January 2005

January 31, 2005

ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」

 今日で1月も終わりである。早いものだ。
 しかし時の過ぎ去るのがこんなにも早いのに、僕はなんだかいつもくだらないことばかり書いている気がする。
 ということで、今日は名言を一句(というには長いのだが)、紹介してみようかと思う。
 昔読んで、その時はとくにそれほどの強い印象を受けたわけではなかったけれど、なぜか今でも心に残っている言葉。
 というのが、誰にでもありますよね?
 そういうのは、いろいろと浮かんでくるのだけれど、最近なぜか頻繁に心に浮かぶ文章を引用します。
 まあ書くネタのない日の、”名言シリーズ”ということで。
 以下、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」の冒頭から。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 なんぴとも一島嶼(いちとうしょ)にてはあらず
 なんぴともみずからにして全きはなし
 ひとはみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)
 本土のひとひら そのひとひらの土塊(つちくれ)を
 波のきたりて洗い行けば
 洗われしだけ欧州の土の失せるは
 さながらに岬の失せるなり
 汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり
 なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
 みずからを殺(そ)ぐにひとし
 そはわれもまた人類の一部なれば
 ゆえに問うなかれ
 誰(た)がために鐘は鳴るやと
 そは汝がために鳴るなれば
    
                 ジョン・ダン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このジョン・ダンという人は、16世紀から17世紀にかけての、イギリスの有名な詩人です。
 小説の中の訳注によれば、彼はその思想と学識、情熱とウィットを駆使して、いわゆる形而上派詩人の第一人者ととして、T・S・エリオットやイェーツ、その他多くの詩人に、大きな影響を与えた人だそうです。
 ヘミングウェイも、この詩に触発され、「誰(た)がために鐘は鳴る」という詩の中の一説を小説のタイトルに使っているわけです。
 
 僕はヘミングウェイの小説は、どちらかというと短編の方に好きなものがいくつかあるのですが、長編の中でもこの「「誰がために鐘は鳴る」はわりに好きでした。「老人と海」はもちろん文句なく素晴らしい作品だと思いますが、「日はまた昇る」なんかは、読んでもちっとも面白いとは思えなかった。
 それを読んだ頃は、たぶん僕の中で、そういった作品世界を受け止めるだけの素養がなかったのでしょう。
 
 「誰がために・・・」も「面白いな」とは思ったものの、その作品世界と同時に、このジョン・ダンの言葉が、こんなにいつまでも心の片隅に残り続けるとは思いませんでした。
 この詩は、書いてあることは言葉が古いせいかなんだか難しいですが、述べていることの趣旨は簡単で、僕なりに乱暴に要約すると、
 
「人は皆、大陸の一部である。一人一人は大地のほんのひとかけらかも知れないが、一人が失われるということは、まさしく岬のひとつを、大陸そのものを失うことに等しい。個人が死ぬということは、単に個人の死とどまらず、人類全体の損失であるといえる」
 
 ということになると思います。
 
 「誰がために」はまさしく戦争という非常事態を扱った物語であって、戦争や人間の命について、当時のヘミングウェイが書かずにはいらなかった、
やむにやまれぬものがテーマとしてすえられています。
 人生において、個人が個人として背負わなければならないもの、その宿命性を彼独特の厳しい諦観をもって受け止めたヘミングウェイですが、
この詩と、作品の中に、彼は人類全体の中の自分、個人の、世界全体への献身の姿の形を見出しています。
 
 「・・・ゆえに問うなかれ。誰(た)がために鐘は鳴るやと。そは汝がために鳴るなれば」
 なぜこの詩が、そんなにいつまでも、時に触れて気になるんでしょう?
 それは僕にもよくわかりません。
 
 ただ演劇や、あるいは何かの表現活動や自己実現の根底には、最終的には、世界の片隅からの、そういったメッセージが密やかに込められているような気がするのです。
 舞台を上演すること、演技すること、何かの物語をつむぐこと。歌を歌うこと。ダンスすること。あるいは世の中の、あらゆる価値ある仕事において。
 
「・・・ゆえに問うなかれ。誰(た)がために鐘は鳴るやと」
 


January 30, 2005

まいっちんぐマチコ先生

 そういえば昔、まいっちんぐマチコ先生というアニメがあった。
 何度か実写版が作られているから、その名前は、最近の若い人たちもわりと知っていると思う。
 最近では、名波はるかとか、仲谷かおりとか。僕は実写版は一度も見たことがないので詳しいことは知らないが、ぜひそのうちに一度見てみたいものである。
 
 僕は小学生のころ、このアニメが大好きだった。
 「まいっちんぐマチコ先生」は、1980年代初頭のアニメ界を席巻し、巷にパンチラブームを巻き起こし、ボインタッチと「いやーん、まいっちんぐ」ポーズを流行させた、伝説のアニメである。
 僕ぐらいの年代の人間は、マチコ先生が異性への目覚めだった、という人も多いのではないだろうか?
 
 小学4年生か5年生の頃、このアニメに影響されて、僕はある目標を立てたことがあった。
「クラスの女子全員のスカートめくり+ボインタッチをする」というものである。
 この壮大な計画に、当時の僕は胸を熱くした。
 すごい計画だ。
 
 その頃、クラスには約二十人の女子がいた。
 もちろん、すべての女の子の胸を触りたかったわけではないし、パンツを見たかったわけでもない。
 はっきり言って、あまりタイプじゃない子だってたくさんいた。
 しかしそれでも、この計画は、あくまでも”全員のスカートめくり+ボインタッチ”をすることに意味があった。
 こそこそと誰か特定の女の子の胸をさわるなんて、そんなのいかにもいやらしい、ただのチカンじゃないか?
 ドストエフスキーの「罪と罰」の中の言葉を借りるなら、「一人を殺せば犯罪だが、百万人を殺せば英雄である」といったところである。
 なんだかあまりにも罰当たりなたとえではあるけれど。
 
 かくして計画は実行に移された。僕はクラスの男子全員の熱いエールを背中に浴びて、一人、また一人と、目標達成に近づいていった。
 僕も楽しかったし、さわられる方だって、−−もちろん怒ったことは怒ったけれど、さほど嫌そうには見えなかった。
 一種のサバイバル・ゲームみたいな感じで、やるほうもやられるほうも、なにかそういった緊張感を、楽しんでいるようなところがあった。
 ・・・と思っていたのは、僕だけだったのだろうか?
 
 この計画は、ほぼ90%ぐらいまでは達成されたものの、結局挫折した。
 ある女の子のスカートをいつものようにヒョイっとめくると(僕はその女の子があまり好きではなかった)、その女の子が突然、泣き出してしまったのである。

 そのあと、緊急のホームルームが開かれ、僕は担任の先生に、皆の前でいたく神妙な顔で怒られた。
 それはしてはいけないことだし、これからは二度としてはいけないよ。
 皆もわかったね?それは絶対してはいけないことなんだ。
 
 今となっては、いい思い出である。
 なぜあんなことにあれほど夢中になったのか、−−まさしく全身全霊を込めて夢中になったのだが−−自分でもよくわからない。
 しかしあらためてそのときの先生の顔を思い浮かべてみると、なんであんなに悲壮な、まるでこの世の終わりとでもいったような鎮痛な面持ちで怒ったのか、それもなんだか不思議な気がする。
 それはたしかにまあ、悪いことには違いないけれど。
 ただの子供の遊びなのにな。

 昨日は飲み会のあと、東京で働いている友達が急に帰ってくるというので、家に帰ってきてまた二人で飲んだ。
 おかげで今日は二日酔いで、一日頭がほーっとしていた。
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January 28, 2005

今日も飲み会

 今日も会社の飲み会だった。
 会社の取引業者の方たちで組織する、”協力会”というのがあるのだが、僕は去年から、その事務局なのだ。
 その協力会で3月に横浜に旅行に行くというので、今日はその第一回目の打ち合わせ。その後、焼肉へ。
 
 たった今帰ってきたところなのだが、こう毎日飲んでいては、帰ってきてもほとんど何も、まともに手につかない。何もまともに考えられない。
 
 明日は、組合の新年会である。またしても、飲まなければならない。
 1月に入ってから、こういうお付き合いが本当に多すぎる。
 なんで大人になると、こういう付き合いがやたらにあるのだろうか?
 確かにちゃんとした、必要十分な会合もあるのだが、こんなのただの人生の無駄遣いじゃないかと思われる会合もたくさんある。田舎に住んでいると、そういうのがやたらに多い。
 やれやれ、年は取りたくないものである。
 まあ、焼肉はうまかったけど。
 
 というわけで、明日は、ついに寿司である。


January 27, 2005

飲み会

 今日は会社の旅行委員の引継ぎで、飲み会。
 僕は去年の幹事の一人で、会計だった。
 いつも六月の中旬が社員旅行で、去年は草津温泉へ行った。
 ちょうど前回の芝居「オンタイム!?」の稽古中だった。このサイトで使っている”ヒデちゃん”という名前もその時の役名である。
 なんだかつい最近のことのようだ。あれは、いろんな意味で、楽しい芝居だった。
 
 二十五を過ぎると、時間というのは本当に、あっという間に過ぎていく。
 やりたいことはつきないのに、時間は容赦なく過ぎ去っていく。
 そして階段を上がり、三十という踊り場に出ると、自分がいずれ着地すべき場所について、どのように着地するかについて考えるようになる。
 アマチュアの一役者としても、青年を演じることが出来るのは、たぶん現実的にはあと数年なのだろう。
 
 別に暗くなっているわけではない。
 ただ、何かの折に、ふとそんなことを考える。
 うーん、飲みが足りないかな。

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January 26, 2005

ホームページビルダーとAdobe GoLive CS

 ホームページをつくり始めて約一ヶ月たった。なかなか進まない。わからないことだらけである。先は長そうだ。
 
 しかし始めてまだ間もないとはいうものの、HTMLやらJAVAやらCSSやらの本を手当たりしだい読み漁っているうちに、今まで使っていたホームページビルダーではもの足りなくなってきた。その手の解説書どおりにスクリプトを入力しても、そのとおり動かない。エラーになってしまう。
 
 これは僕が悪いのだろうか?
 そう思ってずいぶん格闘したのだが、ついに、ホームページビルダーにこれ以上高度なことを求めるのをあきらめた。
 だいたい、そうならそうと、「ここまでは出来るけど、これとこれは出来ませんよ。それ以上のことをお求めなら、別のソフトを買ってくださいね」とパッケージに書いておいて欲しいものである。それなら最初から買わなかったのに。
 「初心者でも手軽にホームページを持てる」という点においてはクリアしているかも知れないけれど、初心者だって、いつまでも初心者ではないのである。一万円以下で買えるソフトとは言え、ただではないのだから、「出来ること」を明記すると同時に、「出来ないこと」も、きちんと明記して欲しいものだ。
 これはホームページビルダーに限ったことではないけれど。
 
 というわけで、いろいろと迷った末に、Adobeの”GoLive CS”を買った。
 最初はmacromediaの”Dreamweaver MX ”が欲しかったのだが、これは五万円近くもする。
 GoLive CSも約2万5千円するから、けっして安くはないのだが、ホームページビルダーでいつまでもフラストレーションをため続けるよりはましである。
 
 GoLive は、実際使ってみて、そのあまりの使いやすさにびっくりした。
 テーブルやセルの管理もおどろくほど楽だし、CSSの設定も視覚的にさくさくと出来る。サイト管理も実にわかりやすい。ホームページビルダーではさんざん苦労させられた、ページ内の検索窓や、インラインフレームの挿入も、ボタン一発で終了である。今までの苦労はなんだったのだろうか?
 
 本当はDreamweaver MX の方が業界標準なのだろうが、GoLive でもひととおりのことはすべて出来るし、僕は長年、同じAdobeのフォトショップに愛着があるので、その互換性が良いのも非常に良い。
 フォトショップファンには、おすすめのソフトだと思う。
 
 そういえば、風邪は約二日で完治してしまった。
 とにかくとことん眠ったのが良かったようだ。

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Adobe Golive CS

January 25, 2005

風邪をひく

 ひどい風邪をひいた。昨日は定時で仕事を切り上げ、夕方六時にはベッドに入ってしまった。
 しかしいくら布団や毛布をかぶっても、寒くてしかたがない。骨の奥の方から、きりきりと震えがくる。
 嫁さんが熱を計れというので、計ったら38度3分だった。

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January 23, 2005

「ゴンザーゴ殺し」

(注意。ネタばれです)
 
 昴の芝居「ゴンザーゴ殺し」を見た。
 とても面白い芝居だった。この芝居は、今まで僕が見た、どんな芝居とも違っている気がする。
 ストーリー的にも、演劇的にも、ということである。
 
 「デンマークのある旅の一座。かつてはデンマークの首都で活躍していた一座だが、その栄光も今は昔。今では落ちぶれ、その日暮らしのドサ回り。
 しかしそんな彼らにも、ようやくチャンスめぐってくる。デンマーク王子ハムレットからの依頼で『ゴンザーゴ殺し』を城内で上演することになる。
 法外な報酬に一座は大喜びするが、ハムレットにはある思惑があった。先王を暗殺し、その妃をも手にした現王クローディアスの罪を、白日のもとにあばきだすこと・・・
 ハムレット自身が加筆した台本をもとに、一座は『ゴンザーゴ殺し』を上演するが、王の激高を買い、芝居は中断、捕らえられた彼らは、極刑を言い渡される」
 これが、今回のドラマの簡単な要約である。
 
 僕は今回一座の座長”チャールズ”を演じた石波さんから、
「ハムレットの中で劇中劇をやる人たちがいるでしょ?その人たちの物語なんだよ」
ということは聞いていたのだが、なんだかきつねにつままれたような話で、いったいどんな話なのか、まったく想像できなかった。会場に行くまで、それ以上のことはとくに調べなかったのだが、しかしこれは、予想を遥かに越えた芝居だった。
 
 幕が開くと、陽気な一座のユーモラスなやりとりが始まる。座長は娼婦”アマリア”を劇団に引き入れたことで、妻エリザベスとの家庭問題でもめている。団員たちは皆個性的で、自分勝手で、座長の言うことなど聞きはしない。
 見ているととても楽しくて、思わず笑ってしまう。彼らの明るさと陽気さ。ひと儲けして、また首都に劇場を持とうという明るい夢。
 そのやりとりは、ほとんどコメディーのようですらある。
 しかし見ていると、そんな陽気さとはうらはらに、そこにはなにか根本的な、宿命的な不吉さがあることに気づく。
 なにかが、噛み合っていない感じがする。完璧な演奏の中に、一箇所だけ、ほとんど気づかないぐらいの、小さな不協和音が混じっているような感じがする。
  何かがそこにある、といった緊張感、緊迫感。それが、冒頭から物語を導いていく。
 この辺は、やはり演出のうまさ、舞台づくりのうまさなのだろうか。上・下手に配された、背の高い鉄格子も、これがそもそもの始めから、コメディーや喜劇の雰囲気ではないという何か重い印象を受ける。
 僕は見ていて、なんだかミステリみたいだな、と思った。
 一つ一つはなんということのないやりとりなのだが、目が離せない。言葉に出来ない不吉さが、緊迫感が、興味をつないでいく。
 
 やがてその不吉さは現実のものとなっていく。
 ハムレットが自分たちにいったい何をさせようとしているのか、一座の者たちにも次第にわかってくる。
 もしかしたら、自分たちはこのままこの城を、二度と出られないかも知れない。
 
 このあたりの盛り上がり方はとてもスピーディで、圧巻である。原作の「ハムレット」は何度か読んだことがあるのだが、彼らの運命がこれからどうなるのか、目が離せない。やがて、ついに芝居は上演される。
 
 一座が現王の怒りに触れ、牢獄に囚われの見になってからは、拷問による自白の強要
 −−自分たちが「ノルウェイのスパイ」にそそのかされ、「ゴンザーゴ殺し」の脚本を故意に書き換え、「芝居による混乱に乗じて」、「王の暗殺を企てた」という、まったくありもしない嘘の自白を強いられる。名前は、”旅回りの俳優、座長チャールズ”などではなく、”こえだめのブタ”。そう言わされる。
 序盤では喜劇的ですらあった芝居が、とんでもない方向へ、深みへと落ち込んでいく。
 
 僕は四年近く前に見た俳優座の芝居「フル・サークル」を思い出した。
 「フル・サークル」の舞台は、第二次大戦末期のベルリンである。ストーリーもシチュエーションもまったく違うが、その中で脱走囚のユダヤ人が、ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密国家警察)に引っ張り出され、尋問される場面があった。
 「名前を言え」とゲシュタポに言われ、彼は何度も「私はユダヤの豚です」と繰り返す。
 彼は戦争が始まる前は、科学者であった。
 人間性の、人間が持つあらゆる尊厳の、卑劣さの限りを尽くした暴力による破壊。人間を、文字通り動物以下のレベルにまで否応なく引きづり落とす。
 このシーンは同時に、僕に中世の魔女裁判を想起させた。
 告発された者が、生きのびるためにすべての誇りを捨て、罪もない仲間を共犯者として暴露し、弾劾し、時の政治という正義に与する。
 告白によって、社会への復帰を許される。
 これはこの「ゴンザーゴ殺し」の主題そのものとは関係ないかも知れないが、僕はそんなことを、目の前の痛々しいシーンを見ながら考えていた。

 この芝居は、よくいう言い方を使うなら、「とても懐の広い芝居」ということになるのだろうか。
 一枚岩ではない。非常に多くのテーマを含んでいる。ミステリでもあり、喜劇でもあり、悲劇でもあり、おとぎ話であるのと同時に、また社会劇でもある。
 個々のキャラクターにそれぞれの深みがきちんとあり、笑いもあって、痛みもある。
 人間が過去の歴史において犯してきた、鳥肌の立つような残忍性、不条理性、そういったものまで垣間見させられる。
 このような芝居は、初めてである。
 
 僕は作者のネジャルコ・ヨルダノフ氏については何ひとつ知らないのだけれど、その着眼が素晴らしいことは言うまでもないとして、なにかそういった、自身の体験に照らし合わせた、政治的試練の体験といったようなものがあったのだろうか?
 少し調べてみたいと思う。
 
 とにかく、久しぶりに、いい芝居を見せてもらった。
 はるばる長野から東京まで見に行った甲斐があったいうものである。
 石波さん、ご苦労さまでした。
 
 この芝居の、最後の大どんでん返し・・・これは、機会があったら、自分の目で確かめてみて下さい。
 ヒントは「ハムレット」の原作です。

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January 21, 2005

北京のセールスマン

 無人島に一冊だけ本を持って行くとしたら?
 という質問を、たまに聞くことがある。
 実際、そんな羽目におちいるようなことはまずないと思うのだが、これはなかなか深遠な問いである。
 真剣に考えても、なかなかこれという答えが出ない。何を選んでも、何かが足りないような気がしてしまう。

 だいたいそんなこと、本当のところ誰にもわからないんじゃないかと思う。だってたとえ今どれほど好きな本でも、将来的に自分がずっとその本を必要とするかどうか、あるいは別の本を本当は必要とするのかどうか、誰にわかるだろう?
 「聖書」とでも簡潔に答えることができたら楽なのだろうが、あいにく僕にはそういった特別な信仰もない。
 僕の奥さんに聞いたら、「無人島には本なんて必要ないわよ」ということだった。
 なるほど。
 
 普段はもちろん、そんなことはまったく考えてもみないのだが、しかしそれでも年に何度か、僕はこの質問を自分自身に切実に問いかけざるを得ない場面に直面することがある。
 つまりそれは、旅行に出かける時である。
 
 僕は明日から東京へ、劇団昴の「ゴンザーゴ殺し」を観に1泊二日で行くのだが、さて、一体なんの本を持って行けばいいだろう?
 たかだか高速バスで、片道四時間、往復八時間の旅である。
 つまらない悩みと言われれば確かにそうなのだが、悩み出すと、結構きりがない。
 
 一週間前から僕の中で候補としてあがっていたのは、
 1.マーガレット・A・サリンジャー「我が父サリンジャー」
 2.ヴァージニア・ウルフ「ある作家の日記」
 3.アントン・チェーホフ「短編と手紙」
 4.アーサー・ミラー「北京のセールスマン」
 5.L.M.モンゴメリー 「赤毛のアン」
 である。

 4の”北京”以外は、どれもまだ一度も通して読んでいない。衝動買いで買ったきり、もう一年近く本棚でほこりをかぶっているものたちである。ただ「赤毛のアン」は、いつか自分で脚色してみたくて、買ったものだ。
 
 今回、結局悩んだ末に決めたのは、「北京のセールスマン」。
 これは、僕のお気に入りの本で、もう何度も読み返している。
 かの有名なリアリズム演劇の金字塔「セールスマンの死」を書いたアーサー・ミラーが1983年にこれを北京で演出した時の、ミラー自身が書いた記録。
 僕が誰よりも尊敬する作家アーサー・ミラーの本ということもあるけれど、この本は同じ演劇人として(というほどでもないけれど)、このうえなく興味深いエピソードと、多くの示唆に満ちている。
 一つの演劇作品を作りあげていく上での苦労、人が向き合わなければならないもの、その姿勢。
 ミラーの社会に対して向ける眼差しも、冷静で鋭く、厳しく、それでいて人間性そのものに対する温かさのようなものが感じられて、読むたびに、さまざまなことをを考えさせられる。これを読むと、「もっともっと真剣に演劇をやりたいな」と思ったりする。自分の稽古が始まったばかり、というような時期にも、よく読み返している本である。
 
 しかし読んでいない本がいっぱいあるのに、結局ここに落ち着いてしまうか・・・。
 興味があったら、「北京のセールスマン」読んでみて下さい。
 
 それにしても、JACK DANIEL'Sって、うまい酒だなあ。

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January 20, 2005

熊の肉を食べる

 はじめて“熊”の肉を食べた。会社の取引業者の人が、山へ猟に出たら、目の前に熊がひょっこり現れたので撃ったのだという。
 ふーん。
 ほかに言いようがない。

 実際に食べてみると、わりとやわらかくてクセもなく、普通においしかった。豚肉と牛肉をかけあわせて、それを濃厚にしたような味だった。
 でも話を聞いてみると、醤油や砂糖で味付けし、巨大な鍋で丸一日半ぐらい煮込んだのだという。
 ・・・・・・・・・。

 しかし熊とは。おそるおそる口に入れたのだが、中国へ旅行にでも行って、「この犬の肉、おいしいからさ、食べてみなよ。ほんとだって、おいしいんだって。だまされたと思ってさ」
と、すすめられているような気分だった。
 あなたは熊の肉を食べたことがありますか?僕はあります。

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January 19, 2005

コーヒーについて

僕はコーヒーが大好きだ。
毎日1リットルぐらいは飲むんじゃないかと思う。

それ以外に毎日飲むものといったらビールぐらいである。


 とくにそれほどこだわりがあるというわけではないが、わりとお気に入りでよく飲む銘柄はKEY COFFEEである。あっさりしているようで適度なコクがあって、香りに品がある。へんなクセもないし、クドくないので何杯飲んでも飽きない。

 KEY COFFEE以外では、スターバックスの「ユーコンブレンド」が好きだ。これは地方に住んでいるとなかなか買う機会がないので、たまに東京に行った時に、ついでに買ってくる。

 

 しかしこの間、うちのコーヒーの粉がだいぶ少なくなってきたので、近所の「アピタ」というスーパーに買い出しにいったのだが、そこにはUCCコーヒーしか置いていなかった(僕が言っているのはコーヒーマシン用の粉のことです。念のため)。結構大きなスーパーだし、何かの間違いだろうと思ってもう一度真剣に探したのだが、やはりない。至る所、UCCだらけである。


 はっきり言って、僕はUCCコーヒーが大嫌いなのだ。あの後味の悪い苦み。入れ立てなのに、すでに煮詰まったような味がする。二杯飲むと、胃が気持ち悪くなる。香りも、「立ちのぼる」というよりは、「強引に部屋に充満する」という感じがする。
 UCCコーヒーが大好きだという人もいるだろうし、これはまったくの僕の偏見なのかも知れないけれど(もしかしたらUCCコーヒーに個人的トラウマの様なものでもあるのだろうか?)、とにかく僕はUCCコーヒーが好きではないし、缶コーヒーも含めて、UCCのものは飲まないことにしているのである。

 

 「アピタ」でコーヒーを買うのをあきらめて、コンビニも見に行ったのだが、そこにもUCCしかなかった。農協にもUCCしかない。日を改めて、少し離れた別のスーパーまで行って、ようやくKEYCOFFEEを買うことが出来た。

 しかしそこでも、UCCの不必要に広い売り場面積に対して、KEYCOFFEEのそれはごく狭いスペースだった。

 

 そのことで、僕は少し混乱してしまった。なんで世界中が、UCCコーヒーで満ちあふれていなくてはならないのだろう?UCCコーヒーを置くのは構わないけれど、その他の銘柄を好きだという人だって少なからずいるはずである。そういう消費者のために、いくつかの選択肢を用意しておいてくれてもよさそうなものじゃないか?

 

 UCCの営業がよほど優れているのだろうか。
 それとも、かつてのソニーのように、小売店に何らかの圧力をかけているのだろうか?

 

 いずれにしても、他のコーヒー会社にももっとがんばって欲しいものだ。

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January 18, 2005

「MONKWELL MANOR GUEST HOUSE」について 「ねずみとり」から

 これが初めてのブログアップ。ついこの間まで「ブログ」の名前すら聞いたことがなかったのだが(去年の大晦日ぐらいまで)、自分のホームページを作り始めたので、いろいろ調べているうちにその存在を知った。「ふーん。なかなか面白そうだな」という感じで、そのままなんとなく流れで登録。30MBまでは無料だということだし。(livedoor Blog

  登録手続きで、ブログのタイトルを求められて、いきなり壁にぶつかる。特に何も考えていない。タイトル?

 さんざん迷った末に、この「MONKWELL MANOR GUEST HOUSE」に決める。人が見てもなんのことかわけがわからないと思うけれど、これは有名なミステリ作家アガサ・クリスティが書いた「ねずみとり」という戯曲の中で、主人公の夫婦二人がこれから始めようとする山荘につけた名前である。

「マンクウェル山荘」。

  僕は二十の時、池袋サンシャイン劇場へ、平栗あつみ主演のこの「ねずみとり」を見に行った。当時つきあっていた彼女が、バレンタインのプレゼントということで、チケットをとってくれたのだ。 休憩をのぞいて、約二時間四十分の芝居。「犯人は誰か?」という、古き良き時代の本格ミステリである。

  以来、僕はこの戯曲と、演劇というものの魅力にすっかりとりつかれてしまった。劇場を出たあとも、わくわくどきどきしっぱなしで、「自分もいつかこれを上演して、主人役のジャイルズとして舞台に立つんだ」、と無謀にも固く心に誓った。当時、演劇とはなんの関わりもない生活をしていたのだけれど。


  それから六年後、僕は地元長野県で、知り合った演劇仲間たちとともにこの「ねずみとり」を上演し、ジャイルズ役を演じることが出来た。一応、夢は叶ったわけだ。

運も良かったと思う。自分の企画を受け入れてくれて、力を貸してくれる仲間たちがすぐそばにいたということ自体が、とてつもない僥倖である。

 企画から始まって上演まで、約8ヶ月かかった。長い芝居だし、舞台づくりも稽古も、ものすごく大変な作業だったけれど、約300人のお客さんに見てもらうことが出来て、おおむね好評を得ることが出来た。あれからまた約六年がたったけれど、「ねずみとり」をやることが出来て良かったなあと、今でもときどき思う。

 ということで、「MONKWEL MANOR GUEST HOUSE」、これからよろしくお願いします。

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