April 2005

April 29, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(9)

 前回キャストが決まり、今日からいよいよ、本格的な稽古の始まりである。
 今回の作品の上演時間は、途中の休憩を考慮からはずしても、約三時間。しかもそれをたった四人のキャストでもたせるのだから、アマチュア演劇集団が扱う芝居としては、ほとんど無謀と言っていいくらい破格の冒険である。
 何はともあれまず体力、ということで、今日から稽古場である文化会館のまわりを皆でランニングすることになった。
 その後簡単なストレッチのあと、本読み稽古に入る。
 しかしたいした距離を走ったわけでもないのに、これは結構くたびれた。いつの間にこんなに体力が落ちてしまったのだろう?と自分でも不思議になるぐらいである。たしかに、去年5年ぶりに参加した芝居「オンタイム?!」までずっと演劇から離れていたし、仕事柄パソコンの前にばかり座っているし、もう三十二だし、無理はないかも知れない。
 とにかく、演技がどうこうの前に、まず体力である。この体力では、とても三時間もの間、舞台で集中することなんか出来ない。
 毎朝犬の散歩がてら、ランニングすることにしよう。

 今日の本読み稽古は、僕なりにいろいろと得るものがあった。
 まず、自分の本の読み方の浅さをあらためて実感したこと。そして、相手のセリフをいかにきちんと聞くか、いかにそれを受け取って、自分のセリフにつなげるか、ということである。
 そんなのは当たり前のこと、と言われればまあそうなのだが、何年演劇をやっていても、なかなかそれが僕の成長しないところである。
 もうとにかく、本当に根本的な部分から、時間をかけて一つずつクリアしていくしかない。

 次の稽古は5月12日。半月近くも先である。
 ゴールデン・ウィークがあったり、みんなそれぞれ事情があったりしてやむを得ず、というところなのだが、しかしそれにしても、ちょっとあきすぎである。
 うーむ。六月から荒立ち稽古なんて、ちょっと無理なんじゃないだろうか?


April 27, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(8)

 今日は冒頭、女性キャストの発表。これでキャスティングのすべてが決定した。
 女1を信子、女2を藍。
 公演日も決まった。8月20、21の土日である。
 
 今日はすぐに本読みに入らず、最初にワークショップ的なことをやった。
 「ステータスゲーム」というもので、二人一組になり、お互い即興で5段階のステータスをかわるがわる演じ、会話していくというものである。もっともステータスの低い人格から、もっとも高い人格まで。5つ置かれた椅子を座りかえていくたびに、ステータスが上がったり下がったりする。
 
 僕ははじめてやったのだが、これはなかなか難しかった。
 小手先の芝居の変化でどれだけ違う人物になろうとしても、根本的なその人なりの内面的ステータスというのは、ほとんど変えることが出来ない。
 基本的なステータスがものすごく高い人は、どんなに気弱そうな言葉を選んでも、挙動の一つ一つを弱々しく演じてみても、「ステータスが低い」ということが本当のところどういうことなのか、いったいどうすればそういう風に演じられるのか、ほとんど理解出来ないのである。
 反対に、もともとのステータスが低い人は、どうすれば高くなれるのかわからない。
 演出の深ちんは、これはいい練習になると思うから、今後も続けて行きたいと思う、と言った。
 たしかに、自分になにが出来てなにが出来ないのか、そういうもっとも基本的な部分を、今日ははっきりと見させられた。

 ちなみに僕の基本的ステータスは、5段階のうち、「4」だそうである。もし10段階だったら、7か8ぐらい。
 それが普段の生活でも、演技する上でも、僕のもっともいやすい場所だそうだ。それ以上は、上がることも下がることもうまく出来ない。
 なるほど。そういうことだったのか。
 しかし考えてみたら、今までとくに「役づくり」なんて、ほとんどしたことないもんな。

 稽古後、演出の深谷さんと、演出助手になっただっちゃと、三人で飲みに行く。
 店を出たのが一時過ぎ。帰って、また一人ビールを飲む。
 しかし演出、演助、俳優。この三人の組み合わせで飲むというのは、考えてみたら怖ろしいことである。
 もう少し稽古が本格的になってきて、僕なりに煮詰まりだしたら、この組み合わせで飲むというのは、ちょっといたたまれないかも知れない。
 でも昨日はとにかく、とても楽しく酒が飲めた。

 心底信頼できる芝居仲間と飲む酒というのは、人生におけるもっともうまい酒、もっとも楽しい出来事の一つである。


April 22, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(7)

 とりあえず、男優陣のキャスティングが決まった。
 今日もオーディションの続きで、稽古終了後に、発表がある。
 男2人女2人の今回の芝居。どっちに転んでも・・・とぎりぎりまで考えていたのだが、 結局僕は、主役の青年の方に選ばれた。相方の医師を演じるのが、つるPOMである。
 女優陣の発表は26日火曜日の稽古前。だからオーディションは、今日で最後である。
 
 しかし僕が主役・・・約三時間、ほとんど出ずっぱりの役である。
 体力的にもかなりハードだし、性格的に、さまざま側面を見せ、演じ分けていかなくてはならない。
 笑いがあり、怒りがあり、悲しみがあり、精神的危機がある。
 
 もちろん、選んでくれたのはとても嬉しい。
 まさに、役者冥利に尽きる大変な役だし、役者をやっている以上、そういうやりがいのある役にチャレンジできるのは、とても幸せなことだ。そういう役をやらせてもらえるということに対して、僕なりに精一杯こたえたいと思う。
 
 でも稽古がはね、その後みんなで近所のファミレスへ向かう車の中で、胃のあたりがふっと持ち上がってくるような、軽い困惑と、浮遊感のようなものがやってきた。それはいつもの、役が決まり、稽古が始まる前の、それほど悪くないあの感覚。緊張。
 しかしなんだか目の前の壁が巨大すぎて、まるで現実感がない。
 
 本当に僕らは・・・僕は、この芝居を成功させることが出来るのだろうか?
 こんなこと言ってちゃ演出に怒られそうだけど、なんだか本当に、夢みたいだ。
 
 みんなでファミレスを出たのが一時頃。
 ファミレスで生中を一杯だけ飲んだのだが、家に帰ってからまた500のビールを一本空ける。
 飲みながら、台本をぱらぱらと読む。
 明日会社なんだし、そんなことしてないで、早く眠ればいいのに。
 
 来週キャスティングのすべてが決定したら、皆で飲みに行こうと計画中である。
 たぶん、4月28日、木曜日あたりに。


April 20, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(6)

 オーディション二日目。
 今日でキャスティング決定の予定だったが、演出のFakatinもいろいろと悩むところがあるようで、男優陣の決定は22日木曜日、女優陣は26日火曜日決定という風にずれ込んだ。
 どんな芝居も、キャスティングで難しいのは、やはりその組み合わせである。
 声質や、背の高さ、見た目の細い太い、年齢的な見た目の問題、基本的なキャラクターの問題、など、バランスというものがあるから、「もしこの人がこの役なら、相手役としてそれに釣り合う人は誰なのか。全体のバランスはどうなのか」と考え出すと、たった四人の芝居でも、確かに結構難しい。
 
 僕も自分なりに、「もしやらせてもらうとしたらどっちがいいかな」、といろいろと考えてみたけれど、今はちょっと開き直りつつある。どっちにしたって大変なのだ。そして、どっちもとてもいい役である。

 今日は、去年の芝居で僕の妹「バネッサ」&ヒビキをやったkaoが久しぶりに顔を出した。
 仕事の方が忙しくて、今回は役者として出られないという話を聞いていたのだが、なんとか出られることになったと言う。
 稽古がはねたあと、久しぶりに懐かしい雰囲気で話が出来て嬉しかった。
 しかしこれで、女優陣のキャスティングはさらに難しくなった。

 それから今日、みどりさん以下、スタッフのみんなのおかげで、ついに台本が完成し、僕も一冊もらった。
 台本が渡される時というのは、長丁場で苦労の多い稽古期間の中で、もっとも楽しい瞬間の一つである。
 これから本番へ向けての明るい希望と、やろうとしていることの巨大さに対する決意のようなものが湧いてくる。
 心の中の、やっぱりやめときゃ良かったんじゃないか、というもやもやとした不安な気持ち、後ろ向きな気持ちに対して、「さあ、がんばろう」、と思う気持ちが勝る瞬間である。そういう緊張感がある。
 まあこれは、役者側だけ、あるいは僕だけなのかもしれないけれど。

 というわけで、みどりさん、お疲れ様でした。
 彼女は昨日、深夜二時頃まで台本のまとめにおわれていたようだ。

 キャスティングが決まったら、みんなで飲みに行きたい。
 決まらなくても、とりあえず飲みに行きたい。


April 18, 2005

「嗤う伊右衛門」

伊右衛門01監督 :  蜷川幸雄
出演 :  唐沢寿明, 小雪, 香川照之, 池内博之, 六平直政,
     松尾玲央, 清水沙映, MAKOTO, 井川比佐志, 不破万作, 新川将人, 妹尾正文, 大門伍朗, 冨岡弘, 谷口高史, 濱口和之, 月川勇気, 藤村志保, 椎名桔平 
 有名な「四谷怪談」を題材に、京極夏彦が新解釈。第25回泉鏡花賞を受賞した同名小説の映画化。
 監督は、舞台演出家として有名な蜷川幸雄。
 互いに愛し合いながらも運命にあやつられ、悲しく引き裂かれてしまう伊右衛門と岩の純愛、狂気を描く。
 
 
伊右衛門03 「四谷怪談」は過去に何度か映画になっていて、2001年の、蜷川幸雄さん演出の舞台公演
(竹中直人主演・藤真利子・広末涼子・高嶋政伸・持田真樹ほか)は話題を呼んだ。 
 今回は京極夏彦氏原作ということで、従来の「四谷怪談」とは内容的にずいぶん趣が異なる。
 ストーリー的に言っても、これまでの「四谷怪談」とまったく違う。
 一言で言って、「嗤う伊右衛門」は、おどろおどろしい怪談などではなく、二人の愛の悲劇の物語である。
伊右衛門02 昔からよく知られている、お岩が夫・伊右衛門のために悲惨な死を遂げ、怨霊となってあらわれ祟りをなす、という日本独特の超自然的な恐怖はほとんど剥ぎ取られている。
 そのかわり、伊右衛門と岩、二人の誠実で不器用な愛が、悲劇の中に呑み込まれていく様子が描かれる。
 超自然的なものの名残らしいものと言えば、映画のエンディングで、不自然に骨組みだけを残した家屋と、その片隅で抱き合ったまま、眠るように死ぬ二人の姿ぐらいだろうか。
伊右衛門05 愛し合う二人が周囲の状況に翻弄され、最終的に悲劇の愛として美しくも哀しく昇華していくあたりは、シェイクスピア的悲劇を思わせる感がある。
 小雪演じる凜とした、清潔感のある美しい岩は、同時に男を滅ぼす運命の女として、その魅力、魔力のようなものを兼ね備えている。
伊右衛門04 今までの「四谷怪談」と「嗤う伊右衛門」のもっとも異なる点は、今回の伊右衛門が誠実で寡黙な善良な人物として描かれている点である。
 映画では伊藤喜兵衛演じる椎名桔平が圧倒的悪人振りを発揮しているけれど、もともと伊右衛門こそが悪人であり、公金に手をつけたり、それを知られたということで岩の父、四谷左門を殺してしまったり、金と地位のために、岩という女房がありながら梅と夫婦になってしまったりする。
 
伊右衛門07 演出的にうまいなあと思うのは、まずなんといっても蚊帳の使い方である。
 嗤わない伊右衛門、彼が現実との間に作っている壁、距離感、そのあたりをうまく象徴的にあらわしていて、彼がその外へ出て岩へと歩み寄った時、それまで彼が固く封印していた心がほころび、そして悲劇へと
向かい始めることになる。物語の最後では、狂気に取り憑かれた伊右衛門が、自らを守る城壁のごとき蚊帳を切り捨て、伊右衛門06その外へ出て、伊藤喜兵衛(椎名桔平)を切る −−このあたりの”蚊帳”の小道具としての使い方は、その重要性においていかにも演劇的であり、そのもって行き方は本当にうまい。

 今回の映画のテーマ、伊右衛門と岩の関係がもっとも象徴的にあらわれているのは、岩の「うらめしや〜」ではないだろうか。
伊右衛門08 一人の男性を狂おしいまでに愛する一人の”女”の心の叫びとして、かつてこの「うらめしや〜」というセリフが、これほどまでに切なく、美しく、恋の色を帯びて響いたことはなかったのではないか。
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 全体的に、難をあげるとすれば、たしかにちょっとわかりづらい部分はある。
 欲を言えば、原作をほとんど知らない、予備知識のない人たちのために(僕も含めて)、もう少し状況説明が欲しかったような気はする。
 登場人物も多いし、その辺の入り組んだ、複雑な人間関係が、すぐには呑み込みづらい。
 演出的に優れた部分、好きな部分もたくさんあるのだが。
 映画の冒頭近く、伊右衛門の父親が切腹し、その介錯を少年時代の伊右衛門がするというシーンも、特別説明がないので、一見なんのことだかよくわからない。終盤、喜兵衛の介錯をするにあたって、再度のオーバーラップの際に、「ああ、そういうことだったのか」と僕はようやく気づいた。

伊右衛門09 それからクライマックスで、岩が切実な愛の言葉「うらめしや〜」とともに伊右衛門にひしと抱きつくシーンのあと、岩は伊右衛門に切られたのかどうなのか。
 そのへんをどう解釈していいのか、僕はずっと判断につきかねていたのだが、おそらく切ったということなのだろう。
 その後一切岩が姿を現さない点や、切ったとすれば、伊右衛門の何気ない言葉のはしばしの整合がつくからである。
 エンディングで、二人の笑い声と共にカメラが俯瞰していくと、そこは現代の東京のど真ん中・・・という点は、僕にはちょっと理解の範囲の外だった。
 あれは、いったい何を狙っているのだろうか?あのようなシーンを入れる必要性が本当にあったのだろうか?

 しかしそういった不可解な点はいくつかあったものの、内容的にもキャスト的にも、また演出的にも、僕としては面白かったし、楽しめた。
 なんのかんの言っても、これはわりと好きな作品です。

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〜「嗤う伊右衛門」関連〜
嗤う伊右衛門  DVD 嗤う伊右衛門 角川文庫 京極夏彦(著)
嗤う伊右衛門 中公文庫 京極夏彦(著)
嗤う伊右衛門 C・NOVELS  BIBLIOTHEQUE 京極夏彦(著)
 


April 16, 2005

ヒデの休日

ねぎ畑 去年の暮れごろから3月の年度末まで、仕事が本当に戦争のように忙しかった。 しかしこの頃やっと少し余裕が出来てきて、芝居の稽古にも行けるし、今日は久々に有給を取って休んだ。 うちの会社は土曜日が第2・第4しか休みではないのだ。 休みを取った理由なんか特になく、ただの骨休めである。 
 
しかしせっかくの有給、それになにしろとてもいい天気だったので、朝から畑に出ることにする。 嫁さんは美容院に行くというので、その間、昼ごろまでにネギを植えつけた。

 花見01
 午後は、うちのすぐ横の空き地の桜が満開なので、コンビニでおにぎりやサラダを買ってきて、プチお花見。 うちのマキ(猫)は、どこへ遊びに行くともなく、ずっと僕らのそばでコロコロしていた。
写真に写っているのはうちの嫁さんと、マキです。

 少し休んでから、明日蒔く予定のとうもろこしのために、ネギ畑の隣を耕花見02しておく。 耕し終わったところで、畝の中央に深めの穴を一列に掘り、そこに元肥の豚ふんをいれ、土をかぶせ、買っておいた黒いマルチを張る。

 夕方になり、さすがに風が少し冷たくなってくる。時計を見るともう五時すぎである。 普段事務所でパソコンに向かってばかりだから、時々こうやって、一日外で過ごマキすと、気持ちがいい。 今夜はよく眠れそうだ。  

夕方遅く、以前ブログに書いた”たぬ公”が、またうちのすぐそばまでやってきた。 写真を撮らなかったので、ここに載せられないのが残念である。
 夜、土ぼこりにまみれたマキを洗う。

April 15, 2005

「ヒデちゃんの恋のBBSワンダーランド」サイトオープン

お知らせです。本日、上記サイトをオープンしました。
以後、よろしくお願いいたします。
 
 
 それに合わせて、「恋愛」にまつわるコラムを、このブログでも少しずつ増やしていこうかなと思っております。
 芝居の稽古が始まるってのに、我ながら無謀だとは思うんですが・・・。
 
 がんばって更新していきたいと思います。
 よろしく!


映画「アビエイター」(以下、酷評です)

アビエイター01 嫁さんと、ディカプリオの「アビエイター」を観に行った。
 映画館に足を運ぶのは「オペラ座の怪人」以来、約二ヶ月ぶりだが・・・。
 
 映画情報はこちら

 しかしこれは、予想を見事に裏切らず、ひどい映画だった。
 最初から嫌な予感はしていたのだが。
 しかも三時間十分というのは、無駄に長すぎである。
 雑誌に「アカデミー賞は惜しくも逃したが・・・」なんて書いてあったけれど、僕としてはまったくそういうレベルの話ではないと思う。

 いろいろと、気に入らない点をあげていけばキリがないのだが、もっとも大きな欠点といえば、やはり脚本だろうか。
 全体的に、作品を強烈にひっぱっていくだけの一貫した力がなく、すべてが散漫である。
 ジョン・ローガンという人はあの「ラスト・サムライ」を書いた人だというから、むしろその編集力不足、刈り込み不足、監督の力不足、が大きいといったほうがいいのかも知れない。

 根本的な問題としてまず、この映画のコピー「すべての夢をつかんだ時、いったい何が見えるのだろう」だが、物語のテーマや内容にまったくふさわしくないのではないか、と僕は思う。
 そもそもディカプリオ演じるハワード・ヒューズを見て、「すべての夢をつかんだ」ようにはまるで見えない。
 我が儘放題、言いたい放題している姿と、テスト飛行するたびにトラブルを起こす飛行機しか印象に残らないので、とても「すべての夢をつかみ、頂点まで昇りつめた男」とは思えないし、羨望も湧かない。
 その先に何があるのか、という興味も湧かない。

 また実際のハワード・ヒューズの伝記的事実をかいつまんで読んでみる限りでは、そのようなコピーをつけるのはそもそもおかど違い、見当違いなのではないか、という気がしてくる。
 「大富豪」であったり、ある時期に「大きな成功」を手にしたりというのは、一つの外的側面にすぎないのであって、彼という一個人の特殊性、内面的苦悩、あるいは逆にその普遍性をきちんと掘り下げて描かなければ、何一つ観る者の深いところに響いてこない。

 冒頭、少年時代のハワードの体を母親が洗う場面で、母親が”quarantine”という言葉を呪文のように語り、それが後々のハワードを特徴づける”強迫神経症”への布石となる、という設定も、ドラマの伏線のはりかたとしてはあまりにもお粗末である。
 クライマックスである公聴会の議論も、ハワードのあの程度の言い分、反論でやりこめられてしまうとは、いかにも緊迫感、迫力に欠ける。あれでは相手の議員、またアレック・ボールドウィンが、あまりにも考えの足りない、闘うに値しない人物に見えてしまう。

 おおまかに言って、「伝記」的部分にとらわれすぎて何もかも描こうとしすぎ、すべてのエピソード、人物、感情的、心理的側面の掘り下げが浅く、中途半端である。
 「大きな成功」と、その影にある「強迫神経症」、そのあたりにクローズアップして、ハワードのより人間らしい葛藤や苦しみ、それに関わる人々の人間ドラマに焦点を絞ったほうが、よほどいいものが出来たのではないか。
 「共感できない」「感情移入できない」のは、この主人公が特異な境遇、才能を与えられていて普通の人々と違うからではなく、描きかたそのものの底が浅すぎるからである。
 僕個人的に言って、この作品からインスパイアされるものは何もない。

 しかし思うのだが、ブロードウェイでの公演の成功が、ニューヨークタイムズに載る劇評家のレビューに大きく左右されるというように、日本でもそういう正統的な、信頼できるきちんとした批評文化があってもいいのではないだろうか。
 今回の「アビエイター」を絶賛する人、超感動した、という人だってもちろんいていいわけだけれど、自分の趣味や生理、価値観や美学の問題として、どうしても合わない作品というのはやはりある。
 そういう時に、「この人の批評は信頼できるから」という人が自分なりにいれば、無駄足を運ばなくてすむし、限られた時間、おこづかいの中で、何を観ようかというのも、選別しやすくて助かる。
 「ロードショー」とか「スクリーン」なんか買ってみても、きれいなグラビアを眺めて楽しむだけで、あまり参考にはならない。
 褒めてるばかりで悪いことは何も言わないもんね。

 そういう意味では、いろんな人のブログを読んでるほうが、よほど参考になる。

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連載「ヒデ芝居の会へ」(5)

 キャスティング・オーディション1日目。
 公演日はまだはっきり確定できないものの、今日はスタッフの役割分担がある程度できた。みどりさんが舞台監督を引き受けてくれたから、その点についてはとりあえず安心である。音響も決まった。

 その後演出のもとで、冒頭から中盤まで、途中配役を替えながら、本読み。
 登場人物は男2人女2人。僕はこの間読んだのとは逆の役を読んだ。

 しかし今さらながら、大変な作品だなとしみじみと思う。
 どちらの役をやることになったとしても、なんだか自分に出来る気がしない。
 別に今日特別気分が落ち込んでいるとか、疲れていて悲観的になっているとかいうわけではない。芝居が本当に動き出す前、その直前は、いつもそうだ。

 来週の火曜日は、オーディション2日目。そしてそれでキャスティングが決まり、本格的に公演へと動きはじめることになる。

 まあ、いい。なんとかなるだろう。
 仕上がりのレベル、程度の問題はあるにせよ、それでもいつもそれなりになんとかなってきたじゃないか?

 とにかくやれるだけのことを、精一杯やるしかないのだ。

 

 
 




April 13, 2005

連載「ヒデ芝居の会へ」(4)

 作品が決まった。
 いろいろと二転三転したものの、なんとか四月上旬のうちに決定、同時に少し前から演出をお願いしていたFukatinが、引き受けてくれることになった。
 当初六月の公演予定だったが、8月のお盆が明けてすぐ、20(土)、21(日)に決まりそうである。
 何をやるかは、ちょっと事情があって、ここでは伏せておきます。

 今度の14日(木)、19日(火)の二日間で、キャスティングのためのオーディション。
 役者がそろったところで本読み稽古に移るわけだが、本格的な稽古はゴールデン・ウィーク明けからといったところか。

 本業が忙しくてなかなか出てこられないメンバーも大勢いる。
 なによりしっかりしたスタッフがいてくれなければ芝居なんて立ちゆかないわけだから、そのへんのところをこれからどう固めていくか、制作、舞台監督などキーとなる人たちをはじめ、いかにまとまりのあるいいプロダクションにしていくか、そのあたりが、今のところ一番の課題である。

 いずれにしても、これからやっと、一つの物語が動き始める。
 8月20日まで約四ヶ月。
 稽古期間としては長い方だが、役者的観点から見れば、自分も含めて、今までの技量や取り組み方、掘り下げ方のレベルで成功させられるほど甘い作品ではないような気がする。
 なんだかぞくぞくする。
 自分がそんなのっぴきならない、とんでもなく大変な作品にこれから関わろうとしていることが。
 怖ろしくもあり、嬉しくもある。

 さあ、どんな風に関わるにせよ、覚悟を決めなければ。


April 10, 2005

日本語表現大辞典

 ついこの間、日経新聞の一面の下の方にこの本が紹介されていた。
 会社で昼飯を食べながら、なんの気なしに記事を読んでいたのだが、これがなかなか面白そうだったので、すぐにネットで調べてみた。
 本の帯には、
 ”「夕方」をどうイメージ表現する?「痛い」の比喩表現は?「青い」の類語は?
 日本を代表する作家の名表現が「言葉の悩み」をたちまち解消!!”
 とあり、
 「あの時、この言葉遣いを知っていたら、うまくいったのに」(永六輔)
 「心模様を巧みに織り上げてくれる辞典」(飯田朝子)とある。
 つまりどういう本かというと、作家264人、作品数868の中から、その比喩や文章表現をあいうえお順に三万三八〇〇例集めたものである。しかも著者の小内一(おないはじめ)さんという人が、約十年ぐらいのうちにたった一人で集めたというから驚きである。
 僕は昔から辞書、事典のたぐいがわりと好きなのだが、こういう種類の本は結構めずらしいし、面白そうなので、さっそくネットで注文してみた。

 それが二日前に届いた。
 その中のほんの一部を紹介すると、たとえば「愛する」という言葉では、
 ・体がバラバラになるほど愛される(半村良)
 ・溺れるように夫を愛する(川端康成)
 ・待たせた時間を埋めようとするかのように激しく愛する(落合恵子)

 「苦しい」という言葉では、
 ・息の根がとまるかと思うくらい苦しむ(吉本ばなな)
 ・青竹を炙(あぶ)って油を絞るほどの苦しみ(夏目漱石)
 ・人類の苦悩を一人で背負ったような顔(富岡多恵子)
 ・瞳が、人妻を奪う罪深い男の苦悩をありありと刻む(菊池寛)
 ・燃えつきようとする日の最後の輝きのような苦悶と恍惚に彩られた顔(加賀乙彦)

 「感動」では、
 ・熱いものが腹の底から湧き上がって来る(平岩弓枝)
 ・膝頭がガクガクするような気がする(高橋和巳)
 ・全身が凍えるような感動を覚える(久間十義)
 ・戦慄に似た感動を覚える(三浦綾子)
 ・言葉にしようとすると消えてしまう淡い感動を胸にしまう。
 
 などなどである。
 こういうのを眺めていると、日本語の表現というのは本当に豊かで繊細なものだなあとあらためて感心します。
 「驚いた」とか「腹が立った」とか「面白かった」とか、自分の誤謬が少ないせいで、いつもだいたい適当な言葉、パターン化した言葉ですませてしまうのだけれど、それをステレオタイプではない、個人的体験として、どう他人にきちんと伝えていくか、どのようにリアルなイメージを伝えていくか、そういうことを考えさせられます。
 
 欲を言えば、マイクロソフトのエンカルタやブックシェルフみたいにCD−ROM版で販売して欲しいところだけど。
 でも特に目的もなく、ぱっと開いたページを読むのもまた楽しいし、意外な発見があったりして、これはこれで悪くない。
 自分のブログの文章表現に飽きた時、ちょっと手にとって眺めるにはいい本だと思います。

 日本語表現大辞典――比喩と類語三万三八〇〇

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April 09, 2005

ヒデ、ひろうこんばい

 今週は本当にハードだった。おかげで身も心も本当にヘトヘトである。
 しばらく前から仕事もエンドレスに忙しいし、さすがに疲れが出てきたようだ。今日は朝からずっと体中が痛くて(特に腰が)、ちょっと熱っぽい。
 以下、ヒデの今週一週間です。
 
 ・月曜日 九時半過ぎまで残業。
 ・火曜日 会社の後輩の二十三歳の女の子と二人で飲みに行く。帰宅十一時半。
 ・水曜日 うちの常務と飲みに行く。帰宅十一時半。
 ・木曜日 芝居の会へ。今度やる芝居のことで散々話し合ったあと、メンバー数人で近所のサンレークへ。帰宅一時。
 ・金曜日 総務部のみんな+数人で、「牛角」へ。帰宅十一時。
 ・土曜日(今日)嫁さんと外食。帰宅九時。
 
 ということで、まあほとんど飲んでばかりいた。あと一番こたえたのは、芝居の会で遅くなったことだし。
 だからあまり文句の言える筋合いでもない。
 
 それにしても、火曜日に後輩の23歳の女の子と飲んだのは結構楽しかった。入社して三年目の子なのだが、最近なぜか「わりとかわいいとこあるよな」と思ったりする。気楽に話せるし、一緒にいて飽きない。
 ぱっと見てそれほどはっとするほど美人というわけではないのだけれど、時々ドキッとするようないい顔をする。
 
  来週かさ来週あたりに、またどこかツマミのうまい店に飲みに行こうと相談中である。
 ・・・こういうのが、社内不倫の始まりなのだろうか?
 それにしても、嫁さんが読むかも知れないってのにこんなこと書いて、あぶない橋渡ってるなあ、我ながら。
 
 でも本当はもう一人、会社とは関係なくとても気になっている女の子がいるんだけど。
 
 どうにも僕は、昔から惚れっぽいようである。
 うーん、いかん。
 ヒデは今日も、ちょっと酒がまわり過ぎているようだ。

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April 04, 2005

畑を耕しじゃがいもを植え、マキを洗う

クロッカス 昨日は一年半ぶりぐらいに、嫁さんと二人で畑仕事をした。
 前日までの予報では終日雨のはずだったが、そんなことはまったくなくて、暖かな春のいい一日だった。
 写真は、去年植えたクロッカス。
 芝生のあちらこちらに雑草がぽつぽつと生え始め、庭の片隅のフキノトウやらクロッカスやらが咲き始めると、ようやく春が来たんだなという実感が湧く。

 三年前、この土地に越してきたばかりの頃は、春野菜と秋野菜と、結構意気込んで畑作りをした。
 でも二年目(つまり去年)は、四月中旬ぐらいから演劇の稽古が始まって、とても畑どころではなかった。
 秋には、春夏と演劇にかまけていたぶん、薪割りに忙しかった(うちのリビングには薪しか暖房がない)。

 でもとにかく、今年はまた畑を作ることにした。
 去年の秋に野菜が高騰して困った記憶があるし、せっかく広い土地に越してきたのだから、簡単に作れるものぐらいは、やはりなんとか自分の庭でまかないたい。

 僕が作る野菜選びの基本は、
 1.日常的にひんぱんに食べるもので、
 2.一度種を蒔いてしまえば草取り以外は特に手入れの必要もなく、消毒の必要もないもので、
 3.ほとんど失敗なく、誰にでも栽培でき、
 4.でも店で買うと、わりと値段の高いもの
 である。
 ようするにネギ、春菊、ほうれん草、じゃがいも、大根、ミニトマト、あたり。

畑1 というわけで昨日は荒れ放題の土地の草取りに半日近くかかった。(左の写真は作業前)
 その後、耕耘、肥料まき、耕耘。
 本当なら普通は先に石灰を蒔くところだけれど、冬の間ほとんど毎日のように薪ストーブの灰をまいているので、それは省略。
 その後、さっそくじゃがいもの植え付け。
 
 肥料をやったあとすぐ植えるのはいいことではないが(よくないことだが)、まあそれほど強い肥料でもないし、まあまあ大丈夫だろうということで、気にしない。まあ、じゃがいもだし(とくに根拠のない判断だが)。
 なにしろ、僕の畑づくりはとても適当なのだ。
畑2 とりあえずここまでで、ほとんど丸一かかった。
 来週は出来ればネギを植えたい。その他もろもろの種を蒔くのは、4月中旬以降の予定である。


 畑仕事をしている間、僕のすぐそばで、乾いた埃だらけの土の上でコロコロと転がって喜んでいたマキを、夜、風呂に入れた。
 うちの猫は、赤ん坊の頃から何度も入浴させているおかげで、今ではお湯を怖がらない。
 風呂が「好き」とは言わないまでも、洗ってやっている間は、おとなしくじっと目を細めて「しょうーがねえなあ」という感じでいい子にしている。
 写真は、風呂上がりの少し後、僕の膝の上で毛布にくるまっているマキです。
マキ
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