。”
 
「クーリエ・ジャポン」は「NEWSWEEK JAPAN」に比べると(比べるような雑誌ではまったくないのは承知だが僕的には)肩の力を抜いて読めて、
内容的にも広範囲で、月に2回発行というペースも、僕には向いている。

 毎日昼休みに10分か20分か、のんびり興味深く頁を繰っていると、読み終わる頃にまた次の号が発売される。
 あせって情報を貪り吸収しているような切迫感を感じなくていいし、リアルタイムな世界の事象と接しているような感触もそれなりに味わえる。
 普段ろくにテレビも見なければ新聞も読まない僕としては、なかなか貴重な情報源だ。
 値段も480円と、この手のその他の雑誌に比べれば、そして内容的なことを考えれば、かなりお得である。


 最新号のヘッドラインは、

・10億人のIT大国が世界をリードする 巨象インドの野望
・表現の自由か、宗教の冒涜か ムハンマド風刺漫画をめぐる「文明の衝突」
・ホリエモンが暴いたルールなき日本の「闇」
・サムライの意識はグローバルだ 日米ビジネスマンを比較した意外な「調査結果」
・イラン核開発問題に口をつぐむ KOIZUMI政権のジレンマ
・同じ少子化に悩むドイツからの警鐘 高齢化は日本経済にどう影響を与えるのか?
・パチンコから裏町散策まで10時間でTOKYOを楽しむ9の方法
・シングル・モルトのような風格だ!NYタイムズ記者「焼酎王国」をゆく
・あのロバート・パーカーも注目「甲州ワイン」が世界を制する日
・検閲を受け入れ、ついに中国へ進出 超巨大化するIT企業
・グーグルの「危険な賭け」
・忙しい毎日を送る現代人へ「脳」を磨く方法
・145年前の首都の繁栄、再び 五輪で変貌する街トリノを歩く

  などなど。
 
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COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 3/2号

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 3/2号



February 26, 2006

のどかな休日

 今日は丸一日休みがとれたので、一日のんびり過ごした。
 久々に八時半過ぎまで熟睡し、起きて風呂を沸かしのんびり湯船につかった。
 風呂を出て、昼間からビールを飲む。

 特にやることもないので、昨日借りたビデオ「ロード・オブ・ザ・リング」の続きを見る。昨夜ベッドで見始めたのだが、眠気に勝てずに途中で挫折したのだ。
 しかし結局今日も挫折した。
 どうもこの手のファンタジーものは、僕にはあまり性に合わないようである。
 それにこれはちょっと長すぎるんじゃないか、と見ながら思った。ほかには特に感想らしい感想もなかった。

 昼食を食べ、またビールを飲んで、午後はずっと読書に耽った。
 アンナ・カレーニナの上巻をやっと読み終えた。
 その後また風呂を温めなおし、お盆に熱燗を乗せて湯に浮かべてみた。
 ぬるめの湯につかり、おちょこで酒をしみじみと飲み、先週一週間について考え、来週一週間について考えてみた。でも別にたいしたことは思い浮かばない。
 仕方がないので酒を飲みながら、朝からずっと降り続けている雨の音をぼんやりと聞いた。世界はこのまま、永久に春の雨に降り込められているんじゃないかという気分になった。
 僕自身も、このまま永久に春の雨に降り込められるんじゃなかろうか。

 永久に春の雨のやまない国。
 何日待っても、何ヶ月待っても、雨は降り止まない。

 なにかの物語の始まりみたいである。

 猫が入れてくれと鳴くので、浴室に入れてやり、そして僕はまた先週一週間について考え、来週一週間について考えた。
 これと言って何も変わり映えのない一週間だった。

 なにもすることのない、のどかな休日。
 
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February 24, 2006

舞台中継「12人の優しい日本人」を見る

 この間東京の友人が送ってくれたBSの録画「12人の優しい日本人」の舞台中継を、今日やっと見終わることが出来た。
 映画版と基本的には内容は同じだが、受け取る印象も感動もまるで違った。
 実際に舞台で見たら、もっとずっと感動したのだろうと思う。

 この舞台中継を見て、初めてこの「12人の優しい日本人」の核心、三谷幸喜氏のこの物語で描きたかったものをかいま見たような気がした。それは映画版ではあまり強くは印象に残らなかったものだった。

 今回感じたのは、これが「12人の怒れる男たち」のパロディという形をとりながら、しかしはっきりとした「怒れる」へのアンチテーゼとして、三谷氏らしいその表明があらわれているということである。
 たぶん三谷氏は、「12人の怒れる男たち」の主人公や物語が、その根本の部分ではあまり好きではないのだろう。僕にはそんな気がする。

 もともとの「怒れる」とこの「優しい日本人」では、最終的な主人公の立場がまったく正反対である。「怒れる」で単純に正義を貫き通すことの出来た主人公、そしてその正義感と孤高を、信じやすくだまされやすく流されやす一般的な人々に模範たらしめた彼だったが、今回はそう簡単にはいかない、といったところにこの作品の毒とひねりがあり、「怒れる」への本質的な批判があり、三谷氏独特の優しさとユーモアがあるように思う。

 新劇的ウェルメイド・プレイとしての単純な完成度からみれば、本家「12人」の方がまさっているように見える。話としてはよくまとまっているし、無駄がなく隙がない。しかしその感動の質はまったく逆であり、描こうとしていることの照準もまったく違う。
 ここで扱われているのは、正しさの追求ではなく、それがテーマでもなく、何が人にそれを「正しい」かと思わせる点である。

 一見喜劇的なやりとりの影に残る屈折は、少しだけ重い余韻と、不思議に心温まる感動を与えてくれた。
 
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February 23, 2006

中途・新入社員。欲望についてのささやかな考察。

 来月の1日から、うちの会社の総務部に新しく、24歳の男の子が入ることになった。新しく、だが中途採用である。社長と僕と二人で面接をした。
 僕の直属の後輩、ということになる。
 ずっと人手不足で残業に追われていたのだが、これで少しは楽になるかも知れない。早く帰ってゆっくり本を読んだり、夜な夜な映画に出かけて行ったりも出来るようになるかも知れない。
 とにかく、新しい仲間が増えるということはいいことだ。

 しかし24といえば、僕が会社に入った年である。そして生まれて初めて真剣に、演技者として「芝居」をやった年である。あれからもう十年近くがたった。

 ところでここ最近僕は、時々「欲望」について思いを巡らせる。
 僕自身の欲望について。広く一般的な欲望について。
 ありふれた欲望について。特殊な欲望について。特殊な状況下での欲望について。若者の欲望について。老人の欲望について。

 結局すべての文学も、芝居も、映画も、音楽も、すべては人の欲望について語っているように思う。欲望について語っていないとしても、欲望なしには物語は考えられない。

 そしてそう考えると、人間とはつまり欲望なんだ、と思う。
 だから欲望について真摯に向き合い語っていない作品は、つまり人間の根本的な部分と向き合っていないということになり、真の文学や芸術にはなりえないのではないか、という気がする。

 僕という人間をここまで、このような地点まで運んできたのも、やはり欲望であった。自分の欲望について考えながら、僕はガープと、ガープの母のウィーンでの生活のことを考え、アンナとヴロンスキーの互い対する欲望について考え、ブランシュのストリックランドとの関係について考える。そして自分がこれまで好きになった何人かの女の子たちのことを考える。
 欲望とは、いったい本当のところなんなのだろう?
 そこに身を任せるべきなのか、それとも我慢して抑圧すべきなのか?
 その欲望が、自分そのものであるといった場合には、それを押し殺すことは自分自身を殺してしまうことではないか?
 かくも犠牲というのは尊ばれるべきなのか?
 そもそも欲望とは、いったいなんなのだろう。

 書き出すとちょっと長くなりそうなので、小出しに連載しながら自分でもゆっくりと考えてみたいような問題である。
 問題となるテーマは、

 「人は、”何かが美しく良い物だからそれを欲する”のではなく、”それを欲するから何かは美しく良いものとなるのか?”」である。

 うーん。なんだか哲学っぽいですね。

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February 21, 2006

飲み会、サリンジャー

 今日も仕事の飲み会。ちょうど一週間ぶりである。
 今日もまた、焼肉屋へ。

 かなりしっぽりと酔った。いくらでも食べ、飲めてしまう。
 このブログをいま書きながら、頭がくらくらとしている。
 視点がうまく定まらない。
 かなり飲んだのに、今また帰ってきて、缶ビールを開けて飲んでいる。

 最近は仕事の休み時間に、サリンジャーの短編をよく読んでいる。
 サリンジャーに限らず短編小説のいいところは、せいぜい20分から30分あれば、一本の作品を十分ゆっくりと堪能できるところだ。

 今日読んだのは、サリンジャー選集「2」の中の、「最後の休暇の最後の日」である。この作品には、「ライ麦畑のキャッチャー」の主人公であるホールデン・コールフィールドの兄が登場する。まだ「ライ麦畑」が書かれる前の習作的作品であり、「兄」と言っても、実際にはホールデンその人と同じように奇矯で、屈折した人物である。どちらがホールデンなんだか、よくわからない。
 
 しかしそれにしても、サリンジャーの短編は、たとえ習作的なものであろうと、その一つ一つが、不思議に深く胸を打つものがある。たいしたことなんて何一つ書かれていなくても、まるで尻切れトンボのような内容の不明確なものでも、商業誌に売り込むだけのとるにたらないオチしかないものであっても、それでもそこには何かしらサリンジャーらしさが宿命的に漂っている。

 僕が思うに、それは一種独特の(サリンジャーという一個人独特の)、宿命的な痛々しさである。
 細かく言っていけばキリがないが、僕らがサリンジャーに惹かれる理由というのは、つまりはそういうことなのだと思う。
 僕らはその痛々しさに惹かれるのである。
 純粋で、まっすぐな感情と、傷つきやすさ、そこに当然のごとくに生じる苦悩、すれ違いや摩擦。どこまでいっても分かり合えないもの、歩み寄れない隔たり。

 サリンジャーの「ライ麦畑」でホールデン君に言わせているセリフそのままに、サリンジャー自身も、山の奥深く、世間と隔絶された場所へとこもってしまった。
 それっきり、二度と出てこなかった。

 彼は結局最後まで、世間一般的なものと妥協することが出来なかった。
 人生そのものとうまく折り合いをつけることが出来なかった。
 純粋さや、無垢さというものを信じ、守ろうとし続けたが、それは本来的に不可能な試みだった。

 僕らがサリンジャーの小説に憧れるのは、そのような不可能な試みの”痛々しさ”のせいのせいであり、その不可能なものを可能にしようとする純粋さへの熱望や信奉が、彼らしい、もっとも美しい形で提出されているからである。
 
 それが果たして正しいことなのか、可能なことなのかどうかなんて、問題ではないのだ。
 サリンジャーの小説は、人が何を守っていくべきかについて、いつも僕に考えさせる。

 ライ麦畑で、小さな子供たちをつかまえてあげること以上に素晴らしいことが、この人生にあるのだろうか?

 そう、深く考え込まされてしまうのである。

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February 19, 2006

春の気配と日産ティーダ

 ここ数日はだいぶ暖かい。夜部屋にいてもストーブなしでいられるぐらいだし、湯船につかる前に頭を洗っても寒くない。長いと思っていた冬も、もうそろそろ終わりである。
 今日は新しい入浴剤を買ってみた。薬用にごり湯。割と安かったが、なかなか気持ちが良かった。腰痛、肩こりによく効くということである。
 入浴剤を変えることの優れた点は、手軽に気分転換出来るということである。

 ところで今日、日産「ティーダ」を契約してきた。
 去年の12月に「NOTE」を納車してもらったのがまだ記憶に新しいが、ちょっと訳あって、また車を買うことになった。
 契約したのは1,800CCのスタイリッシュ・パッケージ。ナビつき。
 前回のNOTEからは、ちょっとだけ出世である。
 見積ってもらったら、諸経費込みの定価で265万もしてびっくりしたが、ねばっているうちに30万近くまけてもらえた。嬉しくなって、他にも少しオプションを追加し、リアのエンブレムも金色にしてみた。
 ボディーの色はブラック。金色がよく映えると思う。

 ティーダに決める前は、マツダのアクセラ2,300も悪くないなと思っていたのだが、最終的にはほとんど悩まなかった。アクセラを実際にディーラーに見に行ってみて、自分が期待していた車とはちょっと感じが違うと気づいたのと、直4のエンジンと今時4速ATで、この大きな横幅とこの値段、というのがまず気になり、予想外に後部座席が狭いのも問題だった。

 ティーダに決めたのは、そのエレガンスで落ち着いた内装と、低反発シートの座り心地の良さと、18Gの本皮/アルカンターラ・コンビシートのはっとするような肌触りの良さと高級感、全体的な上質感、そしてこのサイズで1,800cc、という好奇心と遊び心からである。
 大きい車の2,300CCでちょっと力不足を感じながら走るより、小さい車で余裕たっぷりに走ってみたかった。それが今回の僕の、車購入のテーマだった。
 ほとんど常に一人で乗るわけだし、取り回しの良い車で、余裕のトルクと上質感を味わいたい。どこに行くにも、運転が楽しくてしょうがないと思えるような車・・・と、予算を考えて、今回はティーダ1,800Gに決定である。

 納車は3月16日の予定。

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February 18, 2006

東京の友人

 僕の東京の専門学校時代の友人が、DVDを送ってくれた。
 BSで放映された三谷幸喜の「12人の優しい日本人」の舞台中継と、正月に放映された古畑任三郎の「ラスト・ダンス」の二本を録画したものである。
 何の連絡もなく送ってくれたのでちょっとびっくりしたが、とりあえず嬉しかった。

 「12人の優しい日本人」は前にレンタルDVDで映画版を見たことがあるのだが、こっちの舞台中継の方がはるかに面白い。
 三十分ほど見てから、友人にお礼の電話をした。
 彼は漫画家で、現在4月(か5月)に完成予定の読み切りの原稿のペン入れに追われている。
 原稿が上がったら、二人でどこか温泉旅行にでも行こうかと話をした。
 彼とはだいたい一年に一度、東京で飲む。だいたいは、僕が何か芝居を見に行ったような折に。

 十八で知り合って、今だにそういう関係にあるのは、彼だけである。
 あの頃には、たくさんの友人や仲間や遊び友達がいたような気がしていたが、結局十年以上たっても続いている関係というのは、彼だけだ。
 当時は僕も真剣に漫画家を目指していて、そのために東京へ出たのだが、僕の夢が21歳で挫折したのに対し、彼は今でもせっせと漫画を書き続けている。

 プロとして成功した、というレベルには残念ながらまだ達してはいないものの、講談社から単行本が5巻まで出しているし、一応の成果は見た。漫画家の世界というのはやはり厳しいもので、ここ最近は連載の仕事はないが、それでも今もあの頃と変わらず、同じ夢をコツコツと追い続け、原稿に向かい続けている彼を、僕は尊敬している。

 彼がただひたすら机にかじりついて自分の夢に忠実であったこの十数年、僕のほうには紆余曲折、いろいろなことがあった。
 何度か転職し、何人かの女の子と交際し、不定期に芝居の舞台に立ち、家を建て、結婚し、離婚した。
 そして今も、相変わらず魂の定まらない生活を続け、自分自身や人生について、模索しつづけている。
 
 様々な経験の一つ一つが生産的な積み重ねであったと言い切れないところが辛いところである。いったい俺の人生というのはなんなのだろう、と時々自分で不思議に思ったりする。
 まあたいした人生ではないかも知れないが、そしてたいした災厄にも成功にも見舞われたわけでもないが、それでも最近時々、自分の名前を「波乱万丈」と改名してみようかと馬鹿なことを考えてみたりする。結局のところ、いつまでたっても落ち着けないのが僕のようだ。
 そういえば昔そういう名前の、ロボットアニメのヒーローがいたな。
 「ダイターン3」だったかな。
 
 まあそれはともかく。

 彼が脱稿したら、とりあえず二人でどこかのんびりと旅行にでも行こう。
 考えてみると今まで二人で旅行したことなんて一度もないし、一年に一度、東京で終電を気にしながら飲むよりは、どこか近場の温泉にでも行って、熱目の湯にはしゃぎ、ゆっくりと凝りをほぐして、それから風呂上りの風に吹かれて海を眺め、心おきなく飲んで、羽を伸ばすというのも悪くない。
 
 さて、彼が原稿に向かい続けている間、こっちはこっちで頑張らなくては。

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February 17, 2006

サマセット・モーム「月と六ペンス」を読み終える

 サマセット・モームの「月と六ペンス」を読み終えて、一週間ほどたった。
 モームの「月と六ペンス」は今回初めて読んだのだが、一言で言って、すごくスリリングで、衝撃的な小説だった。
 この小説は1919年に出版されたものだが、僕が今まで出会ったどんな小説とも異なる思想がそこには含まれており、そういう意味で、僕にとって新しい小説だった。

 小説の中ではこの「月と六ペンス」というタイトルと直接結びつくような内容は、一度も出てこない。
 文庫の解説によれば、これは象徴的意味を持つもので、「月」は、人間をある意味での狂気に導く芸術的創造熱を指すものであり、「六ペンス」は、それに対するくだらな世俗的因習、絆等を指したもの、ということである。

 ゴーギャンの伝記に暗示を得て書かれたというこの小説は、まさしくその2点の対立について描かれている。
 これはモーム自身が感じた社会や他者との対立でもあり、また自己の内部に抱えた対立でもあったのだろう。

 「平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出、芸術的創造欲のために友人の愛妻を奪ったあげく、女を自殺させ、タヒチに逃れる。ここで彼は土地の女と同棲し、宿病と戦いながら人間の魂を根底からゆすぶる壮麗な
大壁画を完成したのち、火を放つ。ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作」(「月と六ペンス」新潮文庫版より)

 主人公の天才画家ストリックランドは株式仲買人として社会的には十分成功し、裕福な暮らしと妻と子を得ているが、四十をいい加減すぎて突然、まるで悪霊にとりつかれたかのごとく絵を描くことへの情熱に憑かれ、そのためにすべてを捨ててしまう。彼にとって、もはや絵を描くこと以外はすべて価値のないことである。

 小説はそんなストリックランドと、物語の案内役である青年とのやりとりを主軸に、ストリックランドの妻をはじめてとして、愛妻を奪われる才能のない画家、世俗の周囲の人々との対比を通して、天才と俗な凡人との違いが描かれていく。

 そしてそこに描かれるのは結局、この世に生を受けた人間各々全員が、何を本当に、真実求めているか、求めて生きていくか、という魂の問題、問いでもあり、それがこの小説が多くの人々に衝撃を与え、ベストセラーになった所以でもあるのだろう。
 モーム自身がそれを多分に計算し、承知して書いている、とう面もあり、そういう意味では、この「月と六ペンス」は、逆説的ではあるが十分通俗小説であるわけである。

 愛妻を奪われる才能のない画家ダーク・ストルーヴは、世間的にはまだまったく相手にされない無名の絵描きストリックランドについて、そして芸術についてこう語る。

 「いいかい、美というおよそ世にも貴いものがだよ、まるで砂浜に石塊みたいに、ほんの通りすがりの誰彼にでも無造作に拾えるように、ころころ転がっているとでも思うのかい?美というのは、すばらしい、不思議なものなんだ。芸術家が、己の魂の苦しみを通して、世界の混沌の中から作り出すものなんだ。だが、それで美が創り出されたからといって、それを知るということは、人間、誰にでもできるもんじゃない。美を認識するためには、芸術家の経験を、めいめい自分で繰り返さなければならない。いわば芸術家が、一つのメロディーを歌って聞かせてくれる。それをもう一度僕らの心で聞こうというには、僕らに知識と感受性と想像力とが必要なんだ」

 ストルーブはもっとも初期にストリックランドの才能を認めた人物であり、確かな審美眼と芸術的判断力、繊細な感性と偏りのない批評眼を持っているが、こと自分の作品となると、どれもこれも本当の芸術とはかけ離れた、くだらない作品しか描くことが出来ない。
 小説の中でモームは、彼を駄目にしている原因を、結局のところそのロマンティックな幻影のせいだ、と言っている。
 それが、現実の世界において彼の目を覆ってしまっている。

 ストリックランドには、そのような通常の人間のような理想や幻想といったものはかけらも残っていない。
 ”すべて健康で、自然なもの、人間同士の幸福な関係や、素朴な人間の単純な喜びにつながるようなもの”は、いっさい彼の外へと放り出されてしまっている。
 彼は壮大な傑作の大壁画を描き上げ、自分の望みと人生の目的が達せられたと見ると、誇りと侮蔑を込めて、ただちにその壁画を燃やしてしまう。
 

 小説には登場しないが、ポール・ゴーギャンの作品に「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」という油彩画がある。

 (右のHP参照 http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtGauguinWhere.htm

 この絵をじっと見つめていると、とても奇妙な感覚に襲われる。
 そこにはある意味強烈な悪意すら感じられるように思われるが、何か真実の、人を惹きつける力がある。

 ストリックランドが、あるいはサマセット・モームが求めた芸術というのは、まさしくこの絵に象徴されているようなものなのだろう。
 芸術至上主義的な生き方、それ以外のものをまったくの無価値とする反社会的な態度がいいか悪いかということではなく(もちろん世界はめちゃくちゃになる)、ただ一人の芸術家(人間)の中に、そのような魂が求めてやまないもの、自分自身にも不可解な、抑えがたい情熱がたしかに存在する、ということがここでは問題なのである。
 それは、不可解な物を追求せずにはいられない人間の欲望、美の究極を追求せずにはいられない狂気、といってもいいかも知れない。
 そしてそれは、誰の胸の奥にも、息を潜めて存在するものである。
 その見開かれた目を、のぞき込もうとのぞき込むまいと。
 時々それは目を覚まし、僕らに美について感じさせ、考えさせ、苦しみを与えるのである。

 この本を読みながら、僕らもまた否応なく問われることになる。
 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」と。

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月と六ペンス 

月と六ペンス

世界の十大小説 (上)

世界の十大小説 (上)

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ヒデのサイト「快適書斎スタイル」更新情報

オーディオ、9点追加しました。



February 15, 2006

キングジム「テプラPRO SR3500P」を買う。

 前から欲しいと思っていた、キングジムの「テプラPRO SR3500P」をネットで買った。
 USBでパソコンにつなぎ、画面上で文字をぱぱっと入力して印刷ボタンを押せばそれでOK。

 ものすごく便利だ。
 今まで自宅の書斎に無造作に散乱していたドキュメント類、保管しておく必要のある郵便物、毎月の請求書や領収書、切り抜いた記事のスクラップ、芝居の公演の記録、などなど、とりあえずなんでもタイトルをつけて、どんどんファイルに保存していくことが出来る。

 あふれかえった文書やノートやメモや記録が、そのようにきちんと分類され、整理されていくのは、気分のいいものだ。
 自分自身まで風通しのいい人間になったような気持ちになる。
 混乱の収拾。

 「テプラPRO SR3500P」、ヒデの超おすすめ品です。

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キングジム 「テプラ」PRO SR3500P

キングジム 「テプラ」PRO SR3500P icon

「テプラ」のPC接続専用モデル。新機能を満載して新登場!
使い慣れたPCで多彩な表現のラベルが簡単作成。


February 13, 2006

 嫌な夢を見たせいで、朝からずっと気分が悪かった。
 一日ずっとカリカリした気持ちで過ごし、あまりの僕の機嫌の悪さに上司に一言文句を言われた。しかしそれでも僕の気持ちはうまくおさまらなかった。
 夜になっても今だになんとなく気分が悪い。

 たかだか夢のせいで自分の丸一日の精神状態が左右されるなんて、我ながら馬鹿げているとは思うが、夢だろうがなんだろうが、一度腹の底から怒ってしまうと、僕はなかなかそこから気持ちを切り替えることが出来ないのである。

 もう十時を回ったというのに、今だに夢の内容をはっきりと覚えているし、それについては今も気持ちがすっきりとせず、自問自答を繰り返している。

 なぜ彼女は、あの時あんな風に言ったのか?
 なぜそんなことをする必要があったのか?
 あんなことを言うべきではなかったし、そんな態度をとる意味なんて、まったくないじゃないか。

 やれやれ。
 今夜は出来るだけ、いい夢を見たいものである。

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February 12, 2006

映画「Mr.&Mrs.Smith」(「ミスター&ミセス スミス」)を見る

 ブラッド・ピットがもともとあまり好きではなかったこともあって、見に行くのを少しためらっていた映画だったが、実際見てみると、僕的にはここ最近のNO.1といっていいぐらい、爽快で楽しいエンターテイメント映画だった。
 この作品の共演により、私生活でもカップルになったという、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの記念的作品。またふたり揃ってそれぞれの過去出演作すべての記録をぬりかえるという、驚異的なヒットをマークした。

07Mr.&Mrs. Smith 以下、goo映画より、あらすじ抜粋。

南米で情熱的な恋に落ちたジョンとジェーンは、結婚し、晴れて「Mr. & Mrs. スミス」となる。
5〜6年後、夫婦に倦怠感が生まれていたある日、ふたりはお互いの「裏の顔」を知ってしまう。ジョンは建築業を隠れ蓑にした凄腕の殺し屋。プログラマーのジェーンは暗殺組織のエースだったのだ!この稼業では、自分の正体を知った相手を48時間以内に始末することが暗黙のルール。
こうして、ふたりの壮絶な夫婦対立が勃発する…!

〈キャスト〉
 ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー、ヴィンス・ヴォーン、アダム・ブロディ、 ケリー・ワシントン、キース・デヴィッド、クリス・ワイツ、レイチェル・ハントリ、ミシェル・モナハン

〈スタッフ〉
監督:ダグ・リーマン、製作:ルーカス・フォスター、アキヴァ・ゴールズマン、エリック・マクレオド、アーノン・ミルチャン、パトリック・ワックスバーガー 
製作総指揮:エリック・フェイグ Erik、脚本:サイモン・キンバーグ、撮影:ボジャン・バゼリ
プロダクションデザイン:ジェフ・マン、衣装デザイン:マイケル・カプラン、編集:マイケル・トロニック
音楽:ジョン・パウエル

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 派手なアクションやカーチェイス、銃撃戦や爆発、と一見よくあるハリウッド・エンターテイメントなのだが、内容的にはそういった最初の思い込みを大きく上回る、よく出来た作品だった。
 アクション、コメディ、ラブロマンス、スリル、サスペンス、と、普通なら収拾がつかなくなるような多くのドラマ的要素が詰め込まれている中で、ストーリ的にもテーマ的にも一貫して狙いが明確で、また全体なコメディ・タッチな味付けや運び、そのテンポや見せ方もうまく、センスもあって、全体的にも非常にうまくまとめている。

02Mr.&Mrs. Smith 映画が始まってすぐ、六年前に二人が出会うコロンビア・ボコタの場面なども、出会った瞬間強烈に惹かれあい、運命的な恋に落ちていく様が、たった数分のシーンなのに妙に納得させられてしまう。
 映画のトーンが最初からコメディタッチに統一されているという点で、こちらとしてもすっと受け入れやすいということもあるだろうが、この辺はやはり、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーという、二人のスターの持つ力に負う部分も大きいのだろう。
 このシーンでの二人が妙に納得できてしまう点が、あとあとの展開にも響いてくることになる。

 この物語は実に単純に要約してしまうことが出来る。

 「結婚六年目、倦怠期を迎えた夫婦が、史上最大の夫婦喧嘩を通してお互いの本当の姿や内面を再発見し、情熱を復活させ、もう一度恋に落ちる。互いを理解し合い、協力し合うことを学んでいく」

03Mr.&Mrs. Smith 様々な要素が詰め込まれているように見える映画だが、一言で言えばこれは、「夫婦間の危機と再生を描くロマンティック・コメディ」であり、主人公たちが底辺に抱えているその問題は、描かれるシーンの派手さに反して、驚くほど身近で真面目なものである。
 大掛かりなアクションも殺し合いも、結局はそのごく日常的な問題を描くための道具立てに過ぎない。
 どこにでもありそうな夫婦問題、日曜の夜九時からホームドラマで描かれそうな題材。
 それをこれだけのアクションと、エキサイティングな演出で描くというのは、本当にたいしたものだと思う。

06Mr.&Mrs. Smith 全体を通して、この作品がユーモラスなコメディとして成立しえているのは、二人が倦怠期の夫婦として過ごす日常の描かれ方の巧みさ、センスの良さ、そのあたりの基本的な部分がしっかりしているというのも大きな理由の一つであると思う。
 カーテンの好みの違い、お互いのよそよそしさ、無関心、料理が口に合わなくても文句を言わず、つまらないトラブルを避けることを優先し、いつも大量の塩をふりかけるブラッド・ピット。
 どれも上辺だけの夫婦の生活をうまくあらわしていて面白かった。見ながら僕も、かつての自分自身の結婚生活を身近に思い出したりした。
 そういうシーンがつい笑えてしまうのは、結構いいところをきちんとリアルについているからだし、いわゆるステレオタイプ、とは言うものの、世界中、どこの夫婦の間にも見られる光景、といったところなのだろう。
 今のこの惰性的な毎日、なんとかならないものだろうか?となんとなく漠然と考えてはいるものの、果たしていったい、じゃあどうすればいいのかよくわからない、というのも、世界共通である。
 お互いの素性を知った二人が疑心暗鬼でディナーを共にするシーンなども、その探りあいの様子が、コミカルだが実に真に迫っていて、思わず笑ってしまった。

05Mr.&Mrs. Smith 結局二人は、世の中の多くの夫婦が同じように抱える問題・・・倦怠感、嘘や取り繕い、ごまかしや、見せかけだけの平和、魂の喪失、といったものに対して、壮絶な殺し合いという修羅場をくぐり抜けていくことで、初めてお互いの本当の内面を知るようになる。

 また二人はそれまで、それぞれ「殺し屋」として、常に孤独に、単独行動を本分として生きてきている。基本的にはほとんど誰にも心の真相を明かさず、友人も作らない。
 そのような二人が、この闘いによって、パートナーと協力して生きていくことを学んでいく。
 ようやく二人の間には嘘も隠しもなくなり、お互いを理解し、相手への恋の情熱を本当の意味で復活させていくのである。

04Mr.&Mrs. Smith 冒頭と結末のマリッジ・セラピーもまた、効果的な役目を果たし、映画にいい雰囲気を添えている。
 最初セラピストに夫婦生活の頻度を聞かれた二人は、お茶を濁すだけでそのまま話題をそらしてしまう。だが結末において、ブラッド・ピットはセラピストに「セックスのことを聞いてくれよ」と言う。
 そして茶目っ気たっぷりの得意満面な顔で「10段階のうちの10」だと言う。

 とにかく文句なく楽しめる、おすすめの映画。
 アンジェリーナ・ジョリーも本当に美しく魅力的だった。
 セクシーで、知的なキャリアウーマンの服装と、情熱的なダンスと重火器が実によく似合い、タフで強靭な大人の女の色気を発散し、時々はっとするようなかわいい顔をする。

 最後に、映画のパンフから、ブラッド・ピットのインタビュー記事を少しだけ抜粋して紹介します。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 Q.現在41歳で、以前より穏やかに見えますが、何か理由は?
 「今は、もう言い訳ができない歳だし、全ての選択にものすごく注意を払っている。自分が選択をし、全ての責任を負う。
 それはそれですごく満足感を覚える。正しい選択をすれば受け入れ、もし間違った選択をしても、受け入れる。
 間違いが起きないわけがない。たとえ間違っていたとしても、そこから学んで、次に進めることもある。楽しいことではないけれど、最終的には良い結果が待っている」

 Q.幸せは過大評価されていると思いますか?
 「幸せは過大評価され、不幸は過小評価される。ひとつだけ明確なのは、この人生は一度きりで、やりたいようにやるチャンスも同じ、ということ。だから自分が大切だと思う事はすべて試したほうがいい。自分の内面を見つめて、そして誠実に、実行する。それが震え上がるほど怖いことでもね。
 そう思えれば、突然徹夜しなければならなくなっても、渋滞の中を2時間車で移動しても、それでいいと思えるようになる」

 Q.アンジェリーナ・ジョリーにコメントを。
 「ただただ素晴らしい女性で、偉大な女優で素敵な人です」

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「Mr.&Mrs.Smith」サウンドトラック

Mr. & Mrs. Smith サウンドトラック


2,064円(税込)

視聴可能です。ソフト・セルやエア・サプライ、ジョー・ストラマーといった80年代ヒットを中心に、ボン・ジョヴィやガンズのカヴァーなども収録。
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  1. ラブ・スティンクス
  2. ナッシン・バット・ア・グッド・タイム
  3. 汚れなき愛
  4. ベイビー・ベイビー
  5. エクスプレス・ユアセルフ(モーシャン・ワーカー・リミックス)
  6. モンド・ボンゴ
  7. レイ・レディー・レイ
  8. アイル・メルト・ウィズ・ユー
  9. ノーバディ・ダズ・イット・ベター
  10. イフ・アイ・ネヴァ・シー・ユー・アゲイン
  11. アサシンズ・タンゴ
  12. ユーストゥ・トゥ・ラブ・ハー(バット・アイ・ハッド・トゥ・キル・ハー)
  13. ユー・アー・マイ・サンシャイン
  14. ユーヴ・ロスト・ザット・ラヴィン・フィーリン
  15. 渚の誓い
  16. 禁じられた愛
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Mr.&Mrs. スミス プレミアム・エディション icon

Mr.&Mrs. スミス プレミアム・エディション







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February 11, 2006

ミュージカル「不思議の国のアリス」

不思議の国のアリス ルイス・キャロルの不朽のファンタジー「不思議の国のアリス」のミュージカル化。
 長野県駒ヶ根市(とその周辺市町村)のアマチュアと、東京のプロ劇団「昴」との共同公演で、今回で11回目。
 僕もキャストとして、第2回目の「夏の夜の夢」、第3回目「青い鳥」、第4回目「クリスマス・キャロル」と、計3回出演した。
 それ以後はまったくの観客として遠くから眺めているが、役者やスタッフとしてずっと参加し続けている仲間もいるし、知り合いも多いし、自分が参加しないまでも毎年楽しみにしている公演である。

 しかし「夏夜」からもう10年目かと思うと、本当に感慨深いものがある。
 僕にとっての演劇は、結局すべてはこの「共同公演」から始まったのだから。

 今回の舞台のについて率直な感想を言うと、導入部がちょっともたもたしすぎたのではないか、というのがまず一番に感じたことだった。
 そして全体を通してやはり一番の問題は、導入部、序盤から中盤(の後半)までの弱さであるように思う。
 物語のおおよそのアウトラインは知ってはいても、今何が行われているか、何が行われようとしているか、観客として物語へと入っていきづらい。またそのため、序盤から随所に挿入されるそれぞれの歌も、ミュージカルならではの効果を今一歩発揮しきれていない、という感じがした。

 もともとルイス・キャロルの「アリス」の真髄は、自由な空想や連想、その荒唐無稽さ、言葉遊びの面白さ、語呂合わせ、の中にあり、一言で言えばそれは「ナンセンス」の魅力だが、そこに今回の作品の根本的な難しさがあったのだろうと思う。
 ナンセンスを舞台にするということが、いかに難しいことであるか、それを今回見ていて改めて感じさせられた。

 物語自体がナンセンスである以上、そこに通常のドラマのような物語性や意味や感動を要求すること自体がナンセンスである、ということになる。
 ドラマの中では時折、なかなか思わせぶりな、一種哲学的な言葉や問いかけが発せられたりもするが、それ自体はドラマをうまくつないでいく役目を果たすことは出来ない。それはこの「アリス」の目指すところではないし、主眼とするところではないのである。
 大切なのは、「メッセージ」ではない。たしかにそういうものも含まれてはいるかも知れないが、それが目的ではなく、また作品の拠り所となるようなものでもない。メッセージに固執すると、肝心の中身が失われてしまう。
 それがこの作品の難しさであり、そういう部分にドラマの展開や、意味や、結末の感動を頼ろうとすると、たちまち自己矛盾に陥ってしまうというジレンマがある。

 今まで共同公演で上演してきた、いわゆる通常の「ドラマ」として真面目に考えようとすればするほど、深い底なし穴に落ち込んでいくような難しい構造を、このアリスは持っているのだと思う。
 役者を始め、今回の作品にかかわった人たちが頭を痛め、悩んだことの多くの部分は、根本的にはその1点に集約されているのではないか、という気がする。そして一度悩み始めてしまった真面目な役者にとっては、まさしく出口のない辛い稽古期間が続いたのではないか、と僕は想像する。
 「俺はいったい、このシーンでどうあるべきなんだ?」「俺はこんな感じで本当にいいんだろうか?」と。

 しかしこの作品においては、ようするに普通ありえない不思議なシチュエーションやその展開の中で、それをいかに楽しむかということだけが、今回役者にできる唯一のことであっただろうと思う。
 結局、いろいろと難しく考えても仕方がないのである。あとはそれを演出家がどう整理するか、である。
 今回劇作家や演出家にとっては、その荒唐無稽さをいかに一つのまとまりある物語として提出できるか、原作本来が持つ魅力を損なわず、その上で自分の狙う統一的なカラーを添えることが出来るか、という点に尽きてくる。
 結果的に、今回の舞台の後半に至るまでの弱さは、主には脚本の弱さに負うところが大きく、また全体的には演出上の狙いがうまくまとめきれなかったのではないか、というのが僕の感想である。
 ただ終盤、アリスが世界の果てへとたどりつき、自分の名前を思い出そうとするくだりあたりから結末に至るまでは、さすがにうまくまとまっていたと思う。そのため、後味としてはそれほど悪くはなかった。

 全体を通して、これまでの10本の作品と比べても、決して完成度の高い作品とは言えなかったと僕個人的には思うが、苦心の跡が伺えるし、こういう作品にチャレンジするという冒険も、それはそれで悪くはないとは思う。
 ストーリー上の難点を除けば、もちろん見るべきところもたくさんあったし、それぞれの役者ががんばっている姿には、やはり感動した。音楽も、美術も、照明も素晴らしかった。
 11年目の共同公演は、今までとは少し違う、新しい境地を開拓しようとしているように感じられた。

 当面僕自身は再び参加するような予定も気持ちもとりあえずないが、これからもっともっと、よりクオリティの高い作品目指して頑張っていって欲しい。
 そして「共同公演」という企画ならではの、他の劇団やプロダクションには決して真似の出来ない熱い感動を、発信しつづけて欲しいと思う。


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February 09, 2006

インフルエンザの気配

 今日久しぶりに新聞を開いたら、僕の住んでいる地域一帯で、ものすごい勢いでインフルエンザが流行っているようだ。そういえば、このところまわりで咳をしている人がたしかに異常に多い。結構何人も、バタバタと会社を休んでいる。
 僕自身もここのところずっと体調を壊していたし、今だに咳が出る。
 まあ僕の場合は熱もないし、ただの風邪だと思うが。

 そろそろ、モームの「月と六ペンス」を読み終わりそうである。
 さて、次は何を読もうかな。

 久々にサリンジャーの初期の短編でも読み返してみたい気分でもあるし、たまには最近の日本のものを読んでみてもいい。
 それから、ずっと昔から読んでみたいと思いながら、読めないままでいるのが、ドストエフスキーの「悪霊」である。これもちらっとあらすじを見た限りでは、かなり過激で面白そうな内容である。

 家に帰る途中、車の前を2匹の子狸が走っていった。
 このクソ寒いのに、雪にまみれてポンポン走っていく姿が、なんだか楽しそうだった。

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February 08, 2006

映画「ハイド・アンド・シーク−暗闇のかくれんぼ」

 2005年4月23日に公開された映画。

 ラスト15分で、驚くべき謎が明かされる。
 この映画の結末は、決して誰にも言わないで下さい・・・というのが、この映画のセールスコピーだ。

02ハイド(あらすじ−goo映画より)
母の自殺以来、心を閉ざした9歳のエミリーは、心理学者の父デビッドとともにニューヨーク郊外へ引っ越した。
デビッドはエミリーに友達を作るように仕向けるが、エミリーは誰にも心を開くことはなく、見えない友達「チャーリー」とだけ遊ぶようになる。戸惑いながらも、エミリーの空想を静観することにしたデビッドだが、
やがてチャーリーの存在は、彼らの生活を脅かしていく。娘を救うため、デビッドはエミリーの心の闇を解明しようとするが…。


03ハイド エミリー役の若干10歳の女優、ダコタ・ファニングは、ちょっと信じられないぐらい見事な演技ぶりだった。
 母の自殺から始まって、空想の友達と遊ぶその狂気、感情の振幅の幅広さや、ラストへ向けての逡巡、悲哀。
 まさに天才子役である。
 デ・ニーロを見るのもなんだかずいぶん久しぶりな気がした。
 映画のたびに太ったり痩せたりする役者、その芝居の幅も非常に広く、昔から僕の尊敬する俳優の一人である。
 ひと頃に比べるとだいぶ毒が抜けたような気もするが、まあこういう設定、こういう役だから、ということなのだろう。
基本的には、その気になればどんな人物にでもなれる彼である。

 映画そのものの出来はどうかというと、正直に言って、それほどたいした映画ではないと思う。
 好みの問題もあるだろうけれど、この手の「意外な結末」にはもうみんなそれなりに慣れてしまっているし、それだけで1本の映画を作ろうとする試みは、そもそもの最初から負け試合にならざるを得ないのではないか、という気がする。
 ドラマとしては底が浅く、最後の意外性のためだけに、いろいろとつまらない手管を弄しなければならない。
 思わせぶりなだけの、ただのご都合主義じゃないか、と思われても仕方ない部分もある。
 
 それからDVDに特典として収録されている、いくつものエンディング・パターン。
 こういうことは非常によくないと僕は思う。
 それはドラマの作り手として、自分の作り上げたストーリーに責任を持たない、誇りを持たない行為であるとしか思えない。
 可能性の問題ではないのだ。
 作り手としても観る側としても、そこに描かれない無限の可能性を想像することはいくらでも出来る。
 でもだからといって「こういうのはどうですか」、「こんなのもありだよね」といろいろなパターンを実際に示してみせるというのは、もう映画でもドラマでもなんでもない。
 死んでもリセットボタンで生き返る、ゲームのようなものである。

 ほとんどの人たちがおそらく「ふーん」と思うだけであり、いくらそんな風にエンディングをいじってみても、本編で感動させられなければ、基本的になんの意味もない。

 そしてドラマというのはそもそもそういうものではないと僕は思う。
 人の生き死にと同じように、そしてこの限られた人生と、二度と取り返しのつかない選択の連続と同じように、自分とは別の場所で生きる、別の境遇や時代に生きる人物たちのやはり限られた可能性と取り返しのつかない選択の積み重なり、偶然、運命や宿命性、なぜその人物がやってきて、なぜそのような場所へと向かわなければならなかったのか、ということの不思議に出会い、僕らは共感したいと思う。
 少なくともそのために、僕は映画館や劇場に足を運ぶのである。

 どんなに恐ろしくても、どんなに意外な結末が待っていようとも、やはり基本的な部分で、しっかりと人間ドラマを描いて欲しい。そうでなければ、その映画を「もう一度見たい」とは誰も思わないだろうし、その場限りのお祭り騒ぎで終わってしまう。そういう映画は、やはり才能と労力とお金と時間の過剰な浪費であるように思う。心に深く残ることもない。

 デ・ニーロもダコタ・ファニングもとてもいい役者なだけに、「もったいない」というのが僕の率直な感想だった。

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February 07, 2006

飲み会、雪を眺めながら思うこと

 今日は今年に入って初めての、仕事関係の飲み会だった。
 生中3杯しか飲んでいないが、結構酔いが回っている。

 先月の末にひどい風邪をひいて以来、まだ体調が完全ではないせいもあるのだろう。
 生3杯で酔うなんて、自分らしくもない、とちょっと残念に思ったりする。自分が現在それなりに疲弊している、というのは、今はあまり認めたくない気分だ。とにかく飲める時には、もっと豪快に、しこたま飲みたいものである。
 普通に元気な時なら7、8杯ぐらいはまだまだ宵の口、のはずなのだが。

 昼間ずっとやんでいた雪が、夜になってまた舞い始めた。
 頭上を見上げ、深い真っ暗な闇の彼方から次々と雪が舞い落ちてくるのを眺めていると、僕はいつも同じ感慨を抱くことになる。それは一言で言ってしまえば、”死”のイメージである。
 僕らはいずれ誰もが、こんな風に静かな雪に降り込められて、たった一人で死んでいくのだろう、と、そんなことをぼんやりと思う。

 高校二年ぐらいの時から、僕は特に深い理由もなく、そんな感じを抱くようになった。
 それは星空の彼方に頭を突っ込む時と感覚的には似ている。
 何かの果てしなさを思うとき、そこにはいつも孤独な、死のイメージが付きまとうことになる。

 とりあえず今日はちょっと酔いが回りすぎているようだ。
 現在22:50分。
 もう寝なければいけない時間である。

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チェスト、3点追加しました。
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ソファ、1点追加しました。



February 06, 2006

久々の雪、モーム「月と六ペンス」その2、入浴剤のこと

 久しぶりの雪。午後ぐらいから降り始めて今も振り続けている。
 現在22:30分。
 雪は衰える気配を見せないし、降水確率もかなり高いから、どうやら久々に本格的に積もりそうである。
 帰ってきて車から降りると、すでに積雪はくるぶしの上まであった。靴に雪が入った。

 モームの「月と六ペンス」をだいぶ読み進んだ。
 読み始めて数ページは、あまりにもその文章がとっつきにくくて「これはちょっと失敗したかな」と嫌な予感がしたのだが、最初の十ページぐらいを過ぎると、ぐいぐいと物語へ引き込まれていった。368ページ中、現在247ページ目である。

 文庫本の裏表紙のあらすじを前にちょっと紹介したが、この小説に書かれている内容は、ちょっと尋常ではない。
 尋常ではない一人の芸術家(天才)と、主人公であるこの小説の狂言回し的存在であるごく一般的な良識の持ち主との対比を通して、この世界のあり方そのものが問われていく。何が真実で、物事の価値とはなんなのか、そして結局のところ人とはどのような存在なのか、どのページをめくってみても、そういう本質的な問いに溢れている。

 こういう種類の本をあまり好まない人もたぶんいると思う。
 読み進めていくと、自分自身をも疑わずにはいられなってくる。重く、ある意味極端に根源的に過ぎる。
 僕も正直言って、この小説が好きかと聞かれると、なんとも言いようがないような気がする。
 まじめに読むととても疲れる本だし、だんだん重く深刻な気持ちになってくる。
 あまりにもその見解が極端過ぎるようにも思う。

 でももちろん、作者であるモームは、あえてそのような「極端」さを描くことによって、自らの思想を追求し、表現するとともに、読者である僕らに対して挑戦してもいるのである。
 そしてモームの思惑通り、僕は読みながら、僕自身についてさまざまな見直しを迫られることになる。
 
 この小説を好もうと好まざると、確かにこの本には読むものをぐいぐいと引っ張って、次のページへと向かわせる力がある。いったいこの小説がどこに向かいどこに落ち着くのか、気になって仕方がない。
 でも一日仕事で疲れて帰ってきて、どうしてこんな重い気持ちで僕自身とわざわざ向き合わなくちゃいけないんだよ、と思ったりする。
 困ったものだが、しかしすごい作家であり、本である。
 
 ところでぜんぜん話は変わるが、帰ってきて風呂を洗い、入浴剤を入れたら、ツムラの「ソフレ」が必要な量の半分ぐらいしか残っていなかった。しかたないので、もう半分を、メンソレータムの薬用入浴剤をまぜてみた。

 なかなか気持ちが良かったのでクセになりそうだが、明日はちゃんと「ソフレ」の詰め替え用を買って来よう。
 僕は「ソフレ」がお気に入りなのだ。

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February 05, 2006

映画「THE有頂天ホテル(THE WOW-CHOTEN HOTEL)」を見る

01有頂天ホテル





02有頂天ホテル 「お帰りなさいませ、お客様。当ホテルは愛と勇気と素敵な偶然をお届けします」

(あらすじ)
 物語の舞台は大晦日の大ホテル。
「今年のうちに、心の中にある悩みをすっきりさせたい」
「一年の終わりに、何かひとつくらい、いいことをしたい」
みんながそんな思いを抱いている。
 ホテルの威信がかかったカウントダウン・パーティまであと2時間。

 ホテルアバンティで働くホテルマンとそこへやって来る訳ありの宿泊客たち。
 そして次々と起こるトラブルとハプニング・・・。

 果たして彼らに、幸せな新年はやってくるのか?

03有頂天ホテル−−−−−−−−−−−−−−−−−
監督と脚本:三谷幸喜

(出演)
役所広司、松たか子、佐藤浩市、香取慎吾、篠原涼子、
戸田恵子、生瀬勝久、麻生久美子、YOU、オダギリジョー、
角野卓造、寺島進、浅野和之、近藤芳正、川平慈英、堀内敬子、梶原善、石井正則、
原田美枝子、唐沢敏明、津川雅彦、伊藤四郎、西田敏行


「THE有頂天ホテル」公式HP
http://www.uchoten.com/


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

12有頂天ホテル 1月14日公開の映画、「THE有頂天ホテル(THE WOW-CHOTEN HOTEL)」をやっと見にいくことができた。
 古畑任三郎・ファイナルの時、さかんにCMで流れていたし、ずっと気になってはいた。

 ものすごく大きな期待をして見に行った、というほどでも本当はなかったのだが、実際見てみると、三谷幸喜氏自身「3本目にして早くも集大成の作品」と言っている言葉どおり、完成度の高い、素敵な作品に仕上がっていたと思う。

 三谷幸喜独特の、現実から少しだけずれた一種のファンタジーとも言える世界観、ユーモアと明るさ、笑い、そして最後には心温まる感動、と、二時間十六分、存分に楽しませてもらった。

 この映画では、たくさんの豪華キャストと、その人物たちに起こるさまざまなハプニング、トラブル、偶然の出来事と、本当に盛りだくさんのエピソードが、すべて同時進行的に描かれていく。
 それぞれが問題を抱え、個性的で多彩である。

08有頂天ホテル 登場するのは、
 ・申し分のないホテル・アバンティ副支配人(役所広司)
 ・副支配人の別れた妻(原田美枝子)とその夫、マン・オブ・ザ・イヤー受賞者(角野卓造)
 ・アシスタントマネージャー(戸田恵子)
 ・怪しい、料飲部副支配人(生瀬勝久)
 ・シンガーソングライターとしてメジャーデビューするという夢をあきらめ、故郷へ帰ろうとしているベルボーイ(香取慎吾)
 ・代議士の元愛人、今はホテルアバンティで客室係として働くシングルマザー05有頂天ホテル(松たか子)
 ・人生崖っぷちの汚職国会議員(佐藤浩市)
 ・議員の秘書(浅野和之)
 ・神出鬼没の高級コールガール(篠原涼子)
 ・謎のフライトアテンダント(麻生久美子)
 ・行方不明になる脳天気な総支配人(伊東四朗)
 ・死にたがる演歌歌手(西田敏行)
 ・不幸なシンガー(YOU)
 13有頂天ホテル・一九分けの芸能プロ社長(唐沢寿明)
 ・事故に遭った大富豪(津川雅彦)
 ・筆の達人(オダギリジョー)
 ・ホテル探偵(石井正則)
 ・恋人と喧嘩中の客室係(堀内敬子)
 ・恋人のパンツを無断ではいてしまい、許してもらえず途方にくれるウェイター(川平慈英)

 などなどで、いかにバラエティに富んだ人物構成であるかがわかる。

14有頂天ホテル アクの強いキャラクターたちが織りなす、一見ばらばらに見えるエピソードだが、見終わってみると、そこにはすべてきちんと大きな共通点がある。

 簡単にまとめると以下のようになると思う。
 1.主要登場人物たちの多くが、かつて一度は「夢」を見て、深い挫折を味わっている(あるいは現在味わっている)。

11有頂天ホテル 2.その人たちを励まし、手助けをし、再び奮い立たせていくストーリーのメインを支えるのは、社会的に一段低いと思われる立場にいる
人物たちである。

  具体的には、
  ・コールガール
  ・客室係のシングルマザー
  ・夢を捨て田舎に帰ろうとしているベルボーイ
  ということになる。

07有頂天ホテル 3.しかしそんな彼らも含め、結局は登場人物達全員が、直接的に、あるいは間接的に、連関し合い、お互いを励まし合い、助けとなる。誰かを励ました人物も、その後は逆に、誰かから励まされるのである。

 4.最後には皆それぞれ一つの共通した境地に達する。「好きなように、思ったようにやってみればいい」

06有頂天ホテル 個々のエピソードをつなぎ、物語の流れを進行してく一種の狂言回し的役割をつとめる副支配人・新堂(役所広司)も、若い頃ステージ・ディレクター(舞台監督)として独立を夢見ながら、現実にはそれだけでは食べて行くことが出来ず、
妻に出て行かれ、やがて夢をあきらめてホテルマンになった、という経緯を持っている。
17有頂天ホテル カウントダウン・パーティを目前に、彼は別れた妻と遭遇し、現在ホテルで働いていると言えず、「マン・オブ・ザ・イヤー」の授賞式に呼ばれて来たのだ、と嘘を付いてしまう。

 彼はまた、シンガーソングライターになることをあきらめ田舎に帰ろうとするベルボーイ(香取慎吾)に、
「もう少し頑張ってみればいいじゃないか。今諦めてしまったら、後できっと後悔するよ」
 と、普段の彼らしからぬ励ましの言葉をかけたりもする。

04有頂天ホテル とにかく一見散漫ですらあるような、ばらばらに進んでいくかに見えるエピソードだが、終盤見事に収束して行き、一つのテーマを形作り、暖かな感動までもたらして観客に涙まで流させるその緻密な構成力は、本当に見事としか言いようがない。
 縦横無尽に張られた伏線の数々も、最後にはぴしりと収まるべき場所へ収まってい20有頂天ホテルく。






 ただ一人、主要人物の中で異色なのが、唐沢敏明演じる芸能プロの社長である。
 仕事のためなら手段を選ばない男。やり手なのかも知れないが、虚業に生き、どこかうさんくさく、イカサマ師18有頂天ホテルのような彼は、最後まで精神的に何も変わらない。唐沢寿明もそれはそれで結構楽しく演じているようで、そのハッタリ芝居がどこか憎めず、見ていて面白かった。


今回の映画の中で、大きな役割を果たしているのが、ベルボーイ・憲二(香取慎吾)が歌う『天国生まれ』と、不幸なシンガー・桜チェリー(YOU)の歌う『If My Friends Could See Me Now』の二曲である。
 香取が歌い上げる「生きる希望」、YOUが歌う「今夜生まれ変わった新しい自分を見て欲しい」、という二つのメッセージは、映画のテーマそのものである。


10有頂天ホテル 以下に、『If My Friends Could See Me Now』の歌詞をご紹介します。
 エンドロールでも流れるこの曲は、映画の明るく温かな、体中が軽くなるようなすがすがしいエンディングと相まって、素敵な余韻を残してくれる。
 それにしても、YOUの歌って、なかなか味わい深いものがありますね。
 少なくともこの曲には、とても合っていたと思います。


15有頂天ホテル−−−『If My Friends Could See Me Now』−−−

もし出来ることなら
今の私を皆に見せたい
豪華な食事にワイン

皆を呼んであげたい
今の私を見て欲しい

WOWと叫ぶしかないの
私は今、ここにいる

今夜、生まれ変わった
これが新しい自分

まあ、なんてこと
誰も信じやしない

きっと信じない
今の私を見て欲しい!

19有頂天ホテル(訳詞:三谷幸喜) 
−−−−−−−−−−−−





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映画『キング・コング』オリジナル・サウンドトラック

THE 有頂天ホテル オリジナル・サウンドトラック


三谷幸喜監督・脚本による2006年公開映画のサントラ盤。ホテルを舞台に、大晦日の夜から年越しまでの2時間をさまざまな人の視点から描いた作品の音楽を手がけているのは、本間勇輔。YOU扮する桜チェリーが歌うジャズ・スタンダードも収録。音楽コンセプトは1940〜60年代を彷彿とさせるサウンド。

 〜ちなみに僕のお気に入りは、バーのシーンで使われた、メインテーマのジャズバージョン。それとエンディングでちょっとだけ聞こえるラグタイムバージョン。こっちは本間さんから楽譜を頂いたので、目下、ピアノで練習しているところです。
 最後にボーナストラックの説明を。劇中でラスト近くに流れる、賛美歌風のBGMがとても素敵だったので、それに僕が詞を付けてみました。クリスタルな歌声を披露してくれているのは、劇中で客室係の睦子さんを演じている堀内敬子さんです。

〜三谷幸喜


February 04, 2006

映画「プライドと偏見」サウンドトラックを買う

03「プライドと偏見」サントラ







 少し前にAmazonからギフト券約1,000円分が届いたので、さっそくそれを利用して、欲しかった「プライドと偏見」のサントラを買った。

 このサントラの1曲目が、映画の冒頭、愛読書を小脇に抱えたエリザベスがベネット家に帰宅する場面で流れてくる曲であり、この映画のメインテーマでもある。印象的な美しい曲で、映画の雰囲気や感動がはっきりと思い出される。

 サントラに付属の解説によれば、作曲にあたりジョー・ライト監督は、ダリオ・マリアネッリにベートーヴェンのいくつかのピアノ・ソナタを参考に与え、マリアネッリは18世紀末、ジェーン・オースティンとその家族がおそらく耳にしただろうと想像される音楽を書いた、ということだ。
 書き上げられた繊細で美しい曲は、撮影の間も映画に大きなインスピレーションを与えることになった、という。


01「プライドと偏見」サントラ 13曲目、「ダーシーの手紙(DARCY'S LETTER」ではそれまでの雰囲気と大きく変わり、ダーシーから突然の求婚を受けたエリザベスの、激しい混乱と心の揺れが描かれる。鼓動が高鳴り、一種のパニック状態がやってくる。
 エリザベスの断固とした拒絶、ダーシーとのぶつかり合い、その後パニックが収束していくにつれて、自分がとった態度の後味の悪さ、解決のつかない混乱、自己嫌悪、哀しみ、などエリザベスの複雑な胸中が表現される。
 すっきりとしない重い余韻が残る。

 14曲目「キャント・スロー・ダウン」ではまた雰囲気はガラリと変わり、イギリスの民俗音楽的なバイオリン中心の陽気で楽しい音楽。
 15曲目「冷たい手」では「ダーシーの手紙」を基調とした曲に戻るが、曲が進むに連れてエリザベスが自分自身の偏見の愚かさに気づき、ダーシーという人物を再発見していく過程が描かれる。


02「プライドと偏見」サントラ やがて16曲目「ミセス・ダーシー(MRS. DARCY)」で再び冒頭のメイン・テーマをベースとした曲。
 誤解がとけ二人の思いが通じ合い、互いに対する愛を確認しあう。穏やかで幸せな光が満ちて行く。
 17曲目ラスト「エンド・クレジット」。静な愛情に満ちた二人、平和、家族の幸福な未来が暗示される。

 サントラ全体的にはベートーヴェンのピアノ・ソナタを参考に作られたピアノ曲、劇中に登場する舞踏会の音楽から成り立っていて、映画の舞台である18世紀末のイギリスの美しい自然や田園風景の情景に包まれた、穏やかで情緒あるクラシックCDにまとまっている。

 僕としては、何かデスクワークをしている時にBGMとして流すにはうってつけのCD、という感じだ。
 曲自体とても美しいし、耳に心地よく、あまりでしゃばりすぎず、手元の仕事を邪魔しない。
 気分穏やかになれるし、目の前の仕事に集中できる。
 そして時々、はっと顔を上げ、曲の旋律に込められたものに耳を澄ます。
 いいサントラだと思う。

 さっそくiPodにも入れて、仕事の空き時間や移動時間にも堪能している。
 良かったら、是非聞いて見てください。
 おすすめです。

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映画『キング・コング』オリジナル・サウンドトラック

映画『プライドと偏見』オリジナル・サウンドトラック


音楽は「In The World」でベルリン映画祭金熊賞を受賞した実力派ダリオ・マリアネッリ。そしてピアノを担当しているのがフランスの貴公子ピアニスト、ジャン=イヴ・ティボーデ。
『ピアノ・レッスン』を髣髴とさせる美しいスコアが展開されます。

iPod black


音楽をポケットに入れて持ち運ぶことを可能にしたiPodが、ビデオにも対応しました。新しいiPodは最大 15,000 曲、最大 150 時間のビデオを収録できます。



February 03, 2006

とりあえず、順調に

 今週一週間かなり真剣に働いたおかげで、締め切りの近いものはほぼ片付いた。
 明日も一応仕事の日だが、追われている忙しい仕事はなにひとつない。自分なりに計画を立て、冷静にじっくりと処理する余裕がある。
 こういう状態にいつもあるといいのだが。

 とりあえず、ひと段落して気分がいい。


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February 02, 2006

かなり疲労、モーム「月と六ペンス」

 一週間も後半に近づいて、だいぶ疲労がたまってきた。
 体の奇妙な浮遊感。だが体のところどころは何かが貼りついたように確実に重い。パソコンを見る目がしょぼしょぼする。
 もうしばらくの間はとにかく目一杯働いて、春になったらどこか骨休めに温泉にでも行きたいなと思う。
 海沿いの静かで小さな、料理の美味い旅館へ。

 大好きな本を一冊だけ持って、食べることと温泉に入ること以外は特になにもしない。
 日がな海を眺め、波の音を聞き、本の文章や一語一句を、じっくりとていねいに、時間をかけて読む。
 どこも観光しない。ただ滞在する。
 そういう旅がしたい。

 ところでこの間本屋に立ち寄り、ふと目についたモームの「月と六ペンス」を買った。
 作者もタイトルも有名だが、僕はモームの本は今まで一冊も読んだことがない。
 しかし裏表紙のあらすじをチラッと読んだだけでも、これはかなり過激で面白そうだと思った。

 「平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出、芸術的創造欲のために友人の愛妻を奪ったあげく、女を自殺させ、タヒチに逃れる。ここで彼は土地の女と同棲し、宿病と戦いながら人間の魂を根底からゆすぶる壮麗な大壁画を完成したのち、火を放つ。ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作」

 面白そうじゃないですか?
 あらすじを読んだだけでもワクワクする。
 今読んでいる「ガープの世界」を読み終えて、この本を読み始めるのがとても楽しみだ。

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February 01, 2006

2006年本屋大賞ノミネート、恩田陸「夜のピクニック」のこと。

 少し前に、2006年の本屋大賞のノミネートが発表になった。

 あらすじだけ読むと、結構面白そうだなと思うものもある。
 僕がなんとなく読んでみたいと思ったのは、「サウス・バウンド」と「さくら」だった。

 しかし去年の本屋大賞、恩田陸の「夜のピクニック」を前に人から借りて読んだのだが、僕としては「大賞をもらうほどそんなにたいした本じゃないんじゃないか」というのが率直な感想だった。
 なんだか昔のコバルト文庫みたいな感じで、リアルな現実社会の厳しさや汚れから一歩ひいた、甘美な苦痛と夢と誤解に満ちた青春の一コマ、というのはまあそれはそれでいいのだが、いまいち語られること一つ一つに真実味が感じられず、全体的になじめなかった。
 主人公やヒロインやその友人たちが、ちょっと大人じみたことを言ってみたり、何かを悟ったような口ぶりで語り出すたびに、「なに言ってんだい」、と思ってしまう。

 描かれる彼ら自身が若くて青臭く未熟だということが問題なのではなく(青春時代とはそもそもそういうものだから)、それを後ろから見つめる作者の側の裏付けが、浅いように感じられた。
 そして少なくとも、そこに深みといったようなものは感じられなかったし、人物の描き方も、少女漫画並にめりはりが薄く、確固とした個性は感じられなかった。

 まあいろんな本があるわけだし、いちいち小説に「深み」なんて求める方が悪いのかも知れない。
 ようするに小説は、面白ければそれでいい。
 だからたまたま初めて読んだ「大賞」の本が、自分の生理に合わなかっただけなのかも知れない。
 でもそういうわけで僕にとっての本屋大賞は、ちょっと眉唾というか、半信半疑なところはある。

 今上映されている「博士の愛した数式」は、第一回本屋大賞の作品である。
 原作はまったく読んだことはないが、これはなんとなく面白そうだし、来月あたりに時間があれば見に行きたいなと思っている。
 それに僕は、深津絵里の芝居が好きなのだ。

 とりあえず、今年の本屋大賞に期待します。

 ●2006年・本屋大賞ノミネート作品

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本屋大賞 (2005) 本の雑誌増刊

「本屋大賞」は、2003年9月、現役書店員を中心にした有志実行委員によって創設された、全国の書店員が「いちばん!売りたい本」を決めるという、出版史上類を見ないユニークな「新」文学賞。第一回大賞作品は『博士の愛した数式』(小川洋子著/新潮社)で、受賞後の反響はすさまじく、約30万部の増刷がかかったそうです。