January 31, 2005

ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」

 今日で1月も終わりである。早いものだ。
 しかし時の過ぎ去るのがこんなにも早いのに、僕はなんだかいつもくだらないことばかり書いている気がする。
 ということで、今日は名言を一句(というには長いのだが)、紹介してみようかと思う。
 昔読んで、その時はとくにそれほどの強い印象を受けたわけではなかったけれど、なぜか今でも心に残っている言葉。
 というのが、誰にでもありますよね?
 そういうのは、いろいろと浮かんでくるのだけれど、最近なぜか頻繁に心に浮かぶ文章を引用します。
 まあ書くネタのない日の、”名言シリーズ”ということで。
 以下、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」の冒頭から。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 なんぴとも一島嶼(いちとうしょ)にてはあらず
 なんぴともみずからにして全きはなし
 ひとはみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)
 本土のひとひら そのひとひらの土塊(つちくれ)を
 波のきたりて洗い行けば
 洗われしだけ欧州の土の失せるは
 さながらに岬の失せるなり
 汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり
 なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
 みずからを殺(そ)ぐにひとし
 そはわれもまた人類の一部なれば
 ゆえに問うなかれ
 誰(た)がために鐘は鳴るやと
 そは汝がために鳴るなれば
    
                 ジョン・ダン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このジョン・ダンという人は、16世紀から17世紀にかけての、イギリスの有名な詩人です。
 小説の中の訳注によれば、彼はその思想と学識、情熱とウィットを駆使して、いわゆる形而上派詩人の第一人者ととして、T・S・エリオットやイェーツ、その他多くの詩人に、大きな影響を与えた人だそうです。
 ヘミングウェイも、この詩に触発され、「誰(た)がために鐘は鳴る」という詩の中の一説を小説のタイトルに使っているわけです。
 
 僕はヘミングウェイの小説は、どちらかというと短編の方に好きなものがいくつかあるのですが、長編の中でもこの「「誰がために鐘は鳴る」はわりに好きでした。「老人と海」はもちろん文句なく素晴らしい作品だと思いますが、「日はまた昇る」なんかは、読んでもちっとも面白いとは思えなかった。
 それを読んだ頃は、たぶん僕の中で、そういった作品世界を受け止めるだけの素養がなかったのでしょう。
 
 「誰がために・・・」も「面白いな」とは思ったものの、その作品世界と同時に、このジョン・ダンの言葉が、こんなにいつまでも心の片隅に残り続けるとは思いませんでした。
 この詩は、書いてあることは言葉が古いせいかなんだか難しいですが、述べていることの趣旨は簡単で、僕なりに乱暴に要約すると、
 
「人は皆、大陸の一部である。一人一人は大地のほんのひとかけらかも知れないが、一人が失われるということは、まさしく岬のひとつを、大陸そのものを失うことに等しい。個人が死ぬということは、単に個人の死とどまらず、人類全体の損失であるといえる」
 
 ということになると思います。
 
 「誰がために」はまさしく戦争という非常事態を扱った物語であって、戦争や人間の命について、当時のヘミングウェイが書かずにはいらなかった、
やむにやまれぬものがテーマとしてすえられています。
 人生において、個人が個人として背負わなければならないもの、その宿命性を彼独特の厳しい諦観をもって受け止めたヘミングウェイですが、
この詩と、作品の中に、彼は人類全体の中の自分、個人の、世界全体への献身の姿の形を見出しています。
 
 「・・・ゆえに問うなかれ。誰(た)がために鐘は鳴るやと。そは汝がために鳴るなれば」
 なぜこの詩が、そんなにいつまでも、時に触れて気になるんでしょう?
 それは僕にもよくわかりません。
 
 ただ演劇や、あるいは何かの表現活動や自己実現の根底には、最終的には、世界の片隅からの、そういったメッセージが密やかに込められているような気がするのです。
 舞台を上演すること、演技すること、何かの物語をつむぐこと。歌を歌うこと。ダンスすること。あるいは世の中の、あらゆる価値ある仕事において。
 
「・・・ゆえに問うなかれ。誰(た)がために鐘は鳴るやと」
 


jailz at 21:43│Comments(0)TrackBack(0) 

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